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私を信頼してくれる誰か

 気持ちの行き交う施設生活の中で、仲間を疑うという行為はとても傷つくものだと痛感した一日だった。自分も「集団生活の一員」であることを自覚して行動しようと思った。私はそれを書き留めて心に刻むことにした。

 特に施設内ではルール以上にコミュニケーションや気持ちの貸し借りが行き渡っている。そのような環境では、集団心理の一環として派閥を形成して自己を守ろうとする人間もいれば、他者を攻撃することで力づくで自らの身の安全を奪おうとする人間もいる。

 仲間たちの行動を見ていると、人は変化を恐れ、不安になり、反抗的になることがわかる。過去の自分を振り返ってもそうだった。変化を乗り越えるための選択肢がまだ少なく、覚悟や死生観によって困難を乗り越えようとする過去の思考パターンが根強く残っている。

 今日は一瞬でも仲間のことを疑ってしまった。疑ってしまったことを仲間に全部話して、最後に残ったうまい棒を渡して一緒に食べた。

2015 6/7


 何があったかというと、トースターでパンを焼いてる間、席を外していたら、その時にいなかった仲間がパンを食べていたので「食われた!」と思い、疑っちゃいました。

 この当時、1日500円を生活費として支給される施設生活を送っていましたが、みんなの前で「うまい棒300円分が入ったパック」を買ったら、施設に着く頃には一本残して無くなりました。その残り一本が、とても大事な一本になりました。


人は人、吾は吾なり、とにかくに、吾行く道を、吾は行くなり

西田幾多郎

私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷