「行きつけの店で顔を覚えられてしまったらもう無理」症候群
だいぶ昔ですが、当時勤めていた都心の会社の近くに、なんとなく居心地の良さそうな普通の定食屋さんがありました。
それほど年齢の高くない店主と若いバイトの店員たち。
小ぎれいな内装と悪くない料理と手ごろな値段。
私はそこでお昼をよく食べていましたが、その店のいいところは、何度も通っていてもお店側から客である自分に声をかけないという態度でした。
そのため、忙しい仕事の合間を縫ってそのお店によくお昼を食べに行っていました。
しかしある日店先に張り紙がしてあり、こう書いてありました。
「長い間ありがとうございました。○月〇日で閉店します。店主」
あー残念だな、次からお昼どうしよう、と思いつつ過ごしていたらいつの間にその店の最終日になっていました。
そして最後の日、私が席に着くと店主の方からおもむろに
「いつも来ていただいて、ありがとうございました!」
と丁寧に声をかけられました。
でも、私はどうしていいかわからず固まってしまい、食事を終えたらあいさつもそこそこに、すっと消えるようにその店を後にしました…
なぜ私は、その店を逃げるように去っていったのでしょう?
この症状に名前を付けたい
昔さまぁ~ずがテレビで、ラーメン屋のおやじに顔を覚えられたらもう行けない、と言っていたのを限りない共感とともによく覚えています。
そして今日も「ジムで声をかけられて気まずくなり辞めてしまった」というまとめ記事を見かけました。
一定数の人が、この「行きつけの店で顔を覚えられてしまったらもうアウト」症候群を発症しているようです。
もちろん私もその一人です。
ただ、Xでもどこでもこの話題が定期的に現れるくらい普遍的な感情だと思うのですが、なぜか名前がありません。
モブでいたい症候群
他人との心理的距離を死守したい病
私のセンスがないせいですがいい名前が思い浮かびません。
どなたかにちょうどいい呼び名を決めてもらえるとありがたいです。
この状態に至る心理を解明
私が思うに、これは「他人と接する際の心理的負荷を回避したい気持ち」だと思います。
まず、飲食店で食事をする際に行わなければならないタスクは以下です。
・その店まで行き来する移動タスク
・メニューを決めて食べる食事タスク
・満足の対価を払う支払いタスク
これはとても大変な作業ですね(笑)。
もし毎回新規のお店に行くとなると、食事のたびにこれらのタスクが無事済ませられるか心配しなければなりません。
道で迷わないか、好きなものを選べるか、金額に見合ってるか?
でも行きつけの店であれば心配無用、大脳を使わず脊髄反射のみで対応できるんじゃないかというくらいの気軽さで食事をこなすことができます。
でもそんな心理的負荷の低さで行きつけになったお店の人から、上記のタスクの大変さをはるかに超える働きかけ、つまり「なじみ客としての良い振る舞い」タスクを要求されたらどうでしょう?
その日にちょうどいい話題、さりげない自己紹介、店をほめる自然な言葉。店主とやり取りすることへの興味の表明もしないと。
変な服装や疲れた顔じゃまずいし…
その瞬間から、もはや気軽に行けたあの店の良さはすっかり消え、ただひたすら気疲れする場へ変貌します。
ならばもう行かない。
そういうことではないでしょうか。
ひとつ言わなければならないのですが、この件に関してお店の人は一切悪くありません。
むしろ人として正しい振る舞いです。
それを負荷にしか感じない私の方がおかしいんです。
でも、他人と接する緊張は避けたいけど気に入った良いお店には通いたい、という矛盾した思いがこの病を発生させているのは間違いありません。
そんな私のような客があなたのお店に通い始めたことに気づいたら、どうか小動物を見るような優しい目で「見ないふり」をしていただければ、本当にありがたいです。
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