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現地コーディネーター:第23話

 目が開いて辺りを見回すが一瞬自分がどこにいるのかわからない。ベッドサイドテーブルに備え付けのデジタル時計が赤い点滅線で十時半を示している。ホテルのベッドはなんて快適なのだろうーカズマは天井に備え付けられ静止したファンをぼんやりと眺めた。長時間運転で疲れた体が少し軽くなった気がする。

 体を起こし部屋のデスクに目をやると、昨夜描きかけでやめた絵があった。「自由である事を意識して描いた」感じが我ながら鼻につき、カズマはスケッチブックからそれを乱暴にむしり取ってクシャクシャに丸め、小さなゴミ箱に投げ捨てた。もう本当に自分は終わりなのかもしれない。エドウィンの言う通りだー自分はこの国で一体何をしたいのだろう。

 簡単な身支度を整え、急ぎ足で一階ロビーまで降り、終了間際の朝食ビュッフェに何とか滑り込んだ。他の宿泊客はとっくに外出してしまっているのだろう、ダイニングルームにはカズマの他に誰もいなかった。

 簡易料理の並んだ長テーブルからフルーツ盛り合わせをボウル一杯によそい、フレンチトーストとハムを皿に乗せると、カズマはそれらを一つずつオレンジジュースで流し込んだ。

 今日がいわゆるマルディグラ本番で、ファットチューズデーとも呼ばれる火曜日だ。この日を最後にクリスチャンは禁欲週間に入るらしいが、昨日の狂騒ぶりを見た後ではにわかには信じられない。

 カズマはホテルを出ると当てもなく歩を進めた。ニューオーリンズ特有の二階に突き出した鉄製のバルコニーにはすでに人がひしめきあっている。
映画「イージーライダー」をふと思い出した。あの路上での乱痴気騒ぎのシーンは今思えばマルディグラだったのかもしれない。自分がアメリカに憧れるきっかけにもなった映画だった。

 その後渡米して目の当たりにした実際のアメリカは映画で描かれた六十年代終わりのそれとは全く違うものだった。それでもジャック•ニコルソン演じるアル中弁護士の有名な「自由」に関する独白と悲劇的な結末は普遍的な真実としてカズマの心に強く焼き付いていた。確かこんなセリフだった。

「アメリカ人は自由が一番大事だ何だと騒ぐが、本当に自由な人間を見ると怖くなってしまうのさ」

 比較的混み合っていない大通りを止めどなく歩いていると、場違いにも感じる墓地が目の前に出てきた。何という運命だろう、カズマは思わずにやけたー映画に登場した墓地とそっくりだったのだ。

 カズマはまず一服しようと墓地の柵の外に置かれたベンチに腰をおろし、丁寧に煙草を巻いて火をつけた。白い煙が墓場の方に吸い込まれていく。曲がり角から黒のロングコートとトップハットに身を包んだ男が近づいてくる。大きな影のようなその男は近くまで来ても真っ黒なままだった。

「一本くれないか?」

 カズマの目の前で立ち止まった男の白い歯がのぞく。ニューヨークだったら無視していただろうが(反応していたらキリがないくらい煙草乞がいる)、機嫌の良いカズマは火をつけたばかりの自分の煙草を差し出した。

「感謝するよ。マルディグラは初めてかい?」
「まあね」
「ニューオーリンズは?」
「初めてだよ、いい街だ。ところで変わった格好だね。クールだ」

 男はこれがブードゥー教の正装なのだと言い、カズマは感心したように大げさに頷いた。

「君は異世界―つまり真実のある世界に―行く価値がある人間だ。興味
はあるかい?」
 カズマが眉を顰めて顔を上げると、男はコートの内ポケットからパイプを取り出してカズマの手に握らせた。

「煙草のお礼だよ」
 動物の骨で出来た少し黄ばんだ白いパイプには茶葉のような物体が詰まっている。

「変わった色のハッパだね。吸っていいって事?」
「もちろん。でも二吸いまでだ。それから君は自分の中の奥深い世界に―――行く事が―できる」

 まるでスロー再生をしているかのような口調と手振りだ。カズマはたかがマリファナで大げさだなと心の中で嘲笑いつつ、そのパイプに火をつけ大きく息を吸い込んだ。喉を通る風味がマリファナと全く違う―思わず男の顔を見上げると無表情にパイプ内の草の塊を円を描くように火であぶっている。男が目で合図をする。カズマは覚悟を決め、二服目を深く吸い込んだ。

 息を止めた瞬間にカズマは突然ヒザから崩れ落ちた。そして瞬く間に周りの世界が二次元に切り替わる。建物との距離感覚や平衡感覚が一切失われ、鮮やかな極彩色に塗られた平面の景色が目の前でめくれるように回転する。体は金縛りにあったように硬直して動かない。これはマリファナじゃない―カズマは呆然と男を見つめるが、男はカズマの見ている幻覚の景色を品定めするように眺めていた。

「Good Luck knowing yourself(自分を見つけれるように幸運を)」
 男は軽くカズマの肩をポンと叩くとそう言い放ち、視界から突然消えた。カズマの体は気怠く痺れて細かく震えている。視界はどんどん狭くなり、突然目の前に現れてきた急高配な坂のトンネルを超高速で降り始める。

「これは小さい頃何度もみた夢だ。オレは今タイムマシーンに乗っている」

 半意識が自分にそう伝える。デジャヴのようであり、また完全に不可思議な世界が色濃くカズマの目の前に映し出されている。幻覚だということは頭の奥で認識しているのだが、自分の意識の大部分が幻覚の側にいてそこから抜け出す事ができない。

 トンネルを抜けきると急に夢から覚めたように自分の視界が現実に戻った。目の前にはさっき見たままの木々があり、バルコニー付きの家があり、背後には墓地がある。だが細部はまだ歪んでいて、体は相変わらず動かなかった。通りの向こうから若いカップルが歩いてくる。素面のふりをしようと体を起こそうとするが自分の意識とは裏腹に緩んだ口元から涎が流れ落ちてくる。

 カップルが近づいてくるにつれその顔が段々明らかになっていく。―それは若き日の父と母だった。父の頭からは角のような骨張った黒い物体が生えて、瞳孔を大きく見開き、牙をむいている。嫌悪感と恐怖心がカズマを支配する。隣に並んだ母の背中からは翼が生えていて、スイカ大の球体を大事そうに胸元に抱え撫でている。

 その球体は自ら回転し、こちらを向いたーそれはカズマ自身の顔だった。いつの時期の自分なのかはよくわからない―だが間違いなくいつかの自分だ。それは今ここに実在する自分を嘲笑っているようにも、同情しているようにも見え、母の腕に抱かれたまま自分のそばを通り過ぎて去っていく。突然父の声が空から聞こえた。

「一人で歩け!」

 すると母の声が地面から鳴り響く。
「あなたは世界で最もピュアな星なのよ。ごめんね」

 母の顔をもう一度見たいと願うと彼女は足を止めてこちらを振り返った。そして抱えているカズマの頭を思い切り地面に叩き付けた。頭はガラス細工のように地面で粉々に砕け散った。

 カズマはその風景をどうしようもなく見つめた。体は鉛を飲み込んだように重い。頭に霧がかかったようにモヤモヤし、無意識に涙がとめどなく流れていた。涙は頬を伝わず宙を舞った。その脇を小さな赤い魚が泳いで通り過ぎていく。

 大きな影がこちらに向かってくるのが見えた。警察ではないだろうか、それともまだ幻覚が続いているのだろうか。カズマは何とか体を起こし、追いかけてくる影から逃げるように歩き始めた。その影は自分自身のものである事にカズマは気づいていなかった。
  
(第1話〜第22話👇)


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