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島のインじぃ言いたい砲台31 〜千代ヶ崎砲台 in 東京湾要塞〜  2023.3.18

千代ヶ崎ちよがさき砲台

 千代ヶ崎砲台(下①地図10)は、明治25年起工・明治28年竣工(完成)した、口径28cm榴弾砲6門・口径12cmカノン砲4門・口径15cm榴弾砲6門を備える砲台です。

①千代ヶ崎砲台説明板

 近くには、大正1年起工・大正14年竣工の千代ヶ崎砲塔砲台(下①地図26)もあります。砲塔砲台は民有地の農園で普段は入れないのですが、今回は日本城郭史学会見学会に参加させていただき、特別に見学することができました。

②東京湾要塞の砲台分布図(走水低砲台説明板より)

 前4回(言いたい砲台27〜30)同様、千代ヶ崎も横須賀市内ですが、横須賀市も結構広いです。千代ケ崎はペリーが黒船でやって来た浦賀の近くです。

③砲座の地下へ向かう塁道

 友ヶ島第3・4砲台(言いたい砲台19)は地下の迷宮みたいに地下施設が発達していましたが、ここもそんな感じです。
 口径28cm榴弾砲地下施設へ通じる塁道るいどうと呼ばれる坂道を降っていきます。ボランティアガイドさんが映えポイントと言ってました。石垣の質感と緩くカーブしてるのがイイ感じですね。  

④貯水所内部

 トンネルに入る手前に貯水所がありました。一見井戸みたいですが、覗き込むと下が巨大な水槽になっていて、雨水を貯める施設になっています。塁道脇の水路から水が集まってくるそうです。

⑤貯水所の入口横

 入口は防水性のある焼き過ぎレンガを使ってます。雨が吹き込んでも大丈夫なように、末広がりにレンガを並べます。イイ仕事してますね。

⑥棲息掩蔽部

 塁道にはずらっと棲息掩蔽部せいそくえんぺいぶが並んでおり、第8掩蔽部まであるようです。トンネル下の棲息掩蔽部をのぞくと、奥にランプの灯り取りの小窓が見えます。

⑦掩蔽部内部

 掩蔽部の奥にランプを置く点燈室があります。窓にガラスをはめて弾薬へ引火するのを防ぎます。

⑧点燈室

 点燈室のさらに奥が弾薬庫になっています。弾薬庫の天井には砲弾を砲座の高さまで引き上げる揚弾井ようだんいがあります。

⑨弾薬室内部、天井の穴が揚弾井

 地下から階段で上がると口径28cm榴弾砲の砲座へ通じる高塁道こうるいどうと呼ばれる通路があります。

10 高塁道から見た揚弾井
11 揚弾井天井部

 揚弾井の天井には砲弾を高塁道に引き上げるレールのような装置がありました。砲弾の重量は217kgだそうで、担いで階段を上がるのは到底無理です🥵

12 28cm榴弾砲砲弾

 高塁道から口径28cm榴弾砲の砲座へ出てみます。

13 高塁道から砲座への出口
14 口径28cm榴弾砲砲座

 地面を6m、すり鉢状に掘り込んで榴弾砲2門を設置する砲座を作ってます。

15 口径28cm榴弾砲砲座

 横殴りの雨になってきて、靴からズボンからびしょびしょです😭右翼観測所は民有地で特別に入れてもらったと思うんですが、記憶が飛んでます😭

16 右翼観測所

千代ヶ崎砲塔砲台

 砲塔砲台は千代ヶ崎砲台の東南200m程の位置にあり、千代ヶ崎砲台とはできた時代や経緯も違います。
 ここの砲塔は早い話が戦艦の大砲を取って付けたものです。大正11〜12年のワシントン軍縮条約で廃艦となった戦艦鹿島の大砲を陸上に移して、口径30cmカノン砲2門の砲台にしました。わが国で最初の砲塔砲台らしいです。

17  千代ヶ崎砲塔砲台

 残っているのは穴ボコだけですが、ここでテルマエ・ロマエのロケしたそうです。温泉掘ってる場面とか言ってましたが覚えてないなあ。

18 砲塔があった場所

 ありし日の姿はこんなだったようです。

浄法寺朝美『日本築城史』1971 p134 図17

 下は砲塔の真下の部屋だと思うんですが、倉庫になってました。総コンクリートで、遺跡という感じが全くしません。

20 砲塔の下の施設

まだ東京湾要塞続きます。

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