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賢明な判断だと思うよ(別居嫁介護日誌#10)

親の介護が始まる。薄々わかっていたことではあったけれど、地域包括支援センター(地域包括)での面談をきっかけに、いよいよ現実味を帯びてきた。でも「親の老い」に直面したショックはあまりなかった。

自分の親であれば、また違ったのかもしれない。親の年齢もおそらく影響している。

夫の両親と私の両親は一回り以上年齢が離れていて、祖父母と同世代。初めて会った時から「おじいさん」であり、「おばあさん」だった。年に一回会う程度だし、たまに会ってもあたりさわりのない会話しかしない。「歳をとった」とショックを受けるほど、若い頃の様子も知らなかった。

夫は結婚前から「自分の親が年をとっても面倒は見ない。自分たちで暮らせなくなったら老人ホームにでもさっさと入ってもらう。本人たちにもそう言ってある」と宣言していた。そんな単純にいかんだろう、と内心思いつつも、介護要員としてカウントされるより1万倍マシなので黙っていた。

私にとって、義父母の介護は「絶対やらなくてはいけないとも思っていないけれど、いずれ直面するライフイベントのひとつ」という認識だった。ただし、あくまでも自分は外野としてサポートする立場になると思っていた。

義姉は正月に顔を合わせると、夫に対して「親も年をとってきているのよ」「親の将来のことを考えなくてはいけない」と小言を言っていたし、義父母との距離も近いように見えた。少なくとも、年に1回しか顔を合わさないような私たちなんぞが、しゃしゃり出る幕はないだろうと踏んでいたのだ。

しかし、その予想は見事に外れた。というか、自ら火中の栗を拾いに行ってしまった。「情報を伝言されるより、直接収集できる立場のほうがストレスが少ない」という自分なりの理屈はあった。でも、長女にありがちな「私がやらなきゃ、誰がやる」が発動しちゃったような気もする。

義父母への同情と感謝の気持ちもあった。

記憶にある限り、義父母に”ヨメらしさ”を求められたことはない。顔を出すのは年に1回、正月だけとずいぶん不義理をしているのに苦情めいたことを言われたことは一度もなく、たいてい「仕事は順調?」「よく眠れてる?」とねぎらわれた。

「孫はまだか」攻撃にさらされたことはなかった。結局、子どもを産まなかったことに対して、非難めいたことも一切言われていない。私が大学院に通い始めたときは、手放しで喜んでくれた。じつの親ならまだしも、義理の両親が40代の嫁をつかまえて「将来が楽しみね」「まだまだ若いんだから勉強頑張って」と大喜びで励ますのは新鮮な光景だった。

疎遠だった分、嫁としての役割プレッシャーもなく、義父母の介護から逃げるべき理由も乏しかった。むしろ、敬慕の情のようなものを抱いていた相手が困っている以上、「やれることはやろう」と比較的すんなり思えるような状況だったのかもしれない。

地域包括支援センターから帰宅した後、夫に「キーパーソン」と「主たる介護者」を引き受けたことを報告した。相談せずに決めたことを詫びると、「文句を言うわけないじゃん。賢明な判断だと思うよ」と笑われた。

ただし、夫は「僕がキーパーソンになる」とは言わなかった。そのことが澱のように積もって爆発するのはもう少し先のことだ。


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