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to be "ONE"Part1(世界創造:無知の知と無分別智)


オープニング

突然ですが
「自分」とは何ですか?

 自分は「自分」に決まってるじゃん!という話ですが「自分は何者なのか」「本当の自分は何か」という「自我(自己)同一性(アイデンティティ)」を問われると、途端に難しい問いになります。

 インテグラル思想の提唱者であるケン・ウィルバーは、人間の意識は「境界」を設定し、「自己」と「他」を区分することで、自我意識を明確にしようとする傾向があると指摘しています。

 同氏の著書「意識のスペクトル」は名著中の名著です。中古で若干在庫が残っているのみでした。

自分と他者 自分と自然 自分と宇宙

 ケン・ウィルバーは、自分以外のものを対象化し、認識することによって、自己と対立する「境界」が生まれるとしています。

 「境界」の存在は「自分とは何か」という自己認識を容易にしますが、同時に意識を狭い範囲に限定し、自己成長の可能性を奪ってしまいます。

 自分と他(それ以外)が切り離される前は「すべてがひとつ」の状態、つまり「心=宇宙」です。そこで、私たちが生まれてから「与えられる設定」に注目したいと思います。



天地創造

 過去にサイバーエージェントが提供する元祖メタバースのような「サイバー空間(pigg)」で、不定期に正体のわからない存在(メッセンジャー)から情報を受けていましたが、ある時を境にピタッとなくなってしまいました。

 メッセンジャーは↑のようなチャットでのやり取りではなく「名前」や「プロフィール」の文章を通して伝えてきます。キャラも同じとは限りません。共通しているのは「対話(チャット)」ではなく、一方通行のやり取りです。

 そして、最後のメッセージが”to be "ONE" でした。それと、もう一つ重要なメッセージがありました。


人類史における最大のタブーは、言葉が生まれながら持つ能力にあり、形が創られることにある。


 私たちが生まれた時には、目にするものや概念など、あらゆるものに「名前」や「意味」がついています。では、私たちが住む「世界」はどうやってできたのでしょうか?



「世界」とは何か?

 モーゼによれば「6000年以上前には世界は存在しなかった」という言葉をマルティン・ルターが残しています。

ジェームズ・アッシャー

 また、ジェームズ・アッシャーは「世界が創造されたのは『BC4004年10月22日PM6時』となっている」と算出しました。アッシャーの年表は以下のとおり。

アッシャーの年表の年代

  • 紀元前4004年:天地創造

  • 紀元前2348年:ノアの洪水

  • 紀元前1921年:アブラハムの啓示

  • 紀元前1491年:出エジプト記モーセとユダヤ人のエジプト脱出

  • 紀元前1012年:エルサレム神殿の設立

  • 紀元前586年:バビロン捕囚の始まり

  • 紀元前4年:キリスト誕生

 同様の算出は、様々な学者が行なっており、少しずつ年代は異なっています。天地創造の年は以下のとおり。

天地創造の年

ベーダ・ヴェネラビリスは紀元前3952年
ジョゼフ・ユストゥス・スカリゲル:紀元前3949年
ヨハネス・ケプラー:紀元前3992年
アイザック・ニュートン:紀元前4000年

聖書の年表(普遍史)

 ↑は聖書研究を続けているサイトの管理人が独自に導き出した年表です。驚くのは「天地創造」や「大洪水」も、想像している以上に歴史が古くないことです。

 言い換えれば、世界は "聖書的 "起源で創造され、現代社会はそれに基づいて構築されていることがわかります。ここで世界の哲人たちの言葉を引用します。


我々の知る世界は、世界自体を見るために、つまり、自らを見ることができるような仕方で構築されているという事実から逃れられない。

世界をみることができるようにするために、少なくとも「見る状態」と「見られる状態」とに世界そのものを分断しなければならないのは明白である。

このような分断され、切り離された状態では、世界が見るものは何であれ、世界自体の一部でしかない。

G・スペンサー=ブラウン

我々には2種類の知識があり、それぞれを「象徴的知識」と「直接的知識」と私は呼んでいる。

よく使われる推論形式は、象徴知識のためにのみ発達させられてきた。

直接的知識は、体系や分析を受け付けないというより、分析しようとすると直接性が失われ、象徴にとって代わられるのだ。

アーサー・エディントン

言語や思考においては、象徴を排除することができない。これを第一の知の様式とする原初的創造行為は、現実的で非象徴的なものである。これは第二の知の様式であるつまり「ソレ」はいかなる概念的吟味も受け付けない。

ニコライ・ベルジャーエフ

 ベルジャーエフの格言は難解ですが、別の表現を用いると、神聖ローマ帝国のキリスト教神学者で神秘主義者のマイスター・エックハルトが、象徴的知識を黄昏の知識と呼び、非二元的様式を曙の知識と呼んでいます。



象徴的知識

 つまり、象徴から導き出される知識には、言語や思考を超えたメッセージ(情報)が含まれていますが、象徴は「それ自体」を表すものであるため、言語化・分析すればするほど、象徴本来の意味から遠ざかっていくという問題があることを説明しています。

 言い換えると第三者に説明するのは至難の業であり、本質から遠ざかってしまう作業でもあるのです。ですが、それを克服する「思考法」があるのでご紹介します。



「無分別智」

智慧は識を超越する。われわれは感覚や知性の世界では識を活用する。これは「見るもの」と「見られるもの」が存在するという意味で、二元論を特徴とする智慧においては、この分化は生じない。

見るものと見られるものとは同一である。つまり「見るもの」は「見られるもの」であり、「見られるもの」はすなわち「見る」ものである。

鈴木大拙

 二元論的思考は日常生活で慣れ親しんだ思考であるため、その思考から生じる判断を手放すことは難しく、その思考から生じる感情はさらに主体と客体の関係を悪化させます。判断と理解の違いは「前提」にあります。

 「主体」と「客体」は相互依存かつ相互浸透の関係です。「無分別智」という思考体系を識った時、ソクラテスの「無知の知」を連想しました。



無知の知

 考えることは純粋に自主的な行為であるために「考えている人」と「考えていない人」との差は「そもそも考える姿勢をもっているかどうか?」=「目が開いているかどうか?」が大きいからです。

そのために不可欠なキーワードが「無知の知」です。

 哲学の父とも呼ばれるソクラテスは「無知の知」という考え方を基本としました。文字通りの意味は「無知であることを知っていること」が重要であるということです。要するに「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということです。

「無知の知」を知っていますか?より

 厳しいことを言いますが「増税メガネ」などの誹謗中傷は、「他責思考」を誘発する「思考停止」行為そのものです。

 こういったワードがトレンドに上がってしまうこと自体、X(Twitter)が危険な思考停止ツールになっているので、関わり方・使い方には注意が必要です。 



フィルターバブルとエコーチェンバー

 そして私たちの認知は「思い込み(自惚れ)」によって見当違いの具体性の虚偽を犯していくことにより、自ら混乱と混沌の世界に堕ちていきます。そうすることによって事実と真実の関係は、さらに闇に葬られます。

 また、集団心理は、個人の利他主義を吸収しながら集団のエゴイズムをエスカレートさせ、理想へのコミットメントが集団主義となり、集団と自己同一化する過程で個人の批判的能力を排除する傾向があります。

 こういった状況をSNSでよく見るのは、AIを活用した「フィルターバブル」「エコーチェンバー」の影響です。

 そうならないために自分をもっとよく知ろうと色々なことを試みましたが、情報を調べれば調べるほど真実に近づいたり遠ざかったりします。

 つまり、自分について語れば語るほど矛盾が生じ、真実を知ろうとして情報を増やせば増やすほど矛盾が生じてしまうのです。


しかし
この事実に気づくことがとても重要です


おさらいしましょう


人類史における最大のタブーは、言葉が生まれながら持つ能力にあり、形が創られることにある。

「常識や既成概念にとらわれている人」の根本的な要因は「言葉に囚われていることに気づいていない」ことにあるからです。

戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり

ジョージ・オーウェル


現代のマトリックス

「見るもの」と「見られるもの」で
分断された世界

 例えるなら、縫い目のないドレスを自分なりにアレンジして裁断することで自分に似合う服に仕立て上げます。

 つまり、自分の幻想の発生源を擁護するため、懸命に自分と芝居をしている状態です。

 その状態を鈴木大拙は「この世界は『知的分別』『情念的混乱の世界』である」と指摘しています。


これが『マトリックス』の正体


我々は、世界を全般的な機能のもとで解釈しなければならない。我々の世界を暴いてみると、モノのまとまりにはある種の相互内在の教義が含まれる。

世界の事象のこういった共同性は、それぞれの出来事が、他のあらゆる出来事の一因であることを意味する。

我々は世界の内にあり、世界は我々の内にある。あいまいだが避けられないこの観察事実こそ、世界のつながりの基礎である。

アルフレッド・ホワイトヘッド


意識改革

 現在は2020年12月に始まった「風の時代」です。以前の「風の時代」の日本は、鎌倉時代~室町時代前半です。

 13世紀、日本は日本仏教の分化が起こり、貴族や武士だけでなく民衆の意識改革につながっています。

 つまり、時代の節目と衰退期に「意識改革」が起こりやすいという特徴があります。まさに「チャンス」到来です。

 鈴木大拙の著書「日本的霊性」は、第二次世界大戦前の神道的思想へのアンチテーゼとして、より深い存在論的考察に基づいて「日本人であること」の本質を問いた作品です。

 これを「霊性」と定義し、さまざまな角度から検証を進め、霊性とは精神より高次の無差別智であると説いています。



エンディング

あなたに与えられた
「世界」とは何ですか?




私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷