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米寿の祝いをしそびれたのでプレゼントを持ってきたんだけどさ(別居嫁介護日誌#6)

もの忘れ外来の受診を思いのほか、あっさりと受け入れてくれた義父母。介護に直面した家族の悩みとして「いやがる親をどうやって、もの忘れ外来に連れて行くか」という話をよく聞くのに、拍子抜けするほど。やっぱり取り越し苦労なのだろうか。でも……。安心しきるにも、不安がるにしても決め手にかけたまま、時間だけが過ぎていく。

(前回の別居嫁介護日誌はこちらから)

「次の正月の集まりは、帰りに実家寄ってみようか」

夫とそんな話になったのは、義父母との電話からしばらく経ってからのことだ。たしか、12月半ば頃だったと思う。以前は正月になると実家に、義姉夫婦と姪たち、私たち夫婦がうかがうのが定例だったが、ここ数年は集合場所が「近所の寿司屋」に変わっていた。

義父は「集まりで使ってみたら、ことのほか良かったから」と言い、義母は「大掃除するのも面倒なのよ」と笑っていた。こちらとしても、実家で集まるよりも、外食のほうが解散のタイミングはつかみやすい。食事が終わると「俺たち、仕事もあるから」と早々に離脱するのが常だった。

でも、今回ばかりは事情が異なる。いつもなら「放っておいていいよ」「気にしすぎ」と笑い飛ばす夫が、「そうだな」と神妙な顔をする。とにかく情報を確かめよう。話はそれからだ。取り越し苦労をしても仕方がない。ノンキに先送りしているように見えて、夫は夫なりに何か思うところがありそうだった。

当時、義姉には実家との一連のやりとりを伝えていなかった。断片的な情報を伝えても混乱させるだけ。それが「伝えずにいる」と決めた一番の理由だった。

介護体験について書かれた本やマンガには、親の老いを受け入れられない子どものエピソードがよく登場する。ショックが転じて、親を追い詰めるケースもあれば、「老いの事実」を伝えた相手を恨む人もいる。そもそも「うちの親に限って」と聞く耳を持たない例もある。

不用意に義姉に両親の状況を伝え、パニック状態を引き起こしたら、うまく対応できる自信がなかった。

これまで接点がなさすぎて、キャラクターも行動特性もつかめていない。唯一確信が持てたのは、歳が離れた姉としてかなり強めの”姉貴風”を吹かせることがあるということぐらい。そしてその矛先はもっぱら実の弟に向かい、弟の嫁である私は暴風圏外だった。義姉の対応をすべて夫に任せると、気の毒なことになりそうな予感もあった。

「どうやって伝えるのがベストかも含め、現地の状況を確認し、情報を整理した上で考えよう」

それが私たち夫婦が出した結論だった。気持ちとしては、いたって前向き。でも、行動としては全力で後ずさっていた。

そして迎えた、ファミリー新年会の日。いつもはそそくさと帰る我々が「実家に寄りたい」などと言い出したら、両親はもちろん、姉夫婦や姪たちにも不審がられることは間違いない。

なんとか自然な形で実家に寄るべく、小芝居を打つことにした。まずは当時、高齢者に人気だと話題になっていた「コードレススピーカー付きのテレビリモコン」を購入。新年会当日には、夫が「親父の米寿の祝いをしそびれたのでプレゼントを持ってきたんだけどさ」と、おもむろに切り出した。

さらに「このまま渡したいところだけれど、ちょっと設定が必要なので、帰りに寄ってもいいか」と畳みかける。改めて振り返ると、ずいぶん大げさなやりとりだ。ただ、そんな前フリが必要なぐらい、疎遠な親子だった。

義父は疑う様子もなく、「そうか」とうなずいた。義母も「あら、全然片付いてないわよ」と言いながら、うれしそうだった。

「お邪魔しまーす」

玄関は昨年の正月に見たときと、さほど変わった印象はなかった。極端に靴が散らかっていたり、ごみが放置されている様子もなくホッとする。悪臭もない。ごく普通の玄関だった。

「家の中に入ったら、まずは手を洗ってうがいもしてね。タオルは洗面所にあるのを使ってちょうだい」
「はーい」

洗面所を向かう途中、異変に気づいた。目の前のドアに「拝啓 名前も知らぬ貴女へ」から始まる手紙が貼ってある。

几帳面な文字で「我が家に出入りしている見知らぬ女性」宛てのメッセージがびっしり綴られている。よくよく見ると、居間へと続くドアや和室のふすまなど、部屋中のあちこちに何枚も何枚もの便せんが貼られていたのである。

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