恐竜元年:始まりの三日間の物語

03:スグリムと独楽(こま)と六郎佐

その都市の南、大通りからいくつもの小路を抜けた先、衝立のような木壁と深い川掘で隔てられた向こう側は、悪臭と腐臭がただよう、打ち捨てられた人々が集う荒れ果てた一角だった。見渡せば、今にも壊れそうな朽ちた幹を組み合わせて葉を乗せただけの家屋が続き、昼夜問わず小さな虫の羽音が耳元で唸り、その雨露凌ぐ屋根さえも失っているらしい人の、生きているのか死んでいるのかさえ判らない痩せ細った躯が時々に落ちている。そのほの暗く重い空気を湛える路地を進んだ突き当りの奥にただ一つの木賃宿があるのだが、ほとんど旅人が来なくなった今では、宿としてよりも都市を騒がせる名の知れた悪漢、この都市の最高額ともいえる賞金首が住み着く根城となっていた。そして今日の午後も、いつものように、少し、騒がしい。
――ガタンっ!
不機嫌に外された高窓の木戸。その音に驚いて、死肉を齧っていた小さなネズミに似た哺乳類達がちぃちぃと警戒音を残して一斉に暗闇へ身を隠す。
「で、用事は何だ?」
その獣達をあざ笑うように、窓枠へだらしなく身体を預けている男は虫の居所がよろしくないらしい。
「お前らのせいで逃げられちまったじゃねぇか。久しぶりの獲物だったのに」
彫りの深い印象的な顔立ち、日に焼け若々しく逞しい四肢が着流した恐竜の皮の上着、傷んで所々破けている穴からも露呈していて、なんとも言えない色気があるのだが、
「あー、ひまだ、ひま! なーんか面白い事ねーかな」
そんな見た目とは裏腹に理不尽な程ふてぶてしい態度。
「スグリム……」
来客の二人はその彼を前に困っていた。二人とも彼、スグリムと年の変わらない2人の青年で、全く同じ髪の色と瞳の色、体格をしており、その顔立ちまでもが双子かと思わせる程よく似ていた。ただ、片方を燃え盛る炎とするなら、もう片方は静かに凪る水面を思わせる空気を纏っており、それぞれの境遇も違うのだろう、纏う服の色彩も形も異なっていた。その雰囲気の違いが見分ける方法になるのだろう。
「いいかげんにしとけって……」
急ぎの用があったらしい二人が彼の部屋を訪れるのと、まさに彼に組み伏せられていた見知らぬ娘が抵抗して泣き叫んでいるのとは同時だった。思わず助けて逃がしてやったものの、それが相手には気に入らなかったのだろう。
「ぁあ?」
不満な声。
「ムカつく……」
視線もあわそうとしない。スグリム、という名のこの男がいつからこの都市、エルデスにいるのかは知れない。ただ判っていることは、まるで遊んでいるかのように都市の女性を見境なく気まぐれに攫っては殺す、ということだけ。人は彼を「黒スグリ」と呼び、都市はその首に賞金を懸けた。
「お前な……」
口火を切った炎の青年が続ける。
「そんなことより、お前、あの子供から何かを手に入れたというのは本当か?」
「子供? ああ、あの森のデカイ《三本角》(トリケラトプス)といる蒼チビか。まだあれはガキだぜ。後、数年もしたら、むしゃぶりつきたくなるような女になるだろうがな」
「そうじゃねぇよ!!」
噴火。どうやら性格まで炎のような男らしい。その横で凪静かに見守っていたもう一人が呟いた。
「独楽(こま)、落ち着いて」
「ンだよ、六郎」
荒れ狂う炎の親友を強く見つめ返すと、反する水の青年、六郎と呼ばれる彼、六郎佐がそのままスグリムへ視線を流し、
「スグリ、判っていたでしょう? 今でさえ君の状況が状況であるのに、……なのに、まさか……そんなことをしたら、今まで以上に危険なことが起こるのは目に見えてる。自爆行為だよ……」
溜息混じり。相手はフンとそっぽのまま。
「……それを彼女に返せないのか? まだ間に合う」
強い意志が見え隠れする一滴の声。
「断る」
返す、不適な笑み。
「俺は俺の好きに生きるんだよ。第一、お前らがなんて言おうが、お前らの主ども、あのクソッタレどもが俺にチョッカイかけてこの町が戦争になるんなら、それもそれで運命なんだろうよ」
「てめぇ!」
コマの瞳が火を噴く。
「この町が無くなったら、俺たちにはもう生きる場所が無いんだぞ! そのチンケなモノが街に持ち込まれたせいで、町が戦争になるとか、だめだろ! そんなの!」
「ふん、チンケねぇ?」
男は鼻で笑う。
「まったくチンケな話だよな。 いぃんじゃねぇの? それで滅びるんなら滅びちまえ。俺は退屈だったから、ちょっと遊んでみただけだ」
判っていたことだった。スグリムを、彼を縛るものは何もない。
「……戦争にはなりませんよ」
六郎佐の声はあくまでも淀みなく、冷ややかだ。
「今、この都市で戦争をする事は、ありえない。起こすことを、してはならない」
ふう、と一息。
「私たちがこうして出会って、友となってもう数年。私達三人はお互いにこの町で何をするべきなのか、してはならないのか、判っているはず――」
「裏切るのか、とでも言いたいらしいなぁ? 六郎」
ニヤリとスグリムは遮った。
「俺がアレを手に入れたのは、この世界を変える為だ。滅ぼす為じゃない」
「理想かよ、いまさら!」
噴き続ける独楽(こま)。だが、六郎はその冷静な利発さで、
「……君のことだ。やりたいことはそう小さな物ではないだろうと私は信じている。けれど、時機を見失うと、私は君を殺さねばならない」
二人をたしなめるように続けた。
「私の主人、ロード・奥羽様、独楽(こま)の主人、ヴィクトリアス・シージップ様、それぞれにエルデスを支える権力者だ。それぞれの立場で、君を追うことは目に見えている。だから……」
「エルデスの三権者が敵か? それはそれで面白いだろうな」
減らない口が良く動く。
「面白いのかよ! 勝手だな!」
無頼のスグリムはともかく、独楽(こま)、六郎佐ともにそれぞれの主人がおり、普段は下男として働いている。この都市で権者の庇護や恩恵にあずかることの無く自由に暮らす無頼、スグリムのような存在は相当に珍しいのだ。そしてその自由を満喫して振るまい続け、気が付けば彼の命には都市の人間一人が一生遊んで暮らせるだけの値段が付いた。
「君はそれで良いのかもしれないけれど……私も独楽(こま)も、そうはいかないんだよ……」
「六郎の、言うとおり、だ、な」
独楽(こま)も六郎と全く同じ顔をする。
「お前とやりあうか、それとも俺がシージップ様を裏切るのが早いのか……」
どっちも裏切れねぇくせに、と男の口元が確かに笑っていた。
「お前らはそれぞれに主人ってモノをもっちまったよな。俺はそんな面倒モンいらねぇけどさ」
吹き込んでくる、死臭が混ざる乾いた暑い風。慣れているらしい彼らは咽るような空気の中にいるが
「あいつは後二つ持ってるらしいぜ。その三つが揃ったら、あのデカイ化け物に怯えることの無い、望むままの世界を手に入る。かつて、アーシェントって奴らが持っていた力、この世界に確かにあった、竜を好きにできる力、人を好きにできる力、生き死にを好きにできる力、が手に入るんだぜ?」
静かな間。
「俺がこの世界を変えてやる。誰の指図もない、あのデカイやつらにビクビクすることもない、うっとおしいバカどもに支配されることもない、そんな世界を。そのためなら、こんな都市なんざ灰にしても構わねぇ」
都市を滅ぼす、その危険な言葉の響きもスグリムの口を借りると甘美なものになる。
「変えなきゃ、何も変らないんだぜ?」
黒スグリの透明で無邪気な笑い。
「……灰にする前に、よりよき道を選ぼう。滅ぼすだけが、答えじゃないはずだ」
六郎佐はその静けさで答え、
「俺もそう思う。六郎」
独楽(こま)はその単純さで答えた。

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