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関与者(代償の法則)


ラルフ・ワルド・エマーソン

ラルフ・ワルド・エマーソン

 ラルフ・ワルド・エマーソン(1803〜1882)は、アメリカの思想家であり、超越主義の中心人物です。ハーバード大学を卒業後、牧師を務めましたが、妻の死をきっかけに辞職。スウェーデンボルグ神学の強い影響を受け、1836年に『自然論』を発表し、超絶主義運動のバイブルとなりました。

 「代償の法則」とは、ラルフ・ワルド・エマーソンが1826年1月8日の日記に記した概念で、「あらゆる不備は補われ、苦しみは癒され、犠牲は報われ、負債は返済される」という考え方に基づいています。



代償の法則

極性、または動と反動とは、自然界のあらゆる部分で私達は直面している。闇と光、寒暑、潮の干満、男女、動植物の呼吸、動物体の流動物に見られる量と質との均衡、心臓の収縮と膨張、液体と音響の波動、遠心力と求心力、電気と流電気と化学的親和力などは、皆それである。

一種の避けがたい二元性が自然界を二分し、その結果、何もかも半分で、それが完全になるために必要な別のものを暗示している。

心(エネルギー)は物を、男は女を、奇数は偶数を、主観は客観を、内は外を、上は下を、動は静を、肯定は否定を。世界がこのように二元的であるように、そのあらゆる部分もまたそうである。

事物全体の組織が、あらゆる部分に表現されている。大自然の力に見られる極めて雄大な反動作用がこのような小さな限界内にも繰り返されている。

例えば動物界においては、いかなる動物にも全ての能力が特別に優れた存在はなく、ある償いによって、全ての長所と短所は釣り合っている事を生理学者は観察している。

同じ二元性が、人間の本性と境遇の根底に見られる。全ての過多は欠乏を生じ、欠乏は過多を生じる。

甘いものは全てそれ相応の酸味を持ち、全ての悪は、それ相応の善を持っている。快楽を享受する能力は、これを濫用すれば、それに相当する刑罰を受ける。それを節用すれば長寿によって報いられる。

何かを失えば、それに対して必ず何か他のものを得ている。何かを得れば、必ず何かを失う。

宇宙は、その微小な部分にも表れている。自然に属するあらゆるものは、自然の能力を全てを備えている。

もし善がそこにあれば悪もまた有り、親和があれば排斥もあり、力があれば限界もある。無言の中に、しかも確かに全ての秘密は漏れ、全ての犯罪は処罰され、全ての善行は報いられ、全ての悪は正される。あらゆる行為はそれ自身への報いになる。

別の言葉で言えば、あらゆる行為は二重のやり方で自己を完結させる。第一に、行為そのものの中、その真の本性として自己を完結させる。第二に、周囲の状況、目に見える自然の中で自己を完結させる。

罪と罰は同じ幹から生えている。罰はそれを隠す快楽の花の中に人知れず熟する果実である。原因と結果、手段と目的、種子と果実、それは分けられるものではない。結果は原因の中に既に花を咲かせており、目的は手段の中で叶えられ、果実は種子の中に実っている。

何かを言えば、そこにはその人の人柄が表れるものだ。意図しようとしまいと、人はその一言一言によって自分のありのままの姿を相手にさらけ出している。口にした意見はことごとく自分にはね返ってくる。

圧され、苦しめられ、打ち負かされて、何かを学ぶ機会が恵まれるというものだ。自分で頭を働かせ、腹を決めてかかる事になったのだ。事実が分かったのだ。自分の無知を悟り、正気の沙汰でもない自惚れが治り、節制と本当の技術が得られたのだ。

エマソン「償い」より引用

 私はいつも生よりも死に固執していました。言い換えれば、死を意識することで、生に執着するようになっていたのです。

 そのため、観念や信念に固執するクセがあり、この観念が事件を引き起こした大きな原因でした。私が集団生活を必要としたのも、この想観念を見直すことにありました。

 また、サイバー空間で伝えられた「あるメッセージ」を思い出しました。(↓のリンクでも同じことで悩んでいます)

やりなおし
わかるまでくりかえしなさい
なんどでも

 やはり「すべての結果は自分自身の行動にある」ということを改めて思い知らされました。

 嫌なことは嫌なこととして自己開示することは大切だと思いますが、その後の行動をしっかりと選択する責任を考える必要があります。

 自分にできる努力をしながら、素直で柔軟な姿勢で生きる。自分にとっての自然な流れを見つめる感覚で生きることは大切ですが、心のどこかで「自分の流れの中で生きたい」という思いが強かったのだと思います。これが「自分の思い通りの未来を見たい」という欲求につながっていました。

 他者の評価から自分の存在理由を得ることは手放せても、日常生活の中で生きがいや存在意義を見出すことは難しいです。

 努力が報われないと自暴自棄になるパターンは、過去の私のクセでした。私がすることは「報われるまで努力し続ける」ことです。

 自分の経験や行動から自分を知り、自分が何を望み、何を必要としているのか、自分の身の丈を知る。

 それができない場合は、その行動につながりそうな思考を手放し、その過程で生じる感情を受け入れられるまで静観することが大切だと改めて実感しました。



エンディング

自分の意思決定が決して自分自身だけのものによるものではないことを体験した。一つの大きなビジョンのために、すべてが動き出し、そのためにすべての要素が必要だったと識ったとき、愛が強ければ強いほど、痛みや悲しみも大きくなった。

因陀羅網(インドラ・ネット)」より引用

ある意味で、この世界は関与者である。

ジョン・ウィーラー=ベネット


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