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音楽はあの頃の私を簡単に連れてくる


 AppleMUSICすごすぎ。
 たった月1,000円未満で、こんな聴き放題っていいの? ちょっと心配になるよ。
 だってもうTSUTAYAに行ってCDレンタルしなくてもいいし、CD買う必要もないんだ。そういえば最近、まったくCD買ってない気がする。
 高校生のころ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新譜が出たらシングルでも買って中村佑介のジャケットイラストを熱心に模写していた私は懐かしくなった。
 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソルファ」、人生で一番聴いたかもしれない。

 これからはおばさんの回顧だ。
 高校生のあの頃、私は非常に鬱屈としていた。入った高校は私とはどうも水が合わず、仲の良い友人やバカをやる友人もいたのだけど根本的に趣味が違っていた。加藤ミリヤや倖田來未を愛聴する友人ばかりで、ASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴く子は誰もいなかったのだ。
 あまり偏差値的によろしくない(もちろん私もその一員である)、自由気ままな友人たちはeggを読み日焼けサロンに通ったりしていた。そんな中、ひとりzipperを愛読し前髪を斜めに切りそろえ恐ろしく大きいハートの赤いピアスをしていた私はとてつもなく浮いていた。
 ある日、ふと「なんだかもうめんどうくさいな」と思い学校に行かなくなった。私はそういうところが昔からある。
 ひとりで家にこもりをASIAN KUNG-FU GENERATIONなどを聴き、白と黒のニーハイソックスを履いてロック少女を気取って、図書館に通っていた。(気取ったのに行き先が図書館なのが悲しき田舎者なのだ)
 図書館で山のように本を借り、それを積み木崩しみたいに一冊ずつ読破していくことが私の癒しでもあった。
 夜、JAPAN COUNTDOWNを見て(まだ深夜放送のころ)、そろそろ寝ようかなと思いながら寝なかったあの頃。オープニングテーマかエンディングテーマのASIAN KUNG-FU GENERATIONをよく覚えている。
「お相手は、鮎貝健でした」という言葉と共にかっこいいエンディングテーマが流れる。家族は寝静まったこんな夜中に、こういう曲を知れた私はちょっと大人になったような、ロックっていいよねって言えちゃうような、ロッキンオンジャパン買ってるよって言えちゃうような、そういうくすぐったい気持ちになった。
 なんとなく、こういう思い出が今の自分を作り上げているのだと思う。

 タワーレコードの黄色のショップ袋を持つのがうれしかったこと(これはディスクユニオンに繋がっていく)、早く帰ってCDデッキにCDを入れて聴きたいこと。今回のジャケット、なんてステキなんだろうとわくわくした気持ちが思い出される。

 いまだに、AppleMUSICのシャッフル再生でASIAN KUNG-FU GENERATIONが流れると、あの深夜のJAPAN COUNTDOWNと、少し眠さのある気だるい夜中の雰囲気と、鬱屈とした精神がサッと一瞬通り過ぎていく。
 それはすぐに掻き消えて、アジカンの曲が流れ気持ちがスッとし「やっぱりアジカン、いいな」と思ったりする。

 今回、アジカンについて書こうかなと思いnoteをさらっとタグ検索してみると、やっぱり十人十色、いろんな思い出と思い入れがある。たった一枚のアルバムからそれが伝播していき、ひとりの心と人生の中に色濃く残っていく。枝分かれしていく人生みたいな、無限の可能性がある。発売日、みんなあのアルバムを手に取って、わくわくした気持ちでCDをセットして再生ボタンを押したんだ。そう思うと、とても愛おしい気持ちになった。


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