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「なんて呼べばいい?」と聞ける大人になりたい

愛称で呼ばれやすい人と、呼ばれにくい人がいる。私は圧倒的に後者として人生を送ってきた。

高校時代時代の同級生には「まーさん」と呼ばれるし、苗字を呼び捨てにする友人もいる。でも、20代30代をひっくるめると、名前か苗字にちゃんづけ、あるいは、さんづけが大半を占める。

「〇〇と呼んでください!」と自分から切り出せるひとってすごい。「
A子はさぁ~」と自分を名前呼びできるのはすごい。その女子力のようなものを我がものとすべく、努力した時期もあったけど、遠い昔の話だ。というか、いつ頃のことだったのかもはや記憶もあやふやだ。

もう、あの頃の甲高い猫なで声は出せない。発声方法を忘れてしまった。

でも、その代わりに……と言ったら、なんだが、「なんて呼べばいい?」「普段なんて呼ばれてる?」と聞かれたとき、「いや、あの、その……」としどろもどろにならなくなってきた。

「呼ばれたい名前を書いてください」と名札を渡されたら、「まなみん」と書けるようになった。さんづけからの卒業。いや、さんづけを全部撤回したいわけでは全然なく、「まなみさん」と呼ばれるのは好きだ。でも、せっかく、「なんて呼べばいい?」と聞いてくれる人には、「なまえにさんづけで」以外の答えを返したい。

年をとるっていいなあ。いろんなことがどうでもよくなる。

以前に比べると、「友達です」のハードルも下がった。

こっちは「友達」だと思っているけれど、あっちは単なる「知り合い」だと思っているなんてケース、ごまんとある(と、私は思っている)。もちろん、その逆のパターンもある。

そんな中で「友達です」と発話するのはけっこうな勇気がいる。相手は内心、「いやいや、ないない」と思っているかもしれないのだ。考えただけで肝が冷える。

結果「お世話になっててー……」とか、「飲み会でよくご一緒しててー……」とか、周辺情報でお茶を濁してきた。でも、最近、それもどうでもよくなってきた。

わりとカジュアルに「友達」って呼んでくれる子が、周囲に増えたからかもしれない。年齢もバックグラウンドも全然違ってても、自分が「友達」だと思ってるんなら、それでいいんじゃねと思えるようになった。

相手からすれば「え? 単なる知り合いだと思ってた!」というパターンが気にならないわけじゃない。でも、気にしない努力はできそう。「あなたと仲良くなりたいです」を表現するバリエーションのひとつが「友達です」だとしたら多少、安売りしたって誰も困らないんじゃないかしらん。

そして、「私も〇〇〇(愛称)で呼んでもいい?」と尋ねるステージから一歩先に進んで、「なんて呼べばいい?」と聞ける大人になるのだ。

世界には「つながり」が溢れている。知らんけど。

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