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現地コーディネーター:第19話

 カズマと出会ったのは結婚二十周年記念旅行の時だから、もう十年近く前だ。当時中学生のエドウィンを留守番させ、妻の陽子と水入らずで自分の故郷や二人の思い出の場所を巡った旅だった。グランドキャニオンを目指して走るレンタカーの中かフラッグスタッフという街の道端に立つ一人のヒッチハイカーを見つけた。まだ十代後半の日本人の少年、カズマだった。

 カズマは粗野ながら純真で生命の輝きを放ち、大きな可能性を感じさせる原石のようだった。車の中では突然大声で歌い出したり、日本社会への鋭い批判をまくし立てたり、かと思えば何の脈略もなく突然泣き出したりと、不安定な若いエネルギーを遠慮なく身体中からほとぼらせるカズマを自分も陽子もすっかり気に入ってしまい、結局旅の共に何日か一緒に過ごしたのだ。

 その後もジェフは自社の社員がアメリカ出張する際には通訳コーディネーターとしてカズマに声をかけた。しかし一度彼が得意先とトラブルを起こしてからは声をかけることもできなくなった。それでも彼のことはずっと気にかけていた。だから、エドウィンのアメリカツアーガイドという案を思いついた時、自分は天才かと思った。カズマは破天荒だがエドウィンを危険な目に遭わせる事はしないだろうし、もう分別のある大人になっているはずだ。

 ジェフの視線がぼんやりとしたグラスに注がれている間、突如瑞々しく白い手がそれを掴む。顔を上げると、丁寧にグラスを拭く若いホステスの顔が浮かび上がった。自分は今日このクラブに接待できたのだった。得意先からの急な誘いを断れない自分はもう立派な日本社会の一員だと言えるだろう。それは複雑な気分だった。

 「未来」と名乗るその若いホステスは平らな顔に、小粒ながらも細やかな美しさを備えた瞳や唇が配置された和風の美女だった。おそらく自分の息子位の年齢だろう。ジェフは急拵えの笑顔で未来に少し気まずく会釈をした。

 向かいに座ったクライアントは熟練のホステスと和気藹々と話しているジェフは会話の内容も完全に見失っていたが、気にかけている事を主張するように相槌を打った。

「ジェフさん、アメリカのどこ出身なの?」
 未来はジェフの水割りのウイスキーをかき回しながら囁くように尋ねる。
「ニューメキシコ州だよ。Alburquerqueっていうトコロ。知らないでショ」
 皮肉っぽく笑って言うと未来は興味深そうに身を乗り出した。

「アルバカーキって『ブレイキング・バッド』の?すごーい、行きたい!」
 自分が密かに楽しみにして毎週観ているアメリカのドラマだ。予想外の言及にジェフは顔を緩ませた。
「若い女のコもそんな番組観てるんだネ。アメリカに興味あるの?」
「そうなの。実はアメリカに留学しようかなって。アメリカに住むのって大変?この仕事でどれくらいの生活費貯められるかな?」
 未来は悪びれもせずジェフに打ち明ける。最初から随分と個人的な事を話すもんだ。水商売にまだ慣れていないのだろう。でもこの世代に相談をされる事なんてなかったので悪い気はしなかった。

「アメリカなんて楽勝ダヨ。僕の息子もちょうどアメリカ行っているんだ」
未来は羨ましそうに目を細めた。
「息子さんってどんな人?ハーフって事よね?したらきっと男前ね」
「うーん。見た目は悪くないと思うヨ。僕に似て」
 ジェフと未来は同時に笑い、ジェフが続ける。
「ただあまりカッパツじゃない。いつも家でゲームしたり、全然外出ない」
「えーじゃあ引きこもりってこと?ハーフで引きこもり?なんかウケる」
 別にウケないヨ。ジェフは心の中でそう答える。

そしてジェフは気付けば、エドウィンにいかに主体性がないか、何をしたいのかもわかっていないこと。そしてエドウィンを一人で旅に送った親心、そんな事を話し始めていた。慈愛深い表情で頷きながら話を黙って聞いてくれる未来を肴にいつも以上に早いペースで酒が進む。初めて日本に来たときはこの「クラブ」というものの存在意義が全くわからなかった。でもこの年になって、これだけ日本社会に馴染むとなんだか急にしっくりくるから不思議だ。

「二十年以上も一緒に住んだのに僕はエドウィン全くわかってないんダ。彼くらいの年にはもっと希望とか情熱とかたくさんあった。早く家を出たかった。でも彼はずっとこもっテル」

 未来は初めて口を挟んだ。
「家に居てくれるなんて親としては幸せなんじゃない?いくら家族だって結局は他人なんだし、自分の思い通りにはならないわ」

 ジェフは首を大きく横に振り、グラスの残りを飲み干す。
「思い通りなんて期待してナイ。タフになって欲しいダケ」
 未来はすぐに空になったジェフのグラスを茶色の液体で満たすと、独り言のように呟いた。
「どこの親も自分の子供に満足できないのね」
「Because we love them!(それは愛してるからだよ!)」
 ジェフは思わず口をついた英語に気づき声のトーンを落とした。

「君はずっとしっかりシテル。自分で稼いでアメリカ留学って。嫌なオジサン相手に我慢して仕事して」
「嫌なオジサンってジェフのこと?」
 未来がからかうように言うと、ジェフは口をすぼめた。

「冗談よ、ごめん。でも嫌な仕事だとは思ってないわ。早く海外行きたいから頑張れるし。私だって何がしたいとかどうなりたいとか、立派な目標なんてないし。本人が満足してるならいいと思うけど」

「満足してるわけがないヨ、あんな単調な生活で。井戸の中のカエルになってほしくない。大きな海のことを知って欲しいんだヨ」
「その諺、続きがあるの知ってる?『されど空の深さを知る』って」

 ジェフは井の中のカエルが空を眺めているイメージを頭の中に浮かべた。
「面白いネ、知らなかった。…でも彼は空の深さも知らないヨ」

 愚痴が続いた事に気づき、ジェフは未来の興味のありそうな話題に切り替た。アメリカの最近のドラマのトリビアやお騒がせの大統領の話などから始め、気づけばジェフが十代前半だった頃の昔話になってしまった。六十年代はケネディ暗殺、ベトナム戦争、アポロの月面着陸、ウッドストックーそんな歴史的な出来事が立て続けに起こり、忘れ難い大きな意識の変革があったのだから仕方ない。

 未来の相槌が減ってきているのに気づいたジェフは彼女の顔を伺う。
「ごめん、つまらない話ばっかしちゃって。飲み過ぎタ」
 未来はくすっと微笑んだ。
「全然つまらなくないよ。私もその時代に生まれたかったって思うもん」
 ジェフが顔を綻ばせると、未来は少し顔を引き締めた。

「•••でもジェフはこれからの時代がどうなればいいと思っているの?だってそんな理想に燃えて行動を起こした人が作り出したのが今の時代でしょ?」

 図星すぎて一瞬言葉を失った。資本主義に反対しコミューンを形成して愛や平和や綺麗事を唱えていた連中の多くは、結局のところ資本主義を動かす駒になりさがったのだったーもちろん自分も含めて。そしてこの地球を一番破壊したのも我々の世代だ。

「そうだね」
 精一杯の短い返事をするジェフに未来がたたみ掛けた。

「産業革命が目の前で起きる中で育って、何か世界がすごくよくなるんじゃないかなって子供の時にぼんやり思ってたの。検索サイトが世界の知識を平等にするとか、SNSで弱い人にも発言権ができたとか。でも結局は権力を持つ人間が変わっただけで人間の本質ってそれほど変わんないんだって気づいた。商社の社長もテレビ局社長もIT企業社長も結局同じ」

 ジェフは頷いた。今の時代、しかも高齢者の権力が圧倒的なこの国に置いては、エドウィンのように言いなりに生きるのがもしかしたら一番賢明な選択なのかもしれない。ひきこもりやニートと卑下される連中は、彼らなりの抗議をしているだけなのかもしれない。

         *

深夜の六本木通りはいつまでも遊び足りない若者たちがはしゃいでいる。ジェフはタクシーに乗り込み、未来という若者と交わした会話を反芻していた。久しぶりに酔っ払ってしまったジェフの脳裏には、彼女の輝きが焼きついていた。長い間閉ざしていた自分の根本にある何かが小さな閃光を放つような感覚になるのだった。

 黙考しているジェフを運転手がバックミラー越しに心配そうに見ている。ジェフは目が合うと思わず恥ずかしくなり顔を赤らめた。

「恥の文化」というのも歳月とともに刷り込まれるのかもしれない。
 運転手が降車住所を確認するとジェフは一瞬だけ考えて答えた。

「手前の公園で降ろしてくれるカナ?夜風に当たりたい」
 運転手は黙って頷いた。

 程なくして到着し、ジェフは運転手に五千円札を渡し、釣りを待たずにタクシーを降りた。思った以上に足元がふらついている。オレもずいぶん歳をとったものだー英語でそう独り言を呟く。何とか態勢を立て直しながら歩を進める。

「自動販売機、素晴らしい日本の文化」
 ジェフは煙草の自販機を親愛の情を込めて叩くと、知らないうちに随分色んな種類の品物が増えている事に気づく。久しぶりにタバコが吸いたくなり、千円札を入れて赤マルボロのボタンを押した。

「タスポを入れてください」
 一瞬何の事かわからず戸惑うが、そういえば専用カードが無ければ自販機で煙草も買えなくなったと以前誰かから聞いた気がする。知らないうちにこの国は規制が増えているようだ。ジェフは仕方なく、隣に並んだ飲料の自販機から馴染んだメーカーの緑茶を買った。

 通りを挟んだ公園で、制服姿の男子高生四人組が煙草を吸いながらたむろしているのが目に入る。こぶし大の簡易スピーカーにスマホをつなげ、雑談のBGMにしているようだ。流れているのは自分の若い頃ヒットした、青い目の男の哀しみを歌った曲だった。

(若いくせに気の効いた曲をかけるじゃないか)

 勝手に親近感を感じ、ジェフは彼らから少し離れたベンチに腰を下ろした。他愛のない会話の合間に聞こえる音楽と夜の闇に溶けていく煙草の煙。自分が彼ら位の年齢の時に行ったウッドストックの記憶が蘇ってくる。

 するとまるで計算されたようにジミ•ヘンドリックスの演奏するアメリカ国歌が次に流れてきた。自身の記憶とのシンクロにジェフは体の芯が熱くなっていくのを感じた。そうだ、昔は音楽をいつもこんな風に全身で感じていたのだーこの熱い感覚が無くなってしまうなら死んでしまった方がマシとさえ思っていたのだった。

 高校生の一人が、ジミヘンが如何に凄かったかとうんちくを垂れた後、くわえ煙草のままギターを弾くふりをした。ジェフはそれを目の当たりにすると無意識に千鳥足でそちらに歩み寄った。そして負けじとエアギターを披露した。妄想の観客の歓声がジェフを煽り、ジェフは膝をついて妄想のギターに噛み付いた。

 高校生は半ば恐怖に仲間と顔を見合わせ、何かひそひそ話を始めた。「ガイジン」という単語だけが演奏の終わったジェフの耳に入る。

「ガイジンなんて呼ぶな、マザーファッカー!オレはアメリカ人だ!」

 ジェフはアルコール臭のする顔を彼らに近づけ英語で叫ぶと、怯えた様子の高校生の煙草をかすめ取り、それを自分の口にくわえて煙を宙に吐き出す。そして閉じられた住宅地の静かな夜の空に向かって再び叫んだ。

「オレの息子はアメリカにいるんだ!我が母国のアメリカに!」

第1話〜第18話はこちら👇


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