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32歳男性の人生とCityCamp/OFF COLAというブランドに関するエントリー

※本記事はあくまでも私個人のエントリーであり、私が帰属するCityCamp株式会社公式の文章・文書ではありません。
※長いです。

こんにちは、"ばっち"と申します。趣味で"恋活塾"という女性向け恋愛相談活動をしている(近年低浮上)どこにでもいるごくごく普通の右耳が聴こえない成人男性ですが、最近は裏でコソコソ"CityCamp株式会社"というスタートアップ企業をCOOとして経営しております。悪の組織に追われているので、本名はIPO or 政界進出時まで公表しないつもりです。

ChatGPTの精度が上がることを祈っています。

本記事では、下記について書いていきます。

  1. 私の自己紹介 - 闇過去を含めた経歴の殆ど -

  2. 私の本業"CityCamp, inc."とその目指す先と求人

  3. 人生・キャリアについて漠然とでも悩んでいる方へのおせっかいなメッセージ

CityCamp、OFF COLA、ブランドを作ること、スタートアップ、急成長する組織、転職・副業、ばっち、などに興味のある方は以下駄文にお付き合いいただけますと幸いでございます。

求人

初っ端から結論を書きますが、下記ポジションで活躍していただける方を心底求めております。お力お貸しいただけそうな方がいらっしゃれば、お力お貸しください。お力お借りしたいです。

  1. CityCampというハコの事業責任者

    1. 飲食事業というよりはイベントスペースなどハコとしての運用

  2. 卸営業の強い方

    1. 大手や海外の販路開拓が得意な方(商材=ドリンク)

    2. 飲食店など対個店の営業を"したい"方(学生でも未経験でもOK!)

  3. SNSを分析・ハックしてプロダクト販売するのが強い方

    1. 幅広いor深い知見を基に、上流の戦略設計〜レギュレーション・オペレーション設計までできる方

  4. モール(GifteeやZEFT、TANP等)を運用してグロースしていただる方

  5. 10kg単位でスパイスを仕入れられるルートを持っている方

  6. ギフティング戦略強い方

などなど。
漠然とCityCampやOFF COLAというブランドをグロースするの楽しそう!という方でも、副業でも大丈夫です。YOUTRUSTInstagramDMでご連絡いただけると幸いです。

結論を話したのでこのへんで終わろうと思います。ありがとうございました。ごめんなさい続きを書きます。

私の自己紹介

まず、私のバックグラウンドについて長めに書きます。生々しい私のネガティブな側面も含まれるため、気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。予め断っておきます。また私に全く1㍉も興味のない方は、次項<CityCamp株式会社>まで読み飛ばしていただくことをお勧めします。

1990年12月24日生まれ、O型、ENTP-T、大阪出身の"ばっち"と申します。もちろん本名です(もちろん嘘です)。好きな食べ物は里芋とオクラ、嫌いなモノは鳩とグリーンピースとコンビニで現金払いをして後ろを待たせる人です。

幼少期 - 生死の境を彷徨う -

幼少期(4歳)に細菌性髄膜炎という当時では大病を患い、意識不明の重体となって生死の境を彷徨いました。当時の医学では「1週間意識が戻らなければ生命を諦めなければならない」と言われていたそうです。たまたまですが阪神大震災当日(1995年1月17日)にICUに救急搬送されました。結局、10日間意識不明の重体が続きました。奇跡的に覚醒したものの"言葉を発せず寝たきり"みたいな状態で「平均的な生き方はできない」と言われていたそうです。その後、なんかよくわからない回復力を示し、一応何不自由なく生活できるレベルにまでなりました(右耳だけ全く聴こえないもののマジどうでもいいレベル)。ちなみに同時期に当時1歳の妹も、私ほど重症ではなかったものの同じ病気で入院していました。4歳の息子は人生終了がほぼ確、1歳の娘も同じ病気で高熱で入院中、外は震災で超壊滅。当時、母は27歳、父は34歳。今の我々と同世代。尋常ならざる心境だったことは想像に容易く、それを思うと「ちゃんと幸せに生きねばな」と日々思います=たまに思います。

いや回復の速度えぐいな

高卒→整骨院→イケイケ大学生時代

小学生時代は無難に元気に過ごしました。中高は全国レベルの陸上競技部で最弱選手を張った後、高卒で整骨院にて働いておりました。その最中、マイケルジャクソンが亡くなったニュースを観て「僕もマイケルジャクソンになりたい!」と思い大学進学しましたツッコミは一切受け付けません。大学時代は色んな学生団体を立ち上げたりまとめたりまとめなかったりして、だいたい中心にいる目立つ存在だったと思います。

色んな大きな団体をやっていました

暗黒の社会人1,2年目

大学卒業後は、webマーケを得意とするベンチャー企業に入って働きすぎて2回倒れ(道端で倒れた&声が出なくなった)て秒速で退職しました。一度実家に戻って療養した後、大学時代にやっていた団体が成長し法人化されていたので出戻りしましたが、そこでも働きすぎたりして - 今考えるとシンプルに無能だっただけ - 鬱になって休職中、社員みんなで住んでいたシェアハウスから突如蒸発しました。人生で一番後悔しているアクションです。本当に申し訳ないことをしました。

https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5279/ より引用

ド底辺生活と"死"の意識

上記2回のドロップアウトにより、それまでの友人たちに合わす顔も、住む場所さえもなくなりました。2回目については友人はもとより、家族にも恥ずかしくて言えませんでした。つまり誰ひとり頼れませんでした。1ヶ月ほどスーツケースひとつだけを携え、都内で一番安いとてつもなく汚い民泊のベッドで1ヶ月間生活していました。電気ポットでそうめんを茹でて食事をとっていました。貯金がほとんど底を尽きました。このあたりで"生の諦め"をうっすら意識しました

たったひとり「私はずっと味方だからね」と言ってくれていた、本当に唯一の心の支えであった3年半交際していた彼女がいました。このタイミングで振られました。ギリギリのところで心を保っていられた拠り所であった存在が、最後の頼みの綱であった存在が、突然いなくなったことで私の生きる活力が底をつく音が聞こえました。自分にとっての人生のどん底を経験しました。"生の諦め"の天秤が大きく傾きました。結構ガチ目に「もう無理だ」って思いました

※相手を恨んでいたり負の感情は全く以って皆無です。

生か死か

ご存知の通り私はまだしぶとく生きているのですが、それはギリギリのところで諦めることなく生を"選んだ"というよりかは、死を選ぶ活力もなく惰性で生きていた、という表現の方が正しかったと思います。今もこうして人生が続いているのは、わりと本当にたまたまな気がしています

お金がなくなったので「死ぬか働くかのどちらかだな」「明日から働けなかったら人生むりぽ」という考えになりました。とりあえず「東京 求人 即日」と検索して一番上に出てきたところをポチったらすぐに電話がかかってきました。そして運良く即日で働き始めることに成功しました。あの電話がかかってきていなかったら、自分はどうなっていたのか正直わかりません。本当に。

これは今スクショしたやつ

派遣社員と生き地獄

派遣社員としてウイルスバスターのカスタマーサポート窓口のオペレーターの仕事を始めました。派遣社員として半年ほど働いた後に直雇用となり、管理職になり、お給料もわりといただけるようになりました。しかし、それらを嬉しいと思う感情はもとより、少しばかりのポジティブな感情すら一切なく、「あ、はい」という感覚しかありませんでした。

当時の私は、社会に対する - というより友人・知人に対する - "顔向けのできなさ"によって自己効力感や自己肯定感などは全くもって皆無でした。「自分はまじで低能・無能で社会の落ちこぼれだ」と強く強く思っていました。プライベートでは殆ど引きこもりの生活を送り、それが2年ほど続きました。

活躍する友人たちをSNSやニュースで認知する一方で、「自分はもうこんなふうに輝かしく楽しそうにイキイキと生きることはないんだろう」とキャリア=人生(とその頃は考えており)に対する諦めをハッキリと自分の中に感じていました。今となっては「これしきのこと」と心底思いますが、当時の私にとってその期間は"生き地獄"そのものでした。25〜27歳の時でした。

生き地獄で何をしていたかというと、本当に何もしていなくて、ホリエモンチャンネルを一生観ていた記憶しかありません。多分起業したりして"人生を巻き返したい"って気持ちだけはあったんだと思います(気力はなかった)。あと「この人も刑務所に入ってどん底を味わったんだよな。巻き返して今こうしてまた注目されるくらいになってるんだよな。」と、比べる人が遠すぎはしましたが、堀江さんの精神というか人生を垣間見て小さな勇気をもらっていたのは確かでした。

あとは、清廉潔白なイメージで活躍されていた知人が参院選に出馬表明したタイミングで、えげつない不倫報道が為され、それこそどん底に落ちていた真っ最中でした。年齢も生きる世界も少し離れてはいるけれど「今はお互い苦しいけれど、彼と共に這いあがるまで頑張ろう。」みたいなのもあって、それも一つの小さな光になっていました。「彼らに比べれば大したことないよな」って比べることも時には大事だと思いました。捕まってくださったり、不倫報道されてくださって(?)、比較対象になる地獄を公に見せくださって、本当にありがとうございました。

プライバシー保護のため目隠しを入れています

突然現る人生の恩人 - ターニングポイント -

2018年4月21日、地獄での生活を2年ほど過ごした頃、珍しく知人から連絡がきました。「ばっちっち、いまどこいてるん?」と。共通の友人が数十人以上いる知人であったものの、他人と連む(つるむ)ほうではなく一匹狼的なところがあると思っていたのと、"最近独立した"と庭の小鳥が教えてくれていたので、何かのキッカケになるかもしれないと思い、会ってみることにしました

まっしー登場

「人生を楽しいと感じられること」の奪還

会ってみました。とても困っているように見えたので手伝うことにしました。2人で"スタートアップというよくわからないもの"をやることになりました。そのスタートアップとやらはうまくいくかわからなかったのだけれども、これまでの"何のために生きているのかわからない人生"よりは幾分も、「生きている感」を味わえそうだったので、超楽で何も考えなくてもうまくいってそこそこお金ももらえてストレス皆無の職場をスグにやめました。これはちゃんと話し合って、出来うる限りチームに迷惑をかけない感じで円満に退職しました。

月収は半分くらいになりましたが、これまで完全に諦めていた「人生を楽しいと感じられること」を、取り戻すことができましたその知人は、私を人生のどん底の闇からすくい上げてくれた人生の恩人であり、一生頭の上がらない感謝してもし尽くせない存在になりました。まっしーありがとう今度マックシェイクおごります。

口があいている方がばっち、口が閉じている方がまっしー

そのスタートアップとやらでやっていたサービス内容は"ダイエットしている人向けの食べログみたいなやつ"と、そういう人向けの弁当販売、それからSEOメディアでした。やったことのほとんどが失敗しましたが、この間に頭も時間もお金も何もかもが足りない中で必死こいて考え抜いて色んな障壁を乗り越える中で学んだことはとても大きく、以後私の人生を好転させるには十分すぎる期間となりました。27〜29歳の時でした。

二度とやらん

機会の量・質の変容

本気で何かに打ち込んでいると、同じように何かに打ち込んでいる人たち、魅力的な人たちに沢山会えるようになりました。そういう人たちに会うチャンスと機会が増えたのもありますが、それよりも「自分は今こういうことを一生懸命頑張っているんだ」ということを自負することができるようになったことによって、自分に自信を持てるようになってきたことが大きなポイントでした。

「こと」って言い過ぎ

はじめての「自分で稼ぐ」

そんな中、久々に再開した友人が、中国から服等を仕入れて日本で売る越境ECでそこそこ稼いでいるという話を聞き、私にもできそうだったのと楽しそうだったのでそれをやってみたら、少しだけうまくいきました。初めて「自分で稼いだ」体感を得られました。それがとても嬉しかったのを覚えています。「これをもっとやってみたい」という気持ちになり、スタートアップとやらとはお別れしました。個人事業主とやらになりました。29歳の時でした。

幸か不幸かコロナ禍になり、オンラインで副業をしたい給料の下がったアパレルショップの店員さんが世に溢れ(Tinderで求人をしたら30分で100人以上の応募がありましたがすぐに垢BANされ多分永久追放されました)、そういった人たちに教えてまた少し稼ぎました。その他にも小規模事業の立ち上げをいくつか手伝ったりしました。女性の恋愛相談に乗るという趣味が始まりました。時間はかなり、お金は少し余裕ができました。29-31歳の時でした。

CityCamp株式会社

CityCampCEO 松池恭佑との出会い

2022年1月13日、特別仲良くはない人のInstagramアカウントで「新規事業のPMをやってくれる人いませんか?助けてください」みたいな内容のストーリーがあがりました。時間には余裕があったので「新規事業の立ち上げは得意だし軽く助けてやろう」くらいの気持ちでアポを取りました。

朝活グループが一緒だったが一度も話したことはなかった(と思っている)

フルベットで人助け

CityCampというよくわからない会員制のBARと、OFF COLAというよくわからないクラフトコーラを製造販売している会社をやっている人でした。たった一人でとても困り果てていて今にも倒れそうでした。私自身も暗黒の人生からすくい上げてもらった身でもあるので、「自分にできそうなことでできる人助けなら」と思い、リソースをフル動員して全面的に協力することにしました。COOとなりました。

事業再構築

まず固定費がしっかりかかるBARに集中し、既存の仕組みを全てぶっ壊して、ビジネスモデルから何から何までゼロから作り直しました。売上は5倍になりました。仕組みができたので人を採用して事業を回してもらうようにしました。BARが安定したのでOFF COLAに注力し始めました。主に採用を含む人材配置の最適化に注力しました。売上は5〜7倍になりました。そんなことを全力でやっていると、だんだん楽しくなってきました。

恵比寿の焚き火バー CityCamp
OFF COLA

勿論全てを私がやったわけではないですし、失敗したこと・迷惑をかけたことは山のように、もう本当に山のようにあります。全てを全力でできたとは到底思わないし、もっとうまくやれた・真摯に向き合えたみたいなことは沢山あります。そのゴミ山の中に、数個だけダイヤの原石があってそれを必死に磨いて何とか2,3個が紛い物なりにもぎりぎりダイヤと呼んでもまぁいいかくらいのものになった、みたいな感覚です。

気の狂った目標を掲げる

そして本年2023年に入り、CEOの松池と私の経営者2名で明確な目標を決めました。「3年後の2025年3月時点で売上年100億規模になっていること」としました。「30歳までに年100億の会社を作りたい」というCEOの夢を実現するために私は全力を注ぐことにしました。できるかどうか、現実的かどうかとかそんなことはどうでもよくて、なんかとても楽しそうだからやっている、という感じです。私が32歳の時、現在の話です。(そういえば新規事業はどこにいったんだ。)

おい、新規事業は。
YouTube登録者数156万人超のカノックスターと作ったDIET OFF COLAリリース記者会見
左から司会 菅明日香、カノックスター、CityCamp株式会社CEO 松池恭佑、レシピ監修 林巨樹
天下のPerrierさんともコラボさせていただきました

弊社の事業部の中身

そんなこんなで当初と比べてそこそこ成長したCityCamp株式会社の事業部は下記セグメントに分かれております。

  1. CityCamp事業部

  2. OFF COLA事業部

    1. web

    2. 生産管理・流通管理

CityCamp

CityCamp事業部は、そのまんま、"恵比寿の焚き火バー CityCamp"を運営する事業部です。飲食店というより、イベントスペースとしてのハコです。恵比寿駅から徒歩3,4分くらいで、そこそこお洒落で、そこそこ広い空間です。30人以上の飲み会・イベントで使いたい人が場所代をかけずに(諸条件あり)使える場所にしました。人気店になりました。リピ率が結構いいので、なんかいい感じのビジネスモデルなんだと思います。資料載せておくので使いたい方いらっしゃれば、CityCampのInstagramからDMをいただけますと幸いです。

OFF COLA

OFF COLA事業部は、弊社開発のクラフトコーラをwebと卸で売っていく事業部です。Amazon,楽天をはじめとしたモールハック、SNSやSEO等の色んな企画でマーケ。大型酒販店・代理店を通した卸販路dev、個店営業による直卸dev。それら全てに係る生産管理・流通管理。ちなみにめちゃくちゃうまい。若手では日本トップクラスのパティシエ"林巨樹" - あの商品やあの会員制パフェバーを作った人 - がレシピ開発しているのでそりゃあ、もう、うまい。

右半身がほぼ溶けた林巨樹

一緒にデカいブランド作ろうぜ

特にOFF COLA事業部は売上のアッパー(上限)が高く、100億までがんばろーってなってます。一旦今期の目標である6億は、計画上達成できそうです。但し、それにはまだまだ仲間が必要です。一緒に世界に羽ばたくブランドを作りませんか。というのが本エントリーの主メッセージです。


【特にほしい方】
1.CityCampというハコの事業責任者
飲食事業というよりはイベントスペースなどハコとしての運用
2.卸営業の強い方
大手や海外の販路開拓が得意な方(商材=ドリンク)
飲食店など対個店の営業を"したい"方(学生でも未経験でもOK!)
3.SNSを分析・ハックしてプロダクト販売するのが強い方
・幅広いor深い知見を基に、上流の戦略設計〜レギュレーション・オペレーション設計までできる方
4.モール(GifteeやZEFT、TANP等)を運用してグロースしていただる方
5.10kg単位でスパイスを仕入れられるルートを持っている方
6.ギフティング戦略強い方
などなど。

漠然とCityCampやOFF COLAというブランドをグロースするの楽しそう!という方でも、副業でも大丈夫です。YOUTRUSTInstagramDMでご連絡いただけると幸いです。

上の方に書いているやつもう1回

デカい会社・事業の要職に就いている人は能力が高く希少性もあると思うのだけれども、会社・事業をデカくした人はその更に何倍も上をいくと思っています。そういう人はあんまり多くない。本当に多くない。

私は一度地獄に落ちて、なんの能力も実績もなく人生に絶望していたところから、運良く右も左もわからないスタートアップの世界に飛び込むキッカケに出会えて実際に飛び込み、事業を伸ばすことだけを考えて考えて考え抜いてがむしゃらにやってきたことで、ほんの少しだけれども自信がついたし、生きることの楽しさを感じることができるようになりました。これを読んでくださっている方は、そんな絶望をしているわけではないかもしれないし、今もそれなりに楽しい人生を送っているかもしれない。それでも、何か感じるものがあったのだとしたら、また、世界に羽ばたくブランドの力になれそうかも感じたのだとしたら、Amazonの購入ボタンをポチるくらいの気軽さで、とにかく気軽にポチッと何かを押してほしい。あわよくば、このAmazonほしい物リスト内の購入ボタンも押してほしい。たくさん押してほしい。

人生に絶望している方へ

運と選択

程度の差こそあれど、大なり小なり、ご自身の人生に絶望することは誰にだってあることだと思います。私は人生そのものを諦めることが選択肢に入るくらいには絶望した身なのですが、そこから抜け出すことができた所以は「運」と「選択をしたこと」だと思っています。

たまたま、まっしーが連絡してくれただけ。たまたま、求人に応募したらスグに電話がかかってきて、たまたまスグに働けただけ。ただそこには「自分で選択をした」というアクションも確かにあった。誰にも会いたくなかったけど会いに行った。"東京 即日 求人"とググって応募した。生きていると何兆回、何京回と訪れる選択肢の波の中から、自分の意思で選び取って、それを正解にするためにまた生きる。それは「運」だけでは語れないことだと思います。

ダメになりそうな時に大事なこと

私は20代中盤は長い間ずっと、自己肯定感と自己効力感を失い、周りの友人たちが活躍する姿を見続け、「俺はなんの価値もないダメ人間だ」という自己認知に押しつぶされそうでした。そんなダメになりそうだった時に大切だったことはなんだったか。

負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。ダメになりそうな時、それが一番大事。

それが大事 / 大事MANブラザーズバンドより

どれや。結局どれが一番なんや。

この投稿自体はウケ狙いでポストしましたので悪しからず

本家の方の24年間の結論は「どれも大事じゃない」だそうですクソワロス

しかし私もそう思います。私は負けたし、投げ出したし、逃げ出したし、信じ抜けなかった。ダメになりそうな時、私は全部できなかった。ただ、生きた。ただ、本当にただ生きるだけだった。それを2年間続けた。いや、勝手に2年間続いた。そしたら「運良く」機会が現れた。それを逃さなかった。自分の意思で「選択」した。そしたら「運良く」好転した。

ただ生きること。そして自分の意思で選ぶこと。

ただ生きること。その中で出会う膨大な選択肢から、自分の意思で選ぶこと。それが大事MANなんじゃないでしょうか。もし、キャリアにおける悩みでCityCampや私が力になれることがあれば、稼働外時間を使ってでもお話聞かせてください。これも膨大に訪れる選択肢の一つだと思って。

どんな人生を歩もうとも、つまずこうとも、絶望しようとも。

ビジネスで成功するとか、納得のいくキャリアを歩むとか、人に価値を与えられているとか、私はそんなものが欲しかった。だからそうでない状態がとてもつらかった。でも欲しいモノは人それぞれなので、必ずしも誰しもにキャリアにおける成功とか納得とかが、人生の幸せに直結するものではないと思います。誰とも比較せず、自分がやりたいように、生きたい人生を、自分の好きに生きたらええと思います。それを実現するために乗り越えないといけないハードルがあるのなら、自分のペースで乗り越えていけばいいんだと思います。大事なのは、乗り越える過程でつまずいたとしても、絶望したとしても、「別にいい」ということです。生きていりゃ、いつか何かしら、笑える瞬間もくるはずです。選択肢は嫌でも膨大に訪れ続けるし、その度に好きなものを自分の意思で選べばいいと思います。

最後に、本当に絶望している時は、まずは「生きること」を選択して、その後誰かに話をしてください。誰もいなければ、InstagramでDMください。

P.S.
不倫報道で一度は地獄に落ちた知人は、先の参院選に元気に出馬して、私はその応援団に入りました。人生を諦めることなく、ただ生きて、生きて、生きたからこそ、数年越しにお互い地獄から這い上がることができ、見事落選することができました。これからも楽しくいきましょう。

#私たちはあきらめない
https://hochi.news/articles/20220619-OHT1T51255.html よりお写真お借りしました。

P.S.2
めっちゃがんばって書いたので、ポジティブな感想だけ送りつけてくれさい。拡散も嬉しいです。尻尾を振って喜びます。

さて、かなり真面目すぎる記事なった気がするので中和しておきますね。おっぱi

この記事を読んだ
𝑱𝒖𝒏𝒑𝒆𝒊 𝑯𝒂𝒈𝒊𝒉𝒂𝒓𝒂|我流の書道アーティスト
よりばっちへご提供いただきましたざす


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