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現地コーディネーター:第27話

 突然頭を揺さぶる衝撃で、助手席のカズマは熟睡から目を覚ました。夢の続きを見ているような不思議な感覚だ。窓の外に目をやると砂埃が舞っている。車体は道路から五メートルほど離れている。隣のエドウィンはハンドルにしがみつくように前屈みになって青ざめた顔をしている。

「…事故った?」
「アルマジロを轢きそうになって。急にあんな物体が出てくるなんて思わなくて…避けようとしてハンドル切ったらコントロールがきかなくなって」

 カズマは助手席のドアを開け外に出た。右側の前輪が完全に潰れている。サボテンでも踏んでしまったのか、すり減っていたタイヤが急なステアリングに耐えられなかったのか、見ただけではわからなかった。

「ごめんなさい」
 エドウィンは泣きそうな顔で弱々しく呟いた。事故の事よりもエドウィンの自信が消えてしまわぬよう、カズマは淡々とエドウィンに伝えた。

「しょうがないよ。車の寿命だな」
 カズマの慰めにもエドウィンは肩を落としたままだ。
「でも困ったな。スペアのタイヤも無いし、こんな場所に修理会社もこれるかどうか…」

 カズマはポケットから携帯を取り出すが電波は一切入っていない。見回す限り砂漠が広がり、道の遥か先に大きな岩山が見えるだけだ。その向こうに何があるかもわからない。

 陽は既に西に傾き始めている。カズマが車の後部ボンネットを開けると、リアエンジンに巻きついたベルトが破れていて、シャフトの辺りからは小さな白煙が上がっていた。

「この車、何キロ走ってるんですか?」
 エドウィンは初めて覗く旧型ビートルのエンジンルームの老朽ぶりに驚いた様子で尋ねた。

「買った時で十五万マイルくらいだったから…キロでいうと二十万キロくらい?だから現時点で三十万キロくらいかなあ、多分」
 カズマは頭でマイルからキロへの換算をしながら伝える。

「そんな状態の車で全米横断しようなんてよく思いましたね」
 エドウィンがわずかに威勢を取り戻して言うとカズマは苦笑いをしながら首をすくめた。

 車はそれから一時間弱一台も来ないまま、カズマの煙草の吸い殻だけが砂の上に重なっていく。

 夕日が岩山の向こう側に容赦無く落ちていき、砂漠の上で立ち往生したままのビートルは細長い影を道路に向けて伸ばしている。同時に気温も下がり、喉もだんだん乾いてきた。ここで一晩過ごすことだけは避けなければならないと二人は同じ事を考えた。

「カズマさん、一台来ます!」
 エドウィンが突然大声をあげた。そして車線に向かって走り出し、親指を宙に差し出す。カズマは横目でエドウィンの様子を眺め力なく呟いた。

「轢かれるぞ。知らないアジア人なんて誰も拾ってくれねーよ、今の時代」

 ヘッドライトが段々近づいてくる。エドウィンは道の真ん中に飛び出して弧を描くように両腕を振った。するとその車は巨体に似合わぬ甲高いブレーキ音をあげ、エドウィンから二メートルの距離で停止した。モーターホームのようだ。

 小高い運転席の窓から三十代位の男が浅黒いしかめ面を出す。鷲鼻で尖ったほお骨、はっきりとした骨格でアジア系ともヒスパニック系とも言えぬ、エキゾチックな顔つきだ。

「危ねえな!何してんだ、こんなとこで?」
 エドウィンは運転席に駆け寄ると哀願するように男を見上げた。そして路肩の向こうの砂漠で往生するビートルを指差し、大きな身振りとシンプルな英語で必死に伝えた。

「車壊れた。タイヤ、パンク」
 男は斜めに傾いた惨めなビートルと、そのボンネットに力なく座るカズマの姿に目をやると、やれやれと大きなため息をついた。そしてモーターホームを徐行させてビートルの目の前に停めた。エドウィンは興奮に目を大きく見開き、お辞儀をした。

「ありがとう。僕はエドウィン」
 エドウィンが息を切らせながら自己紹介をすると、男はデビッドと名乗った。デビッドは面倒臭そうに鼻を鳴らし「ちょっと待ってろ」と言って、運転席から姿を消すと、数分後に工具箱を持って降りてきた。黒いパーカーを脱いでタンクトップになると、肉体労働者然とした太い腕とそれを覆い尽くすいくつものトライバルのタトゥーが目を引いた。デビッドはビートルのフロントとモーターホームのバンパーを手際よく牽引用チェーンで繋いだ。

「ここから二時間の所にアルバカーキという街がある。俺もそっちに向かってるんだけど、とりあえず今日はそこで一泊して、朝に車を修理に出そう。この車に直す価値はないかもだけどな」

 カズマは力なく首を縦に振った。確かにこの車の状態では修理代分で安い中古車が十分購入できるだろう。

「アルバカーキに行ってくれるだけでも助かる。そこからだったらグレイハウンドバスでフラッグスタッフまで行けるだろうし。そこまで行ければ後は自分たちで何とかできる」

 デビッドは頷くと親指で後方を指し、とりあえず乗れという合図をした。カズマとエドウィンはお互いに安堵の息を漏らし、タラップの壊れた高い車体に飛び乗った。モーターホームの後部の脇には破れたレザーのカウチがあり、その奥にシングルベッドが見える。お世辞にも清潔には見えないキッチンや、カーテン代わりにかかったバスタオルが生活感を感じさせた。

 二人がカウチに腰を下ろすのを確認するとデビッドはエンジンをかけ、陽が沈んでいく大きな岩山に向かってモーターホームを始動した。

「フラッグスタッフに行きたいってグランドキャニオン観光か?」
「それもある。あとはチューバ・シティ。フラッグスタッフの近くにある小さな街だ。どちらかというとそっちがメインなんだけど」

 カズマがそう答えるとデビッドの声のトーンが変わった。
「お前ら観光客がレズに何の用だ?」

 「レズ」とはネイティブアメリカンの保留地を指すスラングだ。デビッドの粗っぽい語気から、カズマは彼がきっとネイティブである事を察した。

「冷やかしで行くわけじゃない。ナバホ族の知り合いが住んでいるんだ」

 強張ったデビッドの表情が少し緩む。
「そうか、知り合いがいるのか。前にも行った事はあるのか?」
「随分前だけどね。エドウィンにとっては初めてだけど、彼の親父
がその男をよく知ってるんだ」

 カズマはこの大事な救済者から信頼を得るべく、これまでの旅の経緯や二人のバックグランドをできるだけ丁寧に説明した。デビッドの表情は少しずつほぐれていく。カズマが一通り話し終えるとデビッドはお返しと言わんばかりに自分の事を話し始めた。

 自分がナバホ族の父親と白人の間に生まれた混血で、保留地に生まれ育ったという事―十八歳の時にトラブルに巻き込まれて逃げるように故郷を離れた事―その後地方のインディアン•カジノでしばらく働いていた事―そこでトラブルを起こして辞めて以来このモーターホームで放浪を始めた事―放浪する土地土地で機械工やらバーテンなど一時的な仕事をして食いつないで今に至るという事ー

そんなデビッドの話にカズマとエドウィンはのめり込み車は荒野を走らせ続けた。濃縮されたようなオレンジ色の大きな夕陽がガラス越しに三人の顔を煌々と染め上げている。

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