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タイパは時短ではなく体験価値の最大化

タイパとは、タイムパフォーマンス=時間対効果

もうこの言葉は一般化したようで、Z世代の新しい行動様式という意見もありますがそんなことはなく、昔から同様のものはありました。

ビデオやDVDにも倍速の再生がついていましたし、文学作品のダイジェストだけの本、イントロ・間奏のない曲、ゲームを早く終わらせるための攻略本など、楽しい部分だけ残してあとは省略したいというタイパ追求のための仕掛けは普通にありました。

ただ、それらは邪道で正しくないと信じられていたのが、近年そういう人のほうが多数派になってきたのではないかと思います。
さらに仕事などでもタイパを求める人が増え、それを理解できない人が軽い拒否反応を起こしているという構図が多くの場面で見られます。


タイパとはなにか


体験価値の低い時間を圧縮し、消費時間当たりの満足度を最大化する試み

だと私は思います。

未見の映画や本、音楽やゲームを試す前に、作者・タイトル・概要が分かれば、それが大体どんな展開なのか、どんな内容なのかなどはある程度予想できます。

そして事前の予想でそのコンテンツの価値がそれほど高くなさそうと感じた場合、倍速視聴やダイジェスト版で済ませれば、かけた時間当たりの体験価値を下げないようにできます。

つまり、半分の楽しみしか期待できない作品は半分の時間で体験すれば時間当たりの価値は同じというわけです。


つまり個人のUX価値最大化


ここ10年くらいでしょうか、企業がサービスのUX(利用体験)価値向上を目指すのはもう当たり前になっています。

顧客に提供する体験価値の向上は常に企業側の大きなテーマとして取り組まれていますが、タイパというのはその取り組みを個人内で行おうとする試みではないかと思います。

UX向上に取り組む人々が、自分個人の体験価値向上も目指したほうがいいよねと考えた結果、楽しくない、役に立たない体験をなくそうと考え、なくせない場合でも時間短縮を試みるようになった。

そしてその行為にタイパという名前を付け、時間ばかりかかって大した価値のない事象すべてをやり玉に挙げるようになってきた、という流れがあるのではないでしょうか。

例えば電話という時間を他人に突然占有されるコミュニケーションや、PTAや役所のようなアナログしか受け付けない組織、義理を果たす以外に何も生み出さない人付き合いなどは、今すぐ見直したほうがいいと思います。


しかしそれは時として短絡的な判断を呼ぶ恐れがあります。

特に教育や子育てのような長い時間をかけないと成果が出づらい体験は、一見タイパが非常に悪く見え避けられてしまう可能性があります。

中学受験の世界では、合理的なカリキュラムと学力の数値的な評価によって受験校の合格予測が非常に高精度に行われます。
受験勉強にかけた時間や労力に対する成果が明確にはじき出される有名な塾の人気が非常に高いのもうなずけます。

それに対し公立の小学校は非常にアナログで学習の成果がよく見えないので塾と比べて非常にタイパが悪いと感じてしまいます。

しかし小学生には人格形成の基礎となる積極性、自立心、忍耐力、思いやりなど、成果は見えづらいけれど絶対に教えるべきことがあり、効率を追い求めることが正しくない場合もあると十分に意識する必要があるでしょう。


タイパに対抗できる別の価値


とはいえ、やはり時間ばかりかかってなかなか成果が見えないと、それが必要と分かっていてもできるだけ時間を短縮したいし、人によってはそれ自体を回避したいと考えるのが普通です。

私は、それに対抗できる価値観は、
時間を忘れてのめりこめる要素があるか?
ではないかと思っています。


教育や子育てには数値では決して表せない、「できない」が「できる」になっていく過程に関われるという感動があります。

子供に限らず生き物の成長は本当に不思議で、教育や保護をする側の意図通りではないかもしれないけれど、かけた手間や熱量は必ず何かの形になって返ってきます。

また、何かのファン、推し、趣味といった本当に夢中になれる対象には、タイパという言葉は使わないと思います。

チケットやグッズを手に入れるために安くないお金を払いさらに何時間も待ったり、好きなアニメやドラマを気づいたら朝まで見続けていたなんて、冷静に計算したら割に合わないに決まっていますが、それがいいんです。


そう考えると、タイパという考え方の中に、時間と満足度を自分の管理下に置こうとする自分本位のコントロール欲というエゴを感じます。

それが悪いとはいいませんが、それと同じくらい教育や趣味のような利他的な愛情や夢中になれる対象を持つことで、ある種のバランスが取れるのではないでしょうか。




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