オンラインでは得られないものは何か?-福島の帰宅困難地域で子どもたちが感じたこと‐
2021年3月11日。
息子と娘の通う小学校で東日本大震災の犠牲者に対して黙とうが行われた。
朝も夕方も、あの日の映像がニュースで流れ続けていた。
「Fukushima 50」が金曜ロードショーで放映された。
息子は真剣にジッと見ながら言った。「この場所は今、どうなってるの?行ってみたい」
去年も同じようにニュースが流れていたが、息子は特に興味を持ってはいなかった。
2011年3月11日、私のお腹で8か月の命として生きていた息子は今年で10歳になる。東日本大震災で起きたことを理解したいと思う年頃になった。
「知りたい」という強い気持ちが湧いた時が一番の学び時だ。息子の親友も同じような気持ちになったようで、息子、息子の親友、娘と私の4人で福島への学習旅行計画をすぐに立てた。
原子力災害の被災地を学習するスタディーツアーで見たもの
スタディーツアーの集合場所で用意された津波被害や原子力災害の雑誌や絵本や新聞を真剣にみる子どもたち。
ただ、静かに見ている。何も話さない。
車で目的地に向かう途中、ガイドの里見さんが色んな話をしてくれた。
水が1ヵ月手に入らず、みんな川に水を汲みに行っていたこと。
自衛隊の給水車に並んだ事。水は重くて持ち運びにくいこと。高齢者は水を運べないので、水を配るボランティアをしていたこと。
そして、冷凍保存されたように10年前の状態が残されたままの帰宅困難地域に到着。
銀行も商店も一軒家も窓ガラスが割られているのが遠目からでもわかる。
帰宅困難地域には多くの泥棒がガラスを割り、モノを盗み、その割れた部分からタヌキや犬が入り込み、家の中はぐちゃぐちゃになっているとのこと。
2020年(令和2年)3月14日に、当駅を含む富岡 - 浪江間の復旧に伴い営業再開した夜ノ森駅。無人の駅。
駅の横の土を線量計で計る。
コンクリートと土の上では違うこと。
急にピーピーなりだし、0.21から2.68へ。
自分達でも計ってみる。
「小鳥の声しか聞こえないね」
子どもたちがスタディーツアーで良くつぶやいていたのは「音が聞こえない」ことだった。
家はあるのに、駅はあるのに、信号はあるのに、学校もあるのに。
人間の声も車の音も聞こえない。
「君と世界が終わる日に」みたいだと息子が言った。
人間がいなくなった世界みたいだ、と。
娘は「小鳥の声しか聞こえない」と何度も繰り返していた。
そして、目の前に福島第二原発が見える浜に来た。
ここは合わせ津波で21mの高さを記録した場所だった。
浜に埋まっている貨物船はいつのものなのだろうか。
言葉にできないモヤモヤは整理しないほうがいい。
子どもたちはスタディーツアー中、あまり口数は多くなかった。
私も「どう思った?」「何考えてるの?」など聞かなかった。言葉にすることに意味はない。むしろ、今ある言葉に当てはめることで、本当に感じたことがズレるのなら、言語化も整理もしないほうがいい。
大人の私でもできないのだから。
そのモヤモヤごと未来に持っていこう。
街は送電線だらけだった。
田んぼに、お墓に、庭に。
至る所に鉄塔が立ち、東京に向かって電気を送っていた。
原子力災害で使えなくなった120年続いた農家の田んぼにはソーラーパネルだらけだった。売電で東京の会社が毎月売上をあげているとのこと。
津波をふせぐ7mものコンクリの防潮堤は60キロも続いていた。
海はもう街から見えない。
今もスクリーニングチェック(放射能チェック)をしている場所があり、土の上を走った車はタイヤなどを検査していた。
帰宅困難地域から解除されたものの、戻ってきた方が高齢者が多いのでコロニーをつくり、歩いていける範囲に全てを集約している「あたらしい町」があった。
色んな複雑な問題も、良い悪いも一旦置いておく。正論なんて事実の前では力を持たない。ただ、目の前にある景色や感情をゴツゴツしたまま飲みこんでみた。
オンラインでは得られないのは「違和感」なのかもしれない。
私は小学校のオンライン修学旅行やオンライン授業を企画実施してきた。
オンラインの学びの可能性を強く信じている。
しかし、だからこそ、オンラインではできないことをもう一度考えたい。
オンラインは世界中の「情報」をたくさん得られる。
しかし「違和感」を感じにくい。
違和感は「教えてもらう」のではなく「気づく」もの。
違和感は「メインの情報」ではなく、「周辺情報も含めた全体」から感じるもの。
違和感は「頭」で考えるものではなく「体」で感じるもの。
違和感は子どもたちの「ひっかかり」になってくれる。
大人が言っていることは正しいのか?テレビに映っているものが全てなのか?映っていないもの、言っていないことがあるのではないか?
誰かを介した世界(2次情報)だけではなく、自分がみた世界(1次情報)をたくさん持つことで、正しい違和感を感じ、自分で考える力になる。
今日のモヤモヤがいずれ、彼らの軸になる。
締めのメッセージをどう「上手くまとめようか」と考えてる自分がいる。ダメやな。今回は中途半端なモヤモヤも大切にしたいので、ここに文章を終えます。
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