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最初の最初から間違っていた新型コロナ対策の話

私はよく2020年春から各国政府のやってる新型コロナ対策に異を唱えていた話をするけど、それは「私は最初から気づいていた」自慢をするためじゃなくてね。
「各国政府も最初から気づいていたんじゃないか?」
って疑っているから。
その理由は、最初の最初。武漢のロックダウンのデータから。

武漢のロックダウンは効いたのか?

欧米諸国が武漢での新型肺炎の流行に気が付いて「アジアからの旅客はシャットアウトだ!」なんてザワザワしたあと、自分たちの国でも発生したときに彼らがやったのがロックダウン。マスクや検査なんかより先にね。

それは武漢での流行時にやったロックダウンに「効果があった」とみなしたから。つまり「ロックダウンしなければ武漢ではもっと長く流行が続き、もっと死者がでた」と思ったからなんだね。

その武漢のロックダウンについての論文がこちら。2020年2月のレポート。

COVID-19 の世界的な広がりとパンデミックの可能性
Global spread of COVID-19 and pandemic potential
https://jglobalbiosecurity.com/articles/10.31646/gbio.55

この論文のグラフを見ると、武漢のロックダウンは1月23日から始まり、なんとか感染者の増加を抑え2月5日にピークアウトしたように見えます。
論文にも「ロックダウン戦略の影響を示す良い証拠です」と書かれていますね。

COVID-19 epidemic curve, China, Dec 31 2019 – February 25th 2020*

でも、この論文が完全に無視しているのは、新型コロナ感染は発症までの潜伏期間と、それを発表するまでのタイムラグがあるということです。
 
 
ここで別の論文を見てみます。
中国武漢における流行の初期段階におけるCOVID-19による死亡の疫学的特徴
The epidemiological characteristics of deaths with COVID-19 in the early stage of epidemic in Wuhan, China

この論文には武漢で新型コロナで亡くなった方々の「発症日(黄色)」「診断日(水色)」「死亡日(赤)」がグラフで表されています。
当時発症までの潜伏期間は1日~2週間、平均5日間との言われていましたから、発症日の曲線をなぞったもの(赤い線)を5日遡らせて描いてみました。

「発症日(黄色)」「診断日(水色)」「死亡日(赤)」「感染予想日(赤線)」

これを見ると、発症日のピークがロックダウン当日。つまりロックダウンを始める前に武漢では感染はピークアウトしていたということです。全然「ロックダウン戦略の影響を示す良い証拠」ではありません。

でも、これ武漢のグラフですしね。論文の発表も2020年の年末です。これじゃ冒頭の「気づいていたんじゃないか?」っていう推測には至らないかもってなりますよね。ところがそんなはずはないんです。

本当のピークアウト日を世界は知っていた

2020年2月に中国、ドイツ、日本、韓国、ナイジェリア、ロシア、シンガポ ール、アメリカ合衆国、世界保健機関(WHO)の国内外25名の専門家から構成された合同ミッションがこんなレポートを発表しているんです。

コロナウイルス感染症に関するWHO ・中国合同ミッション2019(COVID19)報告書
who-china-joint-mission-on-covid-19-final-report.pdf

以下の図は中国全土で2020年2月5日、12日、20日時点の検査確定患者の流行曲線を、発症日別、報告日別に示したもの。1月10日から22日にかけて急速に流行が拡大し、1月23日から27日にかけて発症の報告例がピークを迎え、その後、2月1日に急増した以外は順調に減少していることがわかります(武漢の2/1だけぴょこんと発症者増えていますけど、後から急に付け足された感じですね。その日だけ突出して発症するのもおかしいので、12日の報告で発症日不明の人たちをこの日に集中させたと予想します)。

図2 2020年2月20日現在、中国で報告されたCOVID-19実験室確定症例の発症日別疫学曲線。
図3. 中国全土の検査室確定COVID-19症例
2月5日(上段)、2月12日(中段)、2020年2月20日(下段)時点での
発症日(青)と報告日(橙)による流行曲線。

さて、この報告を見る限り、日本を含むWHO合同ミッションの国々は1/23~27日の間に発症がピークアウトしていた、つまり武漢のロックダウンはピークアウトに寄与していないということを知っていたことになります。
それなのに世界各国は競うようにロックダウンを始めます。「きっと感染が拡がる前なら効果はあるはずだ!」と思い込んだのかも知れませんし「効果がなくてもやらないよりマシ」なんて思ったのかも知れませんね。

その2月後日本も同じ轍を踏んだ

ところで上記のグラフを見て何かを思い出した人いませんか?
そう、日本の「緊急事態宣言」のときの実行再生産数のグラフです。
西浦博士が「8割行動制限しないと40万人が死ぬ」と訴えられて、当時の安部首相が「人の接触を最低7割極力8割減らせば2週間後にはピークアウトさせて減少に転じさせ、爆発的な急増を押さえ、クラスター封じ込めにも成功すると見通し」と始めた4月7日からはじまった緊急事態宣言です。https://www.bbc.com/japanese/52199465

みんなきっちり守ってステイホームしましたね。
「今日の外出が誰かを殺してしまう」とワイドショーに脅されましたよね。
その20日後、国立感染症研究所から出たポートがこれです。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.04.26.20081315v1.full.pdf

発症日(青棒)と感染予想日(赤線)。黒い線は緊急事態宣言

日本でも緊急事態宣言より1週間も前に発症のピークを過ぎ、感染は3月後半にはピークアウトし減少を続けていたところだったんです。このレポートが発表されたのが4月26日。宣言の期限は5月6日。安部首相が言っていたようにピークアウトを目的とした行動制限ならすぐに解除してもいいはずでした。そうでなくても5月6日には終わっていいはずでした。しかし、政府はあろうことか緊急事態措置を延長します。新型インフルエンザ等対策特別措置法第 32 条第5項の規定に基づけば「緊急事態措置を実施する必要がなくなったと認められるときは、速やかに緊急事態を解除することとする」と書面に書いておきながらです。

https://corona.go.jp/news/pdf/kinkyujitaisengen_gaiyou0504.pdf


なんのためのロックダウンだったのか?

同じようなことは諸外国でも起こっています。効いたのか効いてないのかわからないロックダウンを新型コロナが流行するたびに繰り返します。行動制限などしなくても感染がピークアウトすることを知っていたのにも関わらず。
 
厳しい行動制限とステイホーム。外に出たら誰かを殺してしまうという呪いの言葉。人々は思い知らされました。

「コロナってこんなに恐ろしい病なんだな」

当時の日本の死者は例年よりずっと少なかったのですが、それは「自分たちがステイホームしたおかげだ」と信じ込んだんです。

あの頃、欝々としながら、おうちタイムを楽しみながら解放の日を待ち望んでいましたね。あのストレスフルな日々があったから、生活や経済活動への不安があったから、治験中のワクチンに皆が飛びついたのではないですか?
そして互いを監視しあうような、思いやりを強制するような社会になったのではないですか?
 
もしあのロックダウンや行動制限の日々がなかったら?
コロナが恐ろしい病だと思いこまなかったら?
こんなにワクチンを打ったりしたでしょうか。
思いやり強制社会を受け入れたでしょうか。

今は街に人が溢れ、みんなコロナなんてもう怖くないようです。
超過死亡は戦後最大級に増えて行っているというのに。
今受け入れることができたことを、あの日々にできなかった理由。
そして、莫大な財源を使い、子どもたちから笑顔と青春を奪いながら、効果のない行動制限を政府が我々に強いてきた理由を、私たちは考え、問うていかなければいけないと思うのです。

死者がほとんどいなかったころに恐怖に震え、死者が増えてから恐怖から解放される日本

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