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内面と外面


 「結果について計画をたてるのはやめよう」という文章を目にして、色々考えることになった。そういえば、結果という予測や目標の中で計画を立て、その数字に踊らされた生活に恐怖を感じていた。

今はそういったものに振り回されることはないが、「結果を求めた生活をしなくなったか?」といわれれば、まだまだそんなことはない。

 「なぜそうなってしまうのか?」と振り返ると、自分の思考や行動の証明に「対価(見返り)を求めてしまう」傾向に問題があることに気づいた。それが「エゴ」と呼ばれるものの正体だろう。

 自分が感じる生き苦しさの原因を探しているうちに、悪い計画を立てている機関や組織があるんじゃないか?と考えるようになり、その勢力や存在を「悪」とみなし、抵抗したり、戦うことが「使命」だと思ったり、正義だと考えていた。

 社会的優位に立つために宗教を利用したり、情報を操作・隠蔽したり、殺傷兵器を開発して文明を構築する手段に違和感を感じていた。

 しかし、ここで自分に気がついた。自分を優位に見せるために「いい車に乗ったり、きれいな女の子を連れ回したり、自分のセンスや自分の感性を高めるために薬物を使用した事と同じじゃないか?」と。

 そこで「因果」を考えるようになった。そうしたら「時間」という概念にぶち当たった。時の権力者が時間の概念を「道具」にしたんじゃないかと。そうなると、人は時間や暦を利用して管理されてしまう。

 あまり考えると頭が痛くなるが、引き寄せの法則や鏡の法則は「因果律」に似ていて、因果律に挑戦している哲学者や学者が多いことに気がついた。

 オカルトが本当の科学で科学がオカルト(カルト)なんだと。歴史の中で学べるホンモノは、まだまだあると思った1日だった。そして宇宙と心は連動しているというか、仕組みが同じなのかもしれない。

 過去の賢人が、星をみて未来予測を立てていたのもうなづける。昔の人のほうが自然法則を理解しながら生活を送っていたのだろう。

2016-11-09


時間は等質で測れる現象と思われているが、人工的概念(空想)である事を説明できる。意識(知覚)の中に空間概念を持ち込む事で作り出される結果産物である。

長年に渡って着けた習慣や認識を覆すのは容易でない。しかし、それを乗り越えた先には「先人によって照らされてきた」人類が新しく経験する未来が待っている。

純粋な記憶(知覚)とは精神の現れ。記憶は精神の宿るところ。

アンリ・ベルクソン

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