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曲がり角をまがる


『赤毛のアン』の好きなフレーズ。

ところがいま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。

    『赤毛のアン』モンゴメリ(村岡花子訳)

アンは思い描いた将来ではなく、マシュウの死によって思いがけない方向へ行くことになったわけだが、その曲がり角も、神の計画であり自分にとって良いものに違いないと信じての、このフレーズなのだ。物語の最後「神は天にあり、世はすべてよし」で結びとなる。

私にもこの春、曲がり角が訪れた。
アンとは違って、思い描いていた通りだけれど、
長男が施設入所する。34歳。34年目にして毎日が変わる。
曲がり角という節目である。
この先には、今は明るい光が見えるばかりだ。
穏やかに、さざめくように。
私も笑ってこの曲がり角の先へ歩いて行きたい。

「私も」というのは、きっと長男にも、そう見えているんじゃないかなと思うから。
ただの希望的観測?親の独りよがりかもしれないが。
「〇〇園で暮らすことになるよ」
「職員さんと、お部屋の人と、仲良くしてね」と説明したら、
ニッコリ返してくれた。聞き入れてくれたと信じたい。

コロナ禍が始まった頃に、一度、入所の打診があった。
しかし、入所しても面会ができない状況だと言われたので
その時は見送った。
1年後の昨年も意向を聞かれたが、緊急を要するご家族があって
審査の結果、そちらに決定したのだった。
そして待機2年目、今回の決定となった。

決まってから、今日で5日。
「いつか」だったものが現実化して
ずっと気持ちはフワフワしている気がする。
究極の見栄っ張りなので、緊張高めかもしれない。
ときどきふっと寂しさの影がよぎる。

入所を知った仲良しのお母さんたちから、
気遣う視線が向けられ、思いやる言葉がかけられる。
長いこと、いろいろな気持ちや苦労を分け合ってきた人たち。
心からありがたく思う。
でも、そういう気持ちをガッツリ受け止めるのも、今はシンドイから、どんな経過で決まったのか、入所にはなにが必要と言われるのかなど、乾いた説明に気持ちを集中させる。

まだ明日は今までと同じ日。
それが1番こたえてるかもしれない。何をするにも「もうこれは必要なくなるんだな」と心の中でつぶやいては、これまでの日々を思い出している。34年間替え続けたオムツが、もう不要になるとは…これが一番切実に胸にくるっていうのがまた何ともはやである。

あとほんの数枚を替えれば、ひと様の手に委ねる日が来るんだな。
ありがたく、もったいなく、切ないことだけど喜ばしいその日が来る。

入所の手続きや説明で、当日は半日以上はかかるということ。それがとても嬉しく、楽しみでもある。長男の近くに1分でも長くいられて、これからの毎日が想像できるから。
夫も仕事が休みなので行けるから、一緒にじっくりと聞いてこよう。

長男も私たちも。これからまた始まる。
道は曲がり角があるから面白い。





追記(4月14日)
いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます。
たまたま通りかかってくださった方には、いきなり入所施設に?
と疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
この施設は、長男が子どものころから通っていて
医療、リハビリ、生活介護と、全体的にお世話になってきました。
この7~8年は、週末のショート利用ですっかり「別荘」のように
親しみのある場所になっています。
職員さんや利用者さんにも顔なじみさんが多く、母親の私よりも
ここでは「顔が広く」なっている、そんな施設なんですよ。


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