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メルカリ経由で出会う意外な感情

少し前に私は、物を捨てるのにもお金と手間がかかる上に、まだ十分使えるものを粗大ごみに捨てて廃棄物を増やすのは嫌なので、要らないものをメルカリで売ることにしました。

大したお金になるわけでもないのですが、捨てる手続きの面倒くささと自分のわがままでごみを増やしたという良心の呵責に比べたら、非常に気持ちのよい作業でした。

ただ、いままでフリマやヤフオクで買ったことはあっても売ったことがなかったので、経験者なら分かると思いますが、出品や発送の意外な手間の多さにちょっと失敗したかもしれないと感じたのも事実です。

でも予想外にやってよかったと感じたことがありました。

それはもう「出会い」と呼んだ方が良さそうな、ネット経由での商品のやり取りにまつわる感情です。


欲しいと思う人はたくさんいる


私は、あまり実用性がないけれど好きな人は好きそうな、高級過ぎない趣味性の高い製品をいくつか出品していました。

今もその商品に思い入れがないわけではないし、買った当時は流行っぽくて良かったけれどもういらない、というくらいの感情を持った商品です。

そのような商品は、当時手に入れ損ねたか、または飽きて捨てたがまた欲しくなった人がメルカリで熱心に探しているようで、予想外にあっさり買い手がつきました。
また状態がよかったりレア感があるものは恐ろしく速く売れました。

そしてその際、売る側の自分も買う側の人も共通してその商品にまつわる感情を思い出してこの取引を楽しんでいるのが、売買の際の少しのコメントや、買った人の反応から伝わりました。


処分ではなく託したい


また別の商品、安いけれど質はいい楽器を売るのは結構大変で、ただサイズがデカかったからなのですが、私は梱包のこの字も知らない素人なので、見よう見まねで壊れないように包んでいました。

その楽器は予想より早めに買い手がついたのですが、売り上げのことより、ちゃんと使ってくれそうな人に渡ってよかった、という感情が自分の中で明らかに勝っていて、メルカリでその感情に出会うことが意外でした。

例えば、長く使った道具を中古販売店に引き取ってもらう時は、当然「処分する」という気持ちで渡します。
粗大ごみとして捨てる際はもっと作業的にただ手配して取りに来てもらうだけで、それ以上の感情はありません。

しかしメルカリでの売り手体験はそうではありませんでした。


情報を制御する効用


なぜそのような感情に至ったかを考えたのですが、おそらくネット経由で限られた情報しか得られないことが影響したと思います。

お互いの情報が分からないほうが、見えるわずかな部分にお互い集中して想像力を働かせるので、リアル世界よりかえって質の良いコミュニケーションが行われる可能性があります。

直接会わなくても、手紙や短いメッセージだけで十分やり取りできることもありますよね。

また今回は商売ではなくただの思いつきでやったことなので、商売にまつわる嫌なことがなかっただけかもしれません。
売ったのが実用品ではない趣味のものだったので、それが良い方に働いたとも言えます。

しかし、メルカリという、どちらかと言えば私は無駄のない合理的なやり取りを想像していた場にもかかわらず、その逆のむしろエモい感情を体験することができたのは不思議な感じがしました。

メルカリやフリマアプリでのトラブルは実際に多くて問題になっていますが、売る人と買う人がポジティブな感情を持って臨めばそんなことは起きないので、参加者がそういう感情になるような制御の仕組みが一番必要ではないかと思います。



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