iが姿をアラワす
探しても見つからなかった
忘れていることも忘れていた
取り戻そうとして苦しんだ
すべては
自分が何者であるかを思い出す
旅のはじまりだった
私には薬物に対する恐怖や抵抗をもつ情報以上に好奇心や環境の方が整っていた。最初に使用したのは大麻だった。音楽によく効くと聞いていたので積極的に関わった。使った印象は味覚や聴覚に効果が表れ、解放感は酒のほうが強いが、使用後の柔らかい心地よさから好きになった。
しかし、いつの間にか目的が変わり、昔から感じていた孤独感や虚無感を埋めるために毎日使用するようになっていた。
その頃から友人との付き合いも変化した。今思えば「薬物よりも大切なもの」を発見するかしないかが、人生の分かれ道になっていた。
もうひとつ自分に大きな影響を与えた薬物がマジックマッシュルームなどの幻覚性精神活性物質だった。使用するうちに異次元の世界に入り込むができるようになると本気で思っていた。(今でも思っています🤫)
そして、仕事上のトラブルから傷害事件を起こした。薬物使用と精神障害によって心神耗弱状態だったと認定され、司法病棟に入院することになった。その処遇に納得がいかず、入院中ずっと心の中で抵抗していた。
事件を通して失ったものを取り戻そうと色々焦った。その不安と焦燥感を自分で抱えきれなくなり、妻に多くの負担をかけさせることになっていた。
そして、妻が面会に来なくなり、離婚することになった。すべてを失い、無力な自分を痛感したのもここからだった。失ってから大切なものに気づくという自分の愚かさを受け入れ、過去の執着を手放し、新しい自分をつくりあげるには、すべてを放棄する必要があった。
そのような環境に身を置かないと、頭では理解していても必死に抵抗してしまう自分がいた。
入院生活で今まで避けてきた自分の内面に目を向けることにした。自分が何を大切にし、何をおろそかにしてきたのか、原因を探すことも必要だったが、悪い行動にならない為の方法や選択を考えることも大切だと思うようになった。
過剰な自己犠牲で自傷行為を繰り返し、いき過ぎた信念で自らを縛り上げ、苦しみや悲しみに目を向けずにフタをして自分をごまかし続けた結果、感情を怒りや憎しみに変化させてしまったと第三者に胸の内を告白したときの安堵感は今でも忘れない。本当の自分に謝りたくなったことを今でも覚えている。
約一年半の入院処遇を終え、通院処遇を某社会復帰施設で過ごすことになった。集団生活の中で自分の問題を見つめ、できるだけ対処法をつくりあげながら依存の少ない生活環境で精神衛生を学ぶ生活を送っている。
改めて自分を知ることが自覚に、自覚から自助に、そして自助から自愛に昇華することを願っている。
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷