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今日だけ

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NAのワークブック「今日だけ」のアンサーダイヤリー(回顧録)
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#回顧録

内面と外面

 「結果について計画をたてるのはやめよう」という文章を目にして、色々考えることになった。そういえば、結果という予測や目標の中で計画を立て、その数字に踊らされた生活に恐怖を感じていた。 今はそういったものに振り回されることはないが、「結果を求めた生活をしなくなったか?」といわれれば、まだまだそんなことはない。  「なぜそうなってしまうのか?」と振り返ると、自分の思考や行動の証明に「対価(見返り)を求めてしまう」傾向に問題があることに気づいた。それが「エゴ」と呼ばれるものの正

ひきつける魅力

 依存症からの脱却は自立することか?というと、そうじゃない気がするが、「依存症は一生治らない」と医者に告知された時、奈落の底に落ちたような気がした。  「これから一生悩まされるのか」と考え込んでしまった。そして、それを受け入れることができなければ、違う何かに依存してしまうのではないか?という不安に駆られた。  自分にそのような傾向があることをどれだけ自覚し、それが問題になるのを防ぐ方法を見つける覚悟ができているだろうか?人生は自分の再発見の連続だった。  自分を内観し

私を信頼してくれる誰か

 気持ちの行き交う施設生活の中で、仲間を疑うという行為はとても傷つくものだと痛感した一日だった。自分も「集団生活の一員」であることを自覚して行動しようと思った。私はそれを書き留めて心に刻むことにした。  特に施設内ではルール以上にコミュニケーションや気持ちの貸し借りが行き渡っている。そのような環境では、集団心理の一環として派閥を形成して自己を守ろうとする人間もいれば、他者を攻撃することで力づくで自らの身の安全を奪おうとする人間もいる。  仲間たちの行動を見ていると、人は変

対人関係

 一番つらいことは、自分の生き方を貫き通すために、自分の行動の結果を考えなかったために巻き込まんでしまった人たちがいることだ。しかし、他者を傷つけずに生きていくのはとても難しい。  過去を振り返れば、私たちは何度も同じ過ちを繰り返してきた。そのことを肝に銘じ、思い出にするのではなく、情緒不安定な面が出てきたときのアンカーとして、記憶の片隅に留めておく必要がある。  何のためにそうするのか?過去に埋没して自分を憐れむ想いににふけるためか?今までは、きっとそうだった。しかし今

寛容

 24歳のときから保険代理店を経営していたので、常に自分の能力と行動で問題を解決することを求められていた。また、自分で解決した方が良い結果が得られるという驕りもあった。  今までの生き方を振り返ってみると、好奇心旺盛でお節介なところがあり、それをセールスポイントにして仕事をしていたが、見直す必要性を感じた。それが生きにくさにもつながっていたからだ。  他人の評価を自分の成果や報酬として受け止めてしまうと、その行為が期待や不安を膨らませるきっかけになっていた。  集団生活

信じる心を失わない

 信念は、逆境や試練といった感情的・身体的危機の際に、自分がどう考え、何を感じるかを、普段より詳しく観察することで確認する必要がある。  そのときに有効な時間とオープンマインドを持つためには、できるだけ自分に余裕を持つことが解決への道だとわかっていても、そこにジレンマを感じることがある。  望まない状況や結果を目の当たりにすると自己否定や自己卑下に陥り、その過程で自己否定が私を際限なく駆り立て、その影響下でさらに毒素に浸ることに慣れてしまった。  最近の出来事で思い知ら

感情と向き合う

 怒りや憎しみの感情が沸き起こるのは、自分が弱く、能力や精神力が足りないせいだと考えていた。さらに、思考は怒りや憎しみを正当化し、正当化するために働いていた。  どこかでそれは分かっていたのだが、自分の都合のいいように解釈していたように思う。その過程で感じた悲しみや虚しさの世界にも浸っていたのかもしれない。  だからこそ、自分の心の闇から目を背けず、観察することを怠ってはならない。ようやく、自己否定や自己卑下に陥る前に、自分の感情に気づく時間を確保することができるようにな

静かな時間

 いつも頭の中で考えてばかりで、静かな時間があるのかと思うほどだった。このところ落ち込んでいた。耳を澄ます時間がなかったら、きっとまたごまかしていただろう。しかし、過去を振り返れば良くなったほうだ。  そしてしばらくすると、深く傷ついていたことを痛感する。いつも後から気づくので、油断すると虚無感に飲み込まれそうになる。  集団生活の中で孤独を感じることもなく、つらい状況もないのだが、どこかで何かを求めている。答えは分かっているのだが、今はそれを求めることができず、求めると

 今朝の出来事だ。別の所轄の入寮者が施設を飛び出し、そのまま自ら命を絶ったと聞いた。施設から逃げたり、警察に捕まったりする仲間の話はよく聞くし、入寮後に誰かが亡くなったのは初めてではないが、このような形で起きたのは初めてだった。  この人とは前日のイベントで会ったが、話しかけはしなかった。その人はとても警戒心が強くて近寄りがたかっただけでなく、独特な風貌だったので私は彼を受け入れるのに苦労した。  もしかしたら、そうしたものが、その人にとって自己表現やアイデンティティの象

不安を平安に変える

 悲しみや孤独を感じることに慣れ、いつの間にか親しみさえ覚えていた。心の不安を打ち消そうと他の悲しい出来事や辛い出来事に思いを馳せ、それが怒りや憎しみにとってかわり、自分自身の問題を先送りにしていた。  自分の不安や恐れを取り除くことを優先させるのではなく、自分より困っている人や出来事に関心が向いてしまい、「自分を観る」ことから逃げていた。自らの空虚感を埋める方法に、他者への共感を超えて感情移入してしまうことが多かった。  いつか報われると思って自分を犠牲にすることが美徳

同じ仲間

 自助グループでは、薬物やアルコールを使っていない状態を「クリーン」と呼ぶが、私はこの言葉にずっと違和感を感じていた。大麻を使用すると、他者や自然環境に対する気持ちがクリアになると感じていたからだ。  受け入れがたい出来事があると自己卑下になり、自分を責め続け、無意識のうちに心の闇をさらに深めてしまう傾向にあった。  そして、大麻で感じる感性ばかりを大切にしてきた。 その結果、社会と自分の認知にギャップが生じ、そこから生まれる孤独感や虚無感に心地よさを感じるようになってい