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大掃除で思い出すブッダの教え

子供の頃、母がどこからか子供向けの仏教の教えを描いた漫画を持ってきた。
夜、寝る前に読んでいた。
お釈迦さまの話や日蓮聖人の話が載っていた。


その中の話で一番、印象に残っているのが「バカのパンダカ」。

パンダカは自分の名前も覚えられないほど記憶力が弱い。だから自分のために首から名札をさげている。
お使いにいけば買うものを忘れて帰ってくる。
みんなからバカにされてしょんぼりしてるところにお釈迦さまに出会う。

パンダカがお釈迦さまに自分のことを話すとお釈迦さまは一本のほうきをパンダカに渡す。
「毎日、街中をこのほうきで掃きなさい」

パンダカはただひたすら言われた通りほうきで街中を掃く。
誰にバカにされても相手にせず、ただひたすら。
掃いても掃いても広い街はまた汚れる。
それでもパンダカはやめずにほうきを動かす。

やがてほうきが擦り切れて使えなくなる。
擦り切れたほうきをみて
「ずいぶん掃いたなぁ。それでも街は汚れる。正しい道を歩もうとしても煩悩が溢れるのと同じだ。あぁ、そうか!お釈迦さまは私にこの世のほうきになれと教えてくださったんだ!」
悟ったパンダカはお釈迦さまに認められて高僧になった。

この話を最近、掃除するたびに思い出す。

というのも私は掃除が嫌いだったから、今も掃除をするのに気合いのつもりで「掃除、断捨離で幸運があった」系の話をYouTubeで聞きながして作業してる。

YouTubeでは年を取ってから断捨離しようとしても気力、体力、判断力が落ちてできなくなる。30代、40代から終活するつもりで断捨離、掃除した方が良いと言う。

いわゆるメメントモリ(死を忘れるな)ってやつ?

私なんてアラフィフだし、障害児がいるからただでさえ自分が亡き後の手続きが大変。
それなのに私の遺品処分の手間やお金を子供にかけさせるのは申し訳ないと思い、まず断捨離を始めた。空いたスペースを掃除するといろいろ目について他の場所も掃除するようになった。
暮れになったらさらに掃除に力を入れるようになった。

一緒に住む70半ばの母は物をもらってくる、ため込む、捨てられない。

今年の暮れは母がため込んだ物を使うもの、いらないものに分けて捨てたり、リサイクルに出したりしてスペースを作り、窓を開けて床を掃除した。
埃と砂とカビの匂いが混じった空気が一気に変わった。
まだ物が溢れている場所はたくさんあるから終わりがないのだけど、どんよりした家がなんとなく軽くなったような気がする。

ただ母は自分の行動が否定されたように感じたのか、悪態をついてくる。
私自身の部屋が片付いてないから余計に。
母がため込んだ場所が玄関脇の廊下でお客によく見えるところだから掃除しただけなんだよね。
だってもうすぐお正月だから。

どんだけ悪態をつかれたって、これからもやる。
でないと両親が亡くなった後の処分が大変だから。
自分のためだけじゃない。

私はパンダカを見習って一生懸命に掃除をやろうと思う。
YouTubeを聞きながらなので悟りは開けそうにないけど。

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