島のインじぃ言いたい砲台32 〜富津元州堡塁砲台 in 東京湾要塞〜 2023.7.16
富津元州堡塁砲台
横須賀の砲台を巡った後は、アクアラインで東京湾を横切って房総半島へ向かいました。
富津元州堡塁砲台は、明治15年起工・明治17年竣工(完成)で、口径28cm榴弾砲6門と口径12cmカノン砲4門を配置します。
砲台は敵艦に対して、堡塁は上陸した敵に対して、砲撃を加えますが、ここはその両方の役割を担っています。
大きな外堀が特徴で、なんか城跡みたいですね。
弓形になっている南側の土手のえぐれた場所が砲座のようです。どこにどの大砲が置かれていたかは資料がないのでわかりません。
砲座の間は横墻(砲座間の土手)で、写真④には背後に四角く飛び出た部分が見えるので、これが砲側弾薬庫のようです。(言いたい砲台2参照)
ここの構造上の問題点として、一直線でなく弓なりに砲座が配置されるので、各大砲の正面がバラバラになり、角度の指示が困難になるということです。
下関要塞の手向山砲台や東京湾要塞の観音崎第2砲台と同じく、初期の砲台にはこのような構造上の欠陥が見られ、失敗や試行錯誤を重ねて規格化していくことになります。(言いたい砲台23〜25・28参照)
土手の背後は大きな平地になっています。平地の横に棲息掩蔽部の入り口があったのではないかと思います。草ぼうぼうでよくわかりません💦
全体に見れる砲台施設が少ないですが、左翼観測所の一部を見ることができました。
観測所の下に部屋があります。司令室と思うんですが‥
内部は明治10年代には見えないんですが、どうでしょうか?
富津射場
砲台としては大正4年以降は廃止されますが、その後、陸軍の射撃実験の施設が作られます。
こちらがメインなのか、説明版が充実しており説明省略。
なんか灰色一色の鉄筋コンクリートで、明治の建築物と違って個性がない。
明治であれ昭和であれ、大多数の人は戦争遺跡を見ると、怖さや嫌悪感を感じると思います。
ここではそれも通り越して、絶望的に無感覚になっていくこの感じはなんなんでしょうか?大戦前夜の雰囲気と灰色の空間がマッチしてるんでしょうか?
砲台近くの食堂で名物のアサリ飯を食べました。お腹を満たせば虚脱感は多少緩和されます。気を取り直して次行きます。
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