「北加賀屋ばぶる・ぼぶる」よ永遠に
ライブが終わった、打ち上げが終わった、家に帰った、インスタを見た。
さっきまで今日が終わると思ってたのに、終わらなくなった。
終わらせたくなくなった。
そんな夜、窓を開けると冷気が鼻から吸い込まれて少し悲しい気持ちになった。
すぐに窓を閉めた。
椅子に座って息を深く吐いた。
人生28年も生きていると、まだまだ若造と言われども、多少なりに分岐点なるものが出てくると思う。
校区以外の中学校に行こうか迷った小学6年。
ずっとやってた野球を引退して、浪人が決まった高校3年。
そして、1番の分岐点であった、芸人になると決めた大学3年。
親に反対されたのを一年半かけて説得して、養成所に入った。
震えながら
『プロの芸人になりたい。ならせてください。お願いします。』
と、友達からも"厳しい"と恐れられていた父親に勇気を振り絞って発した大学3年生の秋。
今までなら絶対に言えなかった言葉を父親に伝えた。
僕がプロの芸人になりたい。そして、それを親に伝える勇気、覚悟をくれたのは、北加賀屋ばぶる・ぼぶるの2人だった。
初めて会ったのは、大学2年の3月。
広島の一つ上の先輩が作った小さな落研で和気藹々と活動してた僕らの目の前に、初めてプロの芸人が現れた。
小さなインディーズライブで主催者さんの同期という事で、招待されて、一緒になったのだが、ライブでのあまりの違いに僕らは度肝を抜かれた。
ネタは面白いし、平場も面白いのだけど、
1番感じたのは覚悟の違い。
あの日初めて僕は
『お笑いライブって戦場なんだ』
って思った。
そして、何回かライブで一緒になって、話したりさせて貰ってる内に、初めて思ったのだ。
『プロの芸人になりたい。』
圧倒的な違いを感じたプロの世界。
でも、何故か身近に感じたプロの世界。
触れていく内に、意識が変わり、覚悟が生まれた。
間違いなく、僕らの見る世界が変わった。
時が経ち、北加賀屋ばぶる・ぼぶるさんはクレメンスさんに変わって、
スズメノカタビラは、ピン芸人バチョフと、サラリーマンYouTuberラオス語マンに(まじで謎)、ナシゴレンはバローズの徳永と幸せな一般人に変わったし、
チャーシュー豚太郎は、大阪で番組制作、黒帯は東京で番組制作してる。
ただの趣味の小さなサークルから、お笑いの、プロの世界でやろうと思う人がこんなにも出た。
それは、あの時、クレメンスの2人が僕らの前に現れたからという事は間違いないのだ。
そんな2人が、今日解散と芸人の引退を発表した。
大学を卒業する前に約束した
"プロになってよしもとの舞台で共演する事"
は叶わなかった。
月並みな言葉だけど、
人生は残酷だ。
思ったようにいかない事ばかりだし、
ゲームみたいにリセマラ出来るわけでもない。
不可逆的に進むから、僕たちはもうこの夢を叶える事が出来ない。
そんな絶望を感じつつも、いつもみたいに、感傷的になりすぎないのは、お2人が覚悟がわかるからなのだ。
昨日今日で考えた事では無い事が、ひしひしと伝わるからだ。
だから、悲しいし、悔しいけど、僕たちは前を向くしか無いのだ。
たとえ辞めたとしても、
りょーまさんは優しい言葉と"ほなほなほなほな"とずっと言い続けてくださると思うし、
福山さんは、Twitterでエッチな画像にイイねし続けると思うから、
今は、『お疲れ様でした!』と『ありがとうございました!』と"この言葉"を伝えたい。
チョフチョフミーーーー!!!!!
クレメンスのお2人、
ありがとうございました!!!
バチョフ、覚悟を持って、生きます!!!!!!
やるしかない!!!!!!!!!!!
ほな!
でも、やっぱり悔しい。
良かったらサポートよろチョフチョフです!!!🥺🥺🥺 励みになりまチョフミーーーーー!