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経験に基づく精神的病気に対する主観見解

病気に関する自身の視点の記載。
今回の記事、主観かなり強いです!内容はほぼ自身と両親のことを背景に書いています!
身体的、精神的病気について所感を記載しているため、苦手な方、不快と感じられた方は、以降読まないようにお願い致します。















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★僕の病気

僕は生まれながらにして、先天性心臓病として、冠動脈瘻という病気を抱えていました。
ざっくり書くと、心臓に異常な管が繋がっており血液が無用に流れ込むことで、心不全や狭心症を引き起こす可能性のある病気になります。
病気治療のため、記憶すらない小さい頃に手術、成功します。
小児特定慢性疾患のため経過観察として、この病気と付き合っていくことになります。
術後も時折心臓が痛くことがありましたが、何度も経験すると「なんか始まったわー」という感覚で、心臓を手で強く抑えていればそのうち痛みが和らぐので気に留めなくなっていきます。
運動に支障は無かった為、小学生の頃は軟式野球のクラブに入ったり水泳教室を習ったり、中校生以降は痛みもほぼ発生することは無く、ソフトテニス部やバドミントン部に入り、中学卒業と共に小児特定慢性疾患の期間も終えます。
僕の中で心臓病という病気は、小学生の頃から特に意識することなく、自身を病気と認識していなかったというのが近しい表現です。
今では健康診断時、心臓の鼓動の音に若干の違いがあるらしく、医者に聞かれた際に完治したことを伝える程度で、支障ない生活を続けています。
発展した医療に感謝〜。





★母の病気

話は変わりますが、僕の母は精神的に弱い方でした。
小さい頃から祖母から早くに働くことを勧められ、やりたいことも出来ずに若くして働く日々だったと聞いています。
圧迫された生活から精神的な弱さに繋がり、学がないことから自己肯定感も低く、嘆いていました。
精神的な弱さから母の鬱病(双極性障害)としての症状は、小さい頃の僕でも気づいており、「お母さんはちょっと変わっている人」程度の認識でした。
後に母は、扶助や優遇面で精神障害者手帳2級を交付されており、症状としても等級相当かと思われます。
現実社会で手帳交付されている方との遭遇が少ないため、ネット知識上の想定です。
母の症状が酷くなったのは、父方の祖父が病気で他界し、父方の祖母と二世帯住宅として一緒に生活してからです。
僕や姉が生まれてから、母は専業主婦でしたが、病気もあり専業主婦としての務めはあまり出来てなく、特に母の手料理は記憶にありません。
そこに対して、厳格な父方の祖母から母に対して指導は強かったらしく、折り合いがつかないことから、家内で「こんなところに引っ越したく無かった!」、「こんな家出て行ってやる!」と叫んでは、夜中にいなくなることが多かったです。
その状況に小さい頃から僕は慣れていきました。
「お母さんはちょっと変わっている人」なので、それが当たり前でした。
この状況は、祖母が病気により入院生活となったことで、祖母の圧迫が無くなったことから結果的に解決します。





★父の人物像

その母に対して、僕の父はとても気さくな人でした。
父の仕事は、輸入雑貨を扱うお店の店長、及びバイヤーのお仕事でした。
仕事の影響もあると思いますが、商売が好きな方なのでどんなタイプの方にも人当たりが良く、年上年下関係なく、誰とでも良好な人間関係を構築している人でした。
プライドが見えないというか、プライドの無い人でした。
また、いつも根拠のない自身で「大丈夫!なんとかなる!」が顔に出てるような人でした。

そんな父親は、母親のこと、そして子供(姉と僕)のことをとても心配していました。
普通に生活することが難しい母親に代わって、料理や家事、姉や僕が病気になったときは仕事を休んで付き添いもしていたと思います。
母や祖母の関係、子供たちの前で父親としての立場も働いていたかと思いますが、弱音を吐いたところをほぼ見たことがありません。
ある意味で何を考えてるか分からない、精神的な大黒柱でした。

そんな父ですが、僕が高校卒業する頃、長年勤めていたお店が閉店することになり、別の店舗、部署に異動する話があったそうです。
父親が自身での商売が大好きだったので、そのタイミングでお店の「のれん」(店名)を頂き、個人事業主として別の場所にお店を開きます。
現在もそのお店は続いており、コロナご時世で店舗売上は下がりながらも、通販事業や、同業のお店を開く方へのアドバイザー、サポートをしながら、還暦を超えた今でもお仕事を続けています。





★変化のタイミング

父親が仕事の関係で個人事業を始めたタイミングは、祖母が入院したタイミングと同じでした。
祖母からの圧迫も無くなり、夜に外を出ることが無くなった母ですが、鬱病自体は治ってないので、また何を起こすか分からない状態でした。
その状況で父親は、個人事業という形で、母親を社会に参加する流れを作ります。
父親は輸入雑貨でハンドメイドをしていた他、通信販売の梱包等、お店の裏方でやることはあったので、その作業に母も関わっていました。
お仕事の時間で母と関わる時間を作り、トラウマの脱却や孤立から抜け出す取り組みをしていたと思います。

母親の精神状況も回復していきながら、姉と僕は社会に出ていきます。
僕が東京に出た後、母が膵臓癌に掛かります。
ステージ3まで進んでおり覚悟していましたが、手術と術後経過、転移なしで、今ではインスリン注射も不要な状態まで回復します。
姉に子供が生まれてからは、孫の面倒をたまに見ながら、日々を過ごしています。
癌から回復した以降は、癌を通じて生きていること自体に感謝することが多く、トラウマから来る精神的な不安要素はほぼ無くなったと思います。
癌という病気がきっかけとなって、自身を振り返る機会にもなったと話しています。
その中で、母の言葉を借りると「お父さんに拾ってもらって本当に良かったー」と言うことがあります。姉も「お父さんみたいな人見つけてお母さんはラッキーよー」と、学生時代からよく言っていたものです。





★父の意識

ここで父の人間性についてもう少し触れます。
僕が自身の心臓病について正しく知ったのは高校生の頃でした。
上記には心臓病のことを当時から知っているように記載していますが、正しく理解したのは高校生の頃です。
医師からは激しい運動や、心臓に負担の掛かりやすい行動は控えるように言われていたそうです。
今にして思えば水泳なんてもっての他ですね。それでも僕がやりたいということに対して父は「そんじゃあやってみよかー!」の精神でした。

父は、病気を抱えている人に対して、意識的に区別しない人でした。
相手が何かしら病気を抱えている場合、病気によって人間性を想像するかと思います。
もちろん父も想像はすると思いますが、だからといって接し方や距離感といったものを変えることは無かったように見えます。
また、病気を抱えている人に対して、病気というレッテルを自身で貼ることを推奨しない人でした。
これは、僕の心臓病を完治したタイミングで教えてくれたことや、母の障害者手帳に反対していたところからも伺えます。
手帳について、もちろんメリットはあるものの、レッテル起因で思考や行動に悪影響を与えることを危惧していました。
悪影響については、自身に掛かるバイアスを理解している方であれば、メリットのみを受容できるかと思います。
少なくとも父は、小さいの頃の僕や母に対して、そのバイアス、影響も含めて考えた結果かと思います。





★僕の意識

そんな父を小さい頃から見てきた僕は、父の考えが分かります。
またその影響もあって、一点、少数派だと思う意識があります。
これまでネットコミュニティを通じて、特に精神的な病気を掲げている方を多く見てきましたが、小さい頃から母を見てきた僕からすると、ネットコミュニティで出会うほぼすべての人たちは、その病気の症状レベルからしても母を超える人は極僅かの為、奇怪な行動も想像の範囲内で収まることが大半でした。
ある意味で、父と同様に区別しない人の感覚に近しいと思います。
ただし違いが一点あり、母への影響を考慮して区別しない接し方をしていた父の感覚も理解しつつ、その感覚以前に、「ちょっと変わっているお母さん」を超えないレベルの症状に対して無意識に、区別に該当しない感覚があります。

なので、「私は病気だから〜」という話をされて、「そうなんや〜大変やったね〜」と思うものの、その人の見え方が変わることがありません。
病気ゆえに困っていることがあれば寄り添いますし、接し方の改善もすると思いますが、優しくない書き方をすると、病気だからといってその人となりを特別視しないと思います。

病気と言われようとも、病気の有無に関わらず、僕の見てきたあなたに変わり無いのだから。





★他者の病気に対する接し方の一回答

上記、精神的病気を患った方に対しての僕の視点を書きましたが、もちろん特別視はしないものの、その症状に寄り添う優しさは重要で、とても大事なことと思います。
病気に対して、差別、区別した不自然な優しさは、相手を想っての行動と思いますが、継続的な関係においてはその不自然さにいずれ気づきます。

他の考え方も多々あるかと思いますが、相手の病気に寄り添う優しさと、その病気を差別どころか区別しない優しさが、僕の思う優しさになります。





★最後に

昨年の12月下旬、discordで知り合ったとある方と2人きりで会う機会がありました。
少人数だからこそ本心で会話できる機会で、会話の中で「○○○○(僕のハンドルネーム)が好きになる人ってどんな人?」と聞かれました。
真っ先に答えたのは「人の痛みが分かる人」でした。
そのバックボーンを、自身に対しても残しておきたい記事として表現します。




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以上となります。今回も長くなりましたねー。
今年入って時間の使い方変えて早一ヶ月、人と会話する時間は減りましたが、その分外出したり思考する時間が増えました。
ただしINPUTの時間多めなので、どこからしらでOUTPUTの時間とのバランスも大事だなーと思う次第です。

ここまで通して読んでくれた方、飛ばし飛ばしで読んでくれた方、ありがとうございましたー。

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