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東京一極集中の次に来ること

コロナ禍の終息により、再び東京への人口一極集中が再加速しているという記事を読みました。

コロナで一時的に減速した人口移動傾向が戻りつつあり、リモートワークなどの新しい働き方による東京から近郊や地方への人口移動もなくはないですが限定的で、マクロでみると東京への集中は相変わらず続いているということのようです。


少し古いデータですが、2019年にニッセイ基礎研究所が出した、1950年からの65年間における各地域別の子供の増減を調べたレポートをご紹介します。

これによると、65年間で増えたのは神奈川・埼玉・千葉のみで、大阪・愛知・東京・滋賀が1~2割の微減、沖縄・奈良・兵庫が約3割の減少となっています。

そしてそれ以外のすべての地域は4割以上減少し、なんと7割以上減っているのが、青森・岩手・長崎・福島・高知・山形・徳島・島根・秋田です。
東北地方すべてと四国2、中国・九州が1ずつです。
その後は愛媛・新潟・山口・大分…と続き、47都道府県の3分の1が同じ状況と言えます。

おそらく上記の地域の多くは30年後には人が非常に少なくなり、今のような形で地域を維持することができず、他の地域と合併して消えていく可能性が十分にあります。


もう抗えない大きな流れ


Twitterや各メディアなどでは東京への人口集中に対して下記のような意見がよく見られます。

「東京や大都市が地方から学生と若い人を奪った結果」
「政治経済の中枢機能をすべて東京に置いているせい」
「地方創生や活性化に失敗した政治の問題」

どれも正解だと思いますし、特に地方創生や活性化はもっと違う方法があったんじゃないかと私も素人ながらにいろいろ考えますが、その策が思いつかないのが正直なところです。

しかもこの流れはすでに何十年も変わらず、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナのいずれも乗り越えてきました。よって小手先の政策や状況の変化ではきっと変わらない構造的なものだと思います。

そうだとしたら、いっそ過疎が進みすぎている地方の復活はもうあきらめ、適切な終わらせ方を考える時期に来ているのではないでしょうか。


自分の通った小学校が廃校になったら


私の通っていた小学校が少子化の影響でクラスが減り、そのうち廃校になるんじゃないかという話を耳にしました。
実際にはまだ存在しているのですが、クラスが減っているのは事実です。

過疎地域ではないむしろどちらかといえば都市近郊の地域にもかかわらずそこまで少子化の勢いが影響していることに驚きましたが、その話を知った時の感情というのは、他にはない独特なものでした。

小さなころの思い出が詰まった小学校がなくなってしまうかもしれない。
それは、卒業後すぐに引っ越してその地域にそれほど愛着もないし関わりもほぼない自分でも、十分にショックを感じました。

通っていた小学校という存在は、人によりますが私にとってはとても貴重で失いたくないものなんだと、なくなりそうだと聞いて初めて思いました。


小学校の廃校の噂だけでこうなのですから、代々生まれ育った地方が過疎で消え行くという現実を目の当たりにした人なら、きっと冷静ではいられず、なんとしてもそれに対抗したくなるのは分かります。
それだけ愛情があるということの裏返しなのでしょう。

しかし私がその小学校の消滅の噂を前に実際にしたことは、ネットなどでその小学校の様子を調べたり、当時の写真などを見てノスタルジーにふけっただけで、ぶっちゃけ何も具体的な行動はしていません。

まあどうしようもないですからね。


思い出の上手な終わらせ方


今では意味や機能を失っているが、かつての思い出や価値を忘れないようにしたいと考えその証拠を残しておく、という昔からの知恵があります。

物語、記念碑、地名の一部などにその思い出を忘れないように残しておくという作業は、もう残念ながら消えていくしかない地域に対して行うべきことで、そうやって歴史が作られていくのだと思います。

そうやって役目を終えた場所を閉じていくための施策は、誰かが儲かるわけでもなく重要視されないため今は少ないように見えますが、これからはもっと必要になるのではないでしょうか。




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