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手放す

 これからの人生を考えると「家族」という問題が大きく関係してくる。今の心境でいうと、身勝手極まりないが、自分のことは忘れて欲しいと思ってしまう。一度は親の話を聞く必要があると思うし、人間関係は、親子関係から派生する部分が大きいように思う。したがって親子関係を改善しなければ、今後の人間関係も良い方向には向かわないような気がする。

 しかし、私の心は重い。心が動こうとしない。なぜこんなに家族への愛情がないのかわからない。思い出したくない思い出がたくさんあるせいもあるが、それは私だけではない。多くの子供たちが機能不全家族の中で育っている。ひとつの可能性として、人は未熟な状態で生まれてくるが、この時期の愛の欠如が原因かもしれない。

 私はこの時期の愛情不足が原因ではないかという結論に達した。後で知ったことだが、亡き父には私が生まれたばかりの頃、フィリピン人の愛人がいたらしい。父は何をしていたのだろう。母も被害者だ。正直なところ、いつも父のことを考えていた母を許すことができなかった。

 私はウソにまみれた家庭で育ったので、人がウソをつくときの動きや表情を読むのが得意だった。それが仕事に役立つこともあったが、気づかないことが多いほうが幸せだと感じていた。

 身体は家の中に居るが、心の居場所がなかった。今でも家族のことを考えると囚われる。しかし、両親がいなければ自分は存在しなかった。その事実を感謝するのか、しないのか。できるか、できないのか。この世に生を受けた意味を心の底から理解するには時間と経験が必要だと思う。今でも家族のことを考え、矛盾を抱えながら思考を巡らせている。できることをひとつずつクリアしていけば状況も出会う人も良くなっていくと信じたい。

2015 4/20


私が人生を諦めて、自分自身の幸・不幸などはどうでもよいと悟って以来、少なくとも人生は私にやさしくしてくれるようになった。

ヘルマン・ヘッセ

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