病院に運ばれた話とその後
3月の初め、朝7時に起きて、いつものように公園に向かい、日課の早朝チョフチョフミーをしていた。
芸人になって、4年。
朝に50回のチョフチョフミーをしてから、一日が始まる。
これが僕のルーティンだ。
一回、一回、フォームを確認しながら、お客さんを想定しながら丁寧にチョフミーをする。
小さい頃、父親から、『練習のための練習をしても全く意味がない』と耳タコのように言われていたが、この歳になって痛いほどその言葉が染みる。
前日に、普段の10倍近い回数のチョフチョフミーをしていた事もあり、いつもより身体が重い。
しかし、こちとら、日本唯一のプロチョフミー選手だ。
2年前、芸歴3年目になった時に、日本チョフミー連盟から、日本人にして初めてのプロチョフミー選手の称号を頂いた。
だから、弱音を吐く訳には、行かない。
23、24、25、とチョフチョフミーを続ける。
僕は、自分の身体の異変に気づきながらも、回数を重ねる。
チョフチョフミーーーー!!!…
チョフチョフミーーーー!!!…
チョフチョフミーーーー!!!…
そして、33回目を迎えた時に、事件は起こった。
チョフチョフ!と繰り出した時に、身体がきしむ。
しかし、ミーーーー!までやって真のプロチョフミー選手だ。
僕は、強引にミーーーー!!!をしようとした次の瞬間。
『ピキッピキッ!!!!!!』
という音ともに、その場にぐずれ落ちた。
『うわぁ!!!!!!!!!』
全身に激痛が走る。
僕は全身の痛みにより、その場から動けなくなった。
意識が朦朧とする。
ああっ、僕はここで終わってしまうのか。
そんな思いの中、気づいたら病院にいた。
どうなったんだ…
と思ってると、
「バチョフさん気づかれましたか。」
とお医者さんが病室に入ってきた。
「いやぁ、危ない所でしたよ。もう少し運ばれるのが遅かったら、一生チョフチョフミー出来ない身体になってましたよ。いやぁ、早く見つかって良かった。」
近所の方が救急車を呼んでくれたらしい。
そうなのか。僕は救急車に運ばれたのか…
と思って身体を少し動かすと、全身に痺れが発生する。
『いてっ!』
すると、お医者さんが
「あー、まだ動いてはいけないです。
バチョフさん、大変申し上げにくいのですが、あなたの病名は、世界で難病指定されているものでして、、、日本では、初めてです。」
一瞬顔が強ばる…。
『先生、、、それは何ですか?何という病気なのですか?』
固唾を飲んで聞く。
「ふぅ…」
一旦、お医者さんは、息を吐いた。
「ぎっくりチョフfeat.チョフミーです。」
『ぎっくりチョフfeat.チョフミー!?』
まさかだった。
自分が、ぎっくりチョフfeat.チョフミーになるなんて、思いもしなかった。
ぎっくりチョフfeat.チョフミーとは、
チョフチョフミーをする際に生じる腰の捩れにより、身体に負担がかかるのだが、その動きを何回も繰り返す事により、身体が雷に打たれたような痺れがはしるという珍しいものだった。
それを無視をして、チョフチョフミーを続ければ、一生チョフチョフミーを出来なくなる身体になるか、最悪、ミーに至る。
頭の中が真っ白を通り越して、真っ赤になった。
すると、先生がこう言った。
『これから数日間チョフチョフミーは出来ないと思います。
チョフチョフミーが出来る様になったら、一旦自分に向けて、チョフチョフミーをしてください。
そしたら、身体から花が咲くと思います。
それから、1日に打つチョフチョフミーは100発までにしてください。
これは絶対です。
守ってください。
これはチョフチョフミーを習得された時に仙人にも言われてるはずです。
守らないと大変なことになりますので。
あと…』
途中からグルグルしてきて、お医者さんの話も遠のいていった。
プロチョフミー選手としての選手生命の危機。
病室の天井を見つめながら、目を閉じた。
病院から戻り、5日間程は動けなかった。
そして、身体が動けるようになってから、僕はチョフチョフミーのフォームの改造に取り組み始めた。
続く。
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