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掌編「水槽の内側」@爪毛の挑戦状

まるで、唐草模様であった。

無数の赤い渦巻きは各々に、ゆっくりと滑らかに壁を這っている。

小さな口らしき穴が、れろんれろんと壁のあちら側を舐めるような様子がよく見える。

後ろからきた短い髭に啄かれた様子であったが、バランスをとって態勢をたて直した。

殻からはみ出して壁に貼りつき柔らかそうに伸びる部分には、よくみると浅い皺がたくさんある。

何世代目なのかもう分からないが、見える個体はだんだんと小さくなってきている。

ある程度アルカリがないと殻を維持できないので、それ相応のサイズに落ち着いてしまうのだと父が教えてくれた。身の丈を分かっている。なんて賢い本能なのだろう。

小さな白い珊瑚の欠片を沈めて彼らの成長を願ってみるが、どれほどの効果があるのかはよく分からなかった。

なおも、赤く薄そうな殻を伴いゆっくりと壁に唐草模様を描いていく。この慎ましさ。

後ろのオトシンクルスはがつがつと、小さな流木に生した苔を貪っていて、時々壁のほうへ来てはレッドラムズホーンに体当たりをして戻っていく。

水の満ちた小さな箱の中で幾つもの生命がうごめいている様は、幼い私に何とも言えない高揚感を教えた。

…と。

いつから記憶に浸っていたのだろうか。いま私の時間は、水槽のなかで少年に戻っていた。

「やっぱりここだった!」

私の横に、買い物袋を両手に抱えた妻が現れた。

「ゴメンお待たせ~。焼き芋、美味しそうだったから買っちゃった!帰ってお茶にしようか」

ふ、と私の鼻から息が漏れた。彼女はいつものように、とてもにこにこしていた。

買い物袋の重そうなほうを受け取り、アクアリウムコーナーを離れる。

「レッドラムズホーンって、インドヒラマキガイのアルビノなんだよ!繁殖力がすごくてさ~」

背後で見知らぬ子どもの声が聞こえた。


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