大好きなおじいちゃん

先日私のおじいちゃんが亡くなった。
ここ数年介護施設に入ってて、一緒に住んでいないから時々会いに行ってた。
最後に会いに行った時にはおじいちゃんは目は開けているけど喋っていなかった。
私のことが分かるかどうかも喋っていないから分からないけど、あの優しそうな目に少し涙を浮かべてかすかに頷く姿を今でも鮮明に覚えている。

その日は朝連絡が入って死を知った。
それからおじいちゃんの家に向かっておじいちゃんに会った。
幸せそうに眠っていた。
死というものは必ず訪れると分かっていながら、いざその光景を目の当たりにすると受け止められない自分がいた。

数年前まだ施設ではなく家にいた時は、お正月やお盆に会いに行くと嬉しそうに出迎えてくれた。
お酒と煙草が大好きでいつも
「お酒は米のジュースやけんよかと」
って言いながら、おばあちゃんにバレないように私たち孫に注がせようとするちょっと悪知恵が働くおじいちゃん。
セミや蛇の抜け殻を持ってきてはみんなを驚かすちょっとイタズラ好きなおじいちゃん。
帰ろうとすると
「寂しかけんまだ帰るな〜泊まって行け〜」
って寂しそうな顔をして強い握力で手を離さないおじいちゃん。

19年間しか一緒に過ごせなかったけど大好きなおじいちゃん。

私が生まれる前のおじいちゃんは、未来を見据えた農業の開拓をして昭和天皇に讃えられた程働き者だったそう。
私が知らないおじいちゃんの一面だけど、これは供花が物語っていた。
コロナウイルスの影響で小さい会場だったけど、おじいちゃんの周りにはこれでもかとぐらいに大量の供花が並べられていた。
イタズラ好きなおじいちゃんはかっこいい漢でもあったみたい。
若い頃の姿も見てみたかったなと思った。
最期のお別れの時もおじいちゃんは大量のお花とお酒と煙草に囲まれて、とても幸せそうだった。

『おじいちゃん今までありがとう。お酒は飲みすぎんようにね、またね』

私にとってのおじいちゃんは2人とも他界してしまったが、どちらのおじいちゃんも優しくて大好きなおじいちゃんで、もちろん今も変わらない。

誰しも明日が来ることは保証されてない。
だからこそ今できること、やれることは全部やろう。
明日が来て後悔しないように。


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