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Open Your Eyes Part1(日本銀行創設秘話)

オープニング

 舞台に表と裏があるように歴史にも「ある」と思っています。また、繰り返しているように見えるパターン(雛形)もあると思います。擬人化された神も同じことがいえます。

 言いかえると、過去のパターンを知る事により、今後の計画がみえてくると思います。

 歴史には「理由」があります。ただ、そこからの恩恵があったからこそ、今の幸せがあることも忘れてはいけません。

 時代の転換を望むのであれば、無闇に批判するのではなく、これまでの流れを冷静に分析し、理解することが必要だと思います。今回は「日本銀行」創設の過程を追っていきます。



第1章:国立銀行条例

「伊藤博文」

 1864年にアメリカで財務長官のサーモン・チェースによって制定された「ナショナル・バンキング条令(国立銀行法)」をもとに当時の大蔵少輔であった伊藤博文が「国立銀行条例」を制定しました。

 この条例により、戊辰戦争などで発行された政府紙幣は日本国債と交換され、民間銀行はその国債を裏付けとする兌換銀行券を発行することになりました。

 それまでの兌換制度は停止され、国立銀行が発行する銀行券は金貨などの兌換貨幣と交換することが義務づけられました。



第一国立銀行設立

「第一国立銀行(旧三井組ハウス)」

 その後、国立銀行条例により、渋沢栄一が1873年(明治6年)に日本初の国立銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立。

 これが日本最初の株式会社であり、東京株式取引所創設時より同市場に上場し株式を公開し、戦後も東京証券取引所に上場していました。

 この条例を基に民間によって制限が掛かった1879年の間に全153行の国立銀行が設立されました。

「153」という数字は偶然ではなく、聖書由来。明治から令和まで153年ぴったり。生前退位した背景もこうした「数字」が関係していると思われます。


と、ここで……!


「魔女の一撃」が炸裂!


現世に復活した
「冥界の王」の姿が見えましたか?


 詳しく知りたい方は、↓の霜月やよいさんの記事『[ Symbolizm ] 象徴の見方:最も古き13』をご覧ください。ちなみに「魔女の一撃」を言い換えると日本では「ぎっくり腰」です。


「壹圓紙幣」

 第一国立銀行は1884年に李氏朝鮮(大韓帝国)と契約。関税取扱業務を代行し、後に民間銀行でありながら同国の中央銀行の業務も代行しています。

 そして、1896年に普通銀行の第一銀行に改組し、壹圓紙幣が発行され、朝鮮で流通しました。この紙幣の顔は「渋沢栄一」です。

 そして第一銀行は、1943年に三井銀行と合併して帝国銀行となります。その後、みずほ銀行になるまでの合併劇は↑のとおりです。

 また、宝くじは地方自治体が発行していますが、 全国のみずほ銀行の窓口で発売され、 抽選や当せん金の支払いもみずほ銀行が行っています。

 これは地方自治体が、みずほ銀行に事務委託している事と過去の歴史が関係しています。



パリ万博使節団

「レオポルド2世とパリ万博使節団」

 フランスの駐日公使レオン・ロッシュは、日本がフランスと通商条約を結んでいたことから、国際儀礼として皇帝ナポレオン三世主催のパリ万国博覧会に使節団を派遣することを江戸幕府に提案し、徳川慶喜はこれを了承しました。

 1867年に徳川慶喜の弟である徳川昭武が、幕府側を代表して使節団を率いました。

 ↑の写真は、パリ万博使節団とベルギー国王のレオポルド二世が謁見した記念写真です。その中には、2024年7月発行予定の新一万円札の顔に選ばれた「渋沢栄一」も会計係として随行しています。

 なお、レオポルド二世について「第3章」で後述します。



岩倉使節団

岩倉使節団

※木戸家、大久保家遺族は華族令当初から侯爵に叙されたが、旧大名家、公家以外では二家のみ。

 幕府側の使節団派遣に呼応するかのように明治政府側も岩倉具視を大使、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳を副使とした留学生を含む総勢107名で構成された岩倉使節団を派遣し、レオポルド一世と謁見しています。

 当時から欧州貴族は、幕府側と明治政府側どちらにも強い影響力があったようです。

 また、使節団のアメリカ滞在の際、明治政府が金貨を鋳造・発行するにあたり、必要な資金を調達する契約をカリフォルニア州のバンク・オブ・カリフォルニアと結んでいます。

 これは、明治政府がアメリカの企業と結んだ最初の契約であるといわれています。また、岩倉使節団の中に5人の女子留学生も含まれています。

 その中には新5千円札の顔に選ばれた「津田梅子」もいます。



同行した女子留学生

「シカゴ滞在中の女子留学生5名」

永井繁子:幕臣、日本最初のピアニスト
上田悌子:幕臣、病のため途中帰国
吉益亮子:幕臣、女子小学校(青山学院の源流)英語教師
津田梅子:幕臣、女子英学塾(現 津田塾大学)創設者
大山捨松:会津藩家老、大山巌の妻

 なお、外遊中は三条太政大臣と西郷隆盛・大隈重信・板垣退助参議らが留守政府を預かり、使節団がいなくなった途端、学制改革・地租改正・徴兵令の施行・身分制改革などが実施されました。

 使節団の主な目的は友好親善及び欧米先進国の文物視察と調査でしたが、各国を訪れた際に条約改正を打診する副次的使命を担っていました。

 しかし、キリスト教禁教政策などを理由に不成功に終わっています。以下は岩倉使節団が謁見した国家元首です。



謁見した国家元首

  • アメリカ合衆国大統領:ユリシーズ・グラント

  • 大英帝国:ヴィクトリア女王

  • フランス共和国:大統領アドルフ・ティエール

  • ベルギー王国:国王レオポルド一世

  • オランダ王国:国王ウィレム三世

  • ドイツ帝国:皇帝ヴィルヘルム一世

  • ロシア帝国:皇帝アレクサンドル二世

  • デンマーク王国:国王クリスチャン九世

  • スウェーデン王国:国王オスカル二世

  • イタリア王国:皇帝ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世

  • オーストラリア=ハンガリー帝国:皇帝フランツ・ヨーゼフ一世

  • スイス連邦:大統領ポール・セレソル

 なぜ、謁見した国家元首が大事かというと「国」ではなく「血統」が重要視されているためです。これが本当の「境界線」です。私たちは真の民主主義実現のために「一般大衆」になってはいけません。

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