年を重ねることは「初めまして」の連続
今夜は「#老いラジ」の読書会ライブ<お坊さんと読んでみた>の配信日でした。月に1回、司法書士のにしざわゆみさん、極楽寺・住職の高名等さんと、1冊の本をテーマにああでもない、こうでもないとおしゃべりをしています。
今回とりあげたのは『たそがれてゆく子さん』(伊藤比呂美著・中公文庫)。詩人の伊藤比呂美さんが直面した、年の離れた夫の看病と介護、看取り、ぽっかりとした日常。
高名さんが印象的だったと挙げてくれたのは、こんなくだり。
夫が亡くなった後、比呂美さんは”ちょっといい男”に出会い、恋心を抱く。そして、”いっしょに暮らす、一緒に生きるという夢”を見る。以前から、よくそういう夢を見たし、ときにまさ夢にもなったもんだと、比呂美さんは振り返る。
ちょっとわかる。
例えば、オット氏が亡くなったシチュエーションを想像したとき、思い浮かべる暮らしは
・猫と一緒に暮らせる高齢者向けシェアハウスで、気ままに一人暮らし
あるいは
・シニア婚活を頑張って再婚し、ふたりめの夫をそれなりに介護して看取り、猫と一緒に暮らせる高齢者向けシェアハウスで……(以下同)
と、夢物語の中に大なり、小なり、介護が入り込む。というか、相応の密度で関係を取り結ぶつもりならば、もう切っては切り離せないものだと思っている節がある。
60代にさしかかった比呂美さんは、老いにおののき、繰り返し「寂しさ」を語り、50代は楽しかったという。40歳最後の年を迎えた私にとって、心強いような、そうでもないような先達からのレポートが続く。
おしゃべりのなかで、ゆみさんに言われて、ハッと気づいたことがある。
「40代になると、とてもじゃないけど体がついていかない」
「60代のときは、まだまだ元気だったけど、70代になるととてもとても……」
と、いろいろな年代の人が、その年齢なりの驚きを口にする。80代になっても、90代になっても、びっくりするのだ。そして、その驚きを年下の相手に伝えたくなる。
そういえば、義父も言っていた。
「90歳になると、1日1日が勝負です」
年を重ねるのは誰もが「初めまして」だ。これまでと勝手が違って、戸惑う。なんだかなあと思いながら、折り合いをつけてみたり、まだまだいけるじゃん、に出会ったりもする。
この本もそうだ。連載開始当初のタイトルは「たそがれ・かたはれ」と、かなりしんみりしたものだったのが、どんどん様子は変わっていき、書籍にまとめるにあたっては「たそがれてゆく子さん」が降臨する。そのあっけらかんとしたタフさがいとおしい。
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