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プリンスオブペルシャ【二次元の限界を超えろ】

1989年に米ブローダーバンド社からAPPLEⅡで発表されたアクションゲームです。

既に時代遅れのマシンとなっていた名機APPLEⅡ最後の大作と云っても良いと思います。

日本ではPC-98に移植(92年頃)された後、スーパーファミコン、メガドライブにも移植され一部で絶大な人気を誇りました。

ゲーム内容はサイドビューのジャンプアクション物なのですが、反射神経を必要としないトラップ回避型のパズルゲームと捉える事も出来ます。

特徴のある自機の性能を熟知した上で、程良い広さのマップ間の繋がりを憶えて行く事が攻略法となります。

ゲームを始めて先ず目を惹くのが自機キャラクターアニメーションの流麗なところですね。

ブローダーバンド社の作品ではロードランナーやカラテカが同様な素晴らしいアニメーションを持っています。どちらかと云うと滑らか過ぎて気持ち悪く思えるほどです。

ペルシャの移植作品も良く出来たアニメーションパターンを持っているのですが、本家の素晴らしさを凌ぐには至っていません。

これはAPPLEⅡのグラフィック性能が低かったからこそ得られた特徴であり、制作者の工夫が勝利した部分だと云えます。

移植作品の中ではメガドライブ版のグラフィックが最も優れていると思うのですが、自機に色数を多く使っている為アニメーションにちょっとした破綻が見て取れます。

オリジナルの自機は胴体が白一色で構成されています。これが為にアニメーションパターンが少なくて済み、キャラクターの中心がぶれず滑らかさを演出しているのです。

この部分には大きな研究の余地が隠されています。他のゲームで云えば、タクティクスオウガのキャラクターアニメーション、大魔界村のエンディングで王女が仰向く時の髪の毛のパターンなどが、同様な技法の使われている部分だと云えます。興味のある方は是非見比べてみて下さい。ひとつの法則を発見出来る筈です。

プリンスオブペルシャを一つの企画として考えると、ゲームだからこそ当然あるキャラクターの動作制限の簡略化を取り除こうとした物だったのではないかと思えます。

作られたゲームフィールドの中にあって、実際の人間であればこのような動作を行うのではないか? 当然このようなアクションを取るだろう、きっとそうする筈だ……。

ゲームと云う作られた舞台にリアルな人間を放り込む意図であったとすれば、本作は大成功を収めていると云えるでしょう。

しかしリアルさを求めたが為に間口を狭めてしまう弊害も抱え込んでしまっています。本国では大ヒットしたプリンスオブペルシャですが、日本では一部濃いファンを持つに留まるカルトゲームの域を出ていません。

ペルシャの自機は何か行動を取る際に操作レスポンスが悪くなります。これは前の行動の繋がりから生ずる間となっていて、本作の企画意図からすれば必要な措置であり当然とも云える部分なのですが、スーパーマリオに代表される考え抜かれた良好なレスポンスを期待する日本人ユーザーには苛立たしいシステムに映ったのではないでしょうか。

ここには私たちの持つ融通の失効が見て取れます。

文芸映画を見て派手なアクションがなかったから詰まらないとする幼稚や、アイドル歌手の恋愛報道を受けて失望すると云った自分勝手な愚を孕んでいるからです。

プリンスオブペルシャを始めとする新機軸を持った作品を素直に受け入れるだけの度量を手に入れたいところです。肌に合わないとする拒否理由は食わず嫌いのそれと選ぶところがありません。精神的な嫌悪を取り除いた先にあるご馳走は最も美味であると知るべきでしょうね。そこには未だ知る事のなかった新しい食感が退屈と保守を蹴散らす為に待ち受けているのですから。

当時プリンスオブペルシャを楽しめなかったせっかちな私なのですが、現在に暇を見付けてはチクチクと遊び続けています。大人の鑑賞に堪える素晴らしいゲームですよ。

2006.01.11

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