【子育て】大変さの種類が変わった
こんにちは。
都内でベビーシッター業をしているアサミです。
今日は自身の子育てについてです。
我が家にはふたりの娘がいます。
きこえる長女と
耳の聞こえない次女。
いまは遠い目をしながら頭の片隅の記憶を微笑ましく懐かしむことができますが…
あんなにあんなに忙しかったフルタイム保育士&子の保育園送迎時代…。
就学、進学について悩んだ時代。
「自分の時間」というものの概念は私の脳に機能していないと受け入れる方が楽だったあの時。
今現在、娘たちは中学生と小学校高学年になり、家に子どもとと一緒にいる間でも、自分の時間が取れるようになってきました。
楽になったことは何より
【自分のことを自分でできる】
ようになったことが大きいなと感じます。
朝起きてから帰宅まで、自分で支度をして出発し、自分で帰宅する。
これだけでも、幼少期とは全然違います。
自分のことを自分でやった上に、家事を手伝ってくれることも多いので、身体的な面では負担がかなり減りました。
先日の話なのですが、私は仕事、長女は部活帰り、次女は放課後デイ帰り、ちょうど帰宅時間が近いので3人で駅で待ち合わせをして帰る日がありました。
その日の帰宅時間は予想外の大雨…☂️☂️☂️
3人とも折りたたみ傘しか持っていなかったので心もとなく、カッパはいつも持っているのでみんなでカッパと折りたたみ傘というスタイルで駅から徒歩で家に帰りました。
その時、思ったのです。
「あぁ、なんてらくになったのだろう」
「みんな、自分の荷物を自分で持って、雨の中でも文句も言わず歩いて帰ってくれるようになったんだな」
保育園送迎時代は、2人にカッパ着せて自分もカッパ着て、自転車。ほんっっとに大変。
子ども用のレインカバーが今みたいにあんなに頑丈になる前でした。
それを思ったら、カッパ着て傘さして駅から歩いて帰る道のりでさえ、なんてらくになったんだろうと感じてしまいました。
物理的に、らくになったな、と感じる場面もあれば逆に大変になったな、と感じるところもあるのです。
それはなんといっても、心の成長への対応です。女の子だから…というのももしかしたらあるのかもしれませんが、性差だけではなく成長の過程として親として心の成長が著しい我が子への対応に悩む日々も多いです。
ここへきて、娘たちがほんとうに“ひとりの人間”として見え、私ともちがう、姉妹でもちがう、個としての考えを持っているのです。
例えば、
生活習慣への姿勢、興味関心の分野、学業に関すること、人間関係に関することや人との距離感、物事の考え方や受け取り方、親や身内といるときの姿…
書ききれないほどの様々な分野でのいろいろな【個】が顕著に表れ、家族だけどやっぱり自分とは違うひとりの人間なのだということを実感させられるのです。
その点では、正解が分からない問題が次々とやってきて、私も親として、ひとりの人としてどう答えるべきか、応えるべきかを悩みながら話したりしています。
まだまだ自分も勉強しなくてはならないことが多いです。娘たちからも学び、また、娘たちをよく知る第三者的な友人や学校の先生からの助言も大変参考になります。
娘と会話するにも、適当なことを話すのではなく、ある程度理論的に根拠に基づいた話をしながら互いの着地点を探っていますが…
それでもなかなか難しいですね。
家族だからこその難しさもあるのかも?
でもやはり、可愛い娘たち。
自分が今できること、してあげたいことは後悔しないように全部やろう。
でも最近は、やらないことが必要な場面もあるので見極めます。
答えが変わり続ける謎解きゲームのような時もありますが(汗)
それでも私は子育てを楽しんでいます。
娘たちも、なんだかんだいって、今が楽しいといいな…。
それでは、また。