恐竜元年:始まりの三日間の物語

04:ショウ・韻とシン・ユェズとタツマ

もう、日が暮れようとしていた。平凡で繰り返しであるからこその大切な日々、都市の近衛第一師団長は今日もその巨大な門のそばにある控え室、巨鱗木の幹と茎で組み上げた小屋へと入ると
「これより、閉門を行う」
背を伸ばし、毎日の申し送りの儀礼に声を上げた。待ち構え、走り集まった部下が目の前に一文字に並び、今日の担当班長が一歩前に出ると
「申し上げます! 本日の竜の来襲はありませんでした!」
「了解した」
返事を受けて硬い表情のまま、部下は一歩さがり列へと戻った。エルデスを守る門と宮殿を守る門の警備。この任務を負ってもう十数年ほどになる。かつては角竜の部隊を率いて各都市を制圧してきた武人であったが、世界にある都市がこのエルデスだけになった今、部隊の竜は食料に変わり、兵士は衛兵となっていた。武器を振るう相手も、戦争を繰り広げた他都市の兵士から、ならず者や都市へと入り込もうとする恐竜に代わってはいたが、部隊の人間の皆が武器と防具の手入れを怠ることなく、その心にある「皇帝と都市を護る自分」は失われてはいないと今も信じている。
「隊長」
若い兵士が名を呼び、彼も、うむ、と頷くと定例報告の続きを促していた。
「本日は、徒歩の旅人が二名、都市へと入りました。男二名、です」
「うむ」
「バードル・ダブス様の署名札を持っており、照会もできております。お客人との事です」
「うむ」
そうか、と、意に介さない風体ではあったが、
(バードル殿が雇い入れた傭兵か? ここのところ、多いな)
少しきな臭い予感を抱く。三権者の一人、バードル・ダブスは血の気の多い盛りだ。歴代将軍を排出するバードル家の現在当主は十年ほど前に家督を継ぎ、戦う相手である他都市が失われた今では政治へと手を伸ばし、権者として君臨している。その彼の屋敷に多くの流民、それも武芸者、傭兵ばかりが集まっていることは確かにあまり好ましいことではないだろう。
「後は?」
それでも悟らせず、ゆったりと答え、
「はい、女がひと――」
――ドドドドド
若い兵士の報告を遮り、走りこんでくる竜の足音。響く規則正しい低音は獣竜アミキスシムスのものだろう。それも複数、恐らくは二頭か。兵士達はいきり立つようにそれぞれに武器を手にすると、
「見てまいります!」
我先にと飛び出していく。それを見送り、彼は、ふぅぅ、と大きく長い溜息をついた。新たな旅人の到着、またエルデスに流民が増えるのか、と、

――ココ、コワイ……
 アミキスシムスは夕暮れのエルデスの門の前で立ち止まると、柔らかな夕日に長い影を引いたまま、ためらうように鞍上の主人を見た。その視線を受けて、タツマも同じようにその門を見上げる。
――コワイョゥ……
この大きな一枚岩はどれだけの人を迎え、見送ったのだろう。
「重いな、これは」
その独特の感覚で岩の悲鳴に似た何かを聞き取ったらしいタツマが自然とユェズを見る。
「この門がエルデスの入り口……」
対するユェズは別の意味で緊張しているらしい表情。
――ネェ、イコウヨ。ココ、コワイヨ。
「そうだね、早く抜けてしまおう。立ち止まっちゃいけない!」
タツマは声と同時に振り払うように踵を胴に当てて竜を促すと、彼らもその恐怖から逃れようとするかのように走り出す。
――アノ オオキナイシ、タクサン、オコッテルヨ。
(判ったよ、私にも)
手綱を通じて、思わず想いを投げ、
(さっき、ついさっき、アーシェントはもうない、と決めたばかりなのに……!)
自然と使ってしまうその力に怯えるように瞳を閉じた。

(竜に乗って走りこむとは大胆だな)
怖いもの知らず、とも言える。しかし、彼はその見知らぬ旅人の行動をどこか憎めない様相で、先に飛び出した若者達の後に続いていた。
「待て!」
門をくぐった刹那、ガチャガシャと甲羅と鱗、骨のすれる音を響かせて数人の兵士が駆け寄る。按上の二人がそれぞれに慌てて竜を止め、とめられたアミキスシムスは驚いて首を伸ばし、甲高い独特の怯えた声をあげた。
「その竜は入れることはできない。ここで手放されよ」
前で交差する、部下達の槍。その先の研磨された乳白色の骨の刃が伸びる夕日に染まる。
「しかし、彼らは共に旅をしてきた大切な……!」
思わず反論した片方を、華奢な方が優雅ともいえる動作で腕を伸ばし押さえると、
「理由をお聞かせ願えませんでしょうか? この辺は《狩人》(ラプトル)の大きな群れがあるようなので、ここで放せば確実に彼らの餌食になってしまいます」
丁寧な物腰と口調。追いつき後方に控えていた団長は、ほう?と心惹かれて
「この都市は、皇帝陛下以外に竜を養うことが許されないのだ」
答え、その声に兵士たちは訓練された動きで彼の前を開き整列した。ちらと血気に逸る部下達を見やると、警戒心をぬぐえないらしい顔が並ぶ。確かに、これだけの大きさの竜は滅多に都市に入らないし、それを乗りこなしてきた旅人を警戒するのも至極当然だろう。
「それがここの掟、なのですか?」
それでも相手は引き下がりそうになかった。線の細い若者の栗色の瞳が真っ直ぐに自分を見ている。信念を持つのだろう者によくある汚れない輝き。
「この都市に住むことは、皇帝の民となる事。申し訳ないが皇帝陛下以外に竜を持つことは許されない」
エルデスは皇帝の絶対的な庇護の元にある都市。だからこそ、この世界で生き残ってきた。その誇りにかけても、何人たりともその法に従わぬ事は許されない。その意思が伝わったのだろうか、旅人は静かに押し黙り、それぞれの背から降りる。とそれを合図に、一斉に音を立てて取り囲む兵士達。
「ならば、せめて、せめて一晩。この門の内側においていただけませんか? 朝が来れば、彼らを放します。そうすれば、夜までには自分達を守れるような場所へ、その本能で帰るはずです」
それでも若者は懇願する。老臣には、そんな彼らの気持ちがよく理解できた。今ここで手放したとして、朝まで無事にいられる確率は万に一つもない。この獣竜は大人しく、反撃の武器を持たない種類で、普段は大きな群れで移動しながら生きているのだ。たった二頭で夜の荒野に放り出されてしまうことは、獰猛な飢えた連中の餌になることと同じ。
「……」
もう片方の彼は体格が良く、気品さえ感じる物腰で余程竜に思い入れがあるのだろう、押し黙って旅の相棒の大きな顎を抱いていた。その仕草にもまた優雅さがあり、どこかしら流民とは異なる空気を感じさせる。
(不思議な旅人だな。流民ではないのか?)
老兵に浮かぶ疑問。そしてふと目に入る彼の髪色、かつて出会ったある人物、その若者と同じ髪の色の、とある偉大な故王の姿が頭の隅をよぎったが
(まさか、な……)
あえて何も口にせず、その思惑を彼方へと押しやった。
――キュルグルクルルゥ
別れを感じ取ったのか、アミキスシムスは低く甘えた声を出し、咽の奥から湧き出るような心地よい音が紫に変わりつつある夕暮れに響くと
「夜を前に、旅を共にした彼らを放すことは、私たちにはできません」
その連れの佇まいを見て、華奢な青年の変わらぬ凛とした態度。
「ならば、お前達も外に行けば良いだろう?」
一人が小馬鹿にした口調で吐き捨てると、
「はははは! そのとおりだ!」
「いいんだぞ、別に。遠慮するな!」
「旅が少し伸びるだけの事だ。 今更何の問題もないだろ!」
周りからは若い嘲笑が漏れる。その一瞬浮かんだ屈辱の表情を、長は見逃さなかった。
「やめなさい」
(彼らは、そのような侮辱を受けるような人物ではない)
部下達を手で制し、訓練された彼らは即座に従う。
「その竜と共に旅をしたと言ったな」
見つめた相手は視線を外すことなく、二人ともに頷く。
「ふむ。それにしては疲れを見せていないし、何より、お前達にとても懐いているようだ」
一歩巨体に近づくとその毛皮のような小さな羽毛に包まれた身体を軽く叩き、羽に沿ってゆっくり撫でる。驚いた竜が少し嫌がる素振りを見せると、主がその鼻面をそっとなだめ、竜は理解したのかすぐに身をゆだねた。首から胸板、前足から返して脛裏、堅い下腹、痛んだ鞍の前後、後ろ足、尾の付け根から尻尾、入念に触れ、無駄な肉一つない丈夫で立派なものであることを改めて確認する。何より、見知らぬ人に身体を触れられることは、この種類の竜にとっては啼き叫び、すぐに逃げ出してしまいたいほどの恐怖であり、それを我慢できるということは……。
「うむ、よく調教できている。それに、とてもしっかりした良い身体だ」
終わりだ、と告げるようにそっと柔らかい毛足の首を軽くたたくと、相手はもう自分に慣れたようだ、嫌がりもしない。主人に忠実で、調教された良い竜とはこのようなものをいう。だが、これが、かのバードルが呼び寄せ集めている者共の一頭なのだとしたら、と嫌な不安がよぎっていく。
「エルデスには何用でこられましたかな?」
「……育った村がやられました。生き残ったのは私たちだけです。それで……」
ふと、故郷を思ったのか言葉が途切れた。エルデスへたどり着くほとんどは、心に深い傷を負う。あの飢えた巨大な生き物と戦いながら生き残るために払われる犠牲はいつも大きい。その表情に、彼らの心の豊かさが垣間見える。
「……お気の毒に……だが、こうして、あなた方だけでも無事に着かれて何よりだ」
ありがとうございます、と態度で二人ともが応える。
「こちらには、誰かを頼って、かね?」
「いいえ」
「そうか」
心からの安堵。故郷を失い、エルデスに流れ着いた相応の教養と礼儀のある人間。ならば、確かに、捨て置くことはできない。
「……どうだ? 私の元で働く気はないか?」
「え?」
思わず二人ともが声をあげる。
「頼る相手も無いのであれば、ここに着いた後も何かと苦労が多かろう」
「有難うございます。ですが、私たちはまだ……」
華奢な若者の複雑な表情を読み取って、彼は満足げに
「それもそうだな、いきなりでは無理だろう。すまないね」
笑う。
「いいえ。お気遣い、感謝いたします」
言葉遣い、思慮深さ、身のこなし。確かな教育と身分をもっていたことが予想から確信に変わる。
「だが、これはとても良い竜だ。正直、外の《狩人》(ラプトル)どもにくれてやるのは惜しい」
その本音を相手はどう捕らえたのか、
「……」
互いに見合い、返答に困る顔をする。
「私はエルデスの近衛第一師団隊長、ショウ・韻。この竜は陛下にお仕えできるだけのとてもよく調教された頑強な竜だ。面倒を見てくれる者と共に私の元へ召抱えたいと思ってね」
(この二人はいずれ役にたつ)
「ご厚恩、感謝いたします。韻隊長殿。私はシン・ユェズ、こちらはタツマ。ともに村を失い、エルデスへ辿り着いた流民でございます。お申し出、有難くお受けいたします」
すかさずユェズが頭を下げて礼を尽くすと、タツマも慌ててそのユェズと同じ動作をする。流民、といってもただの流民ではあるまいに、と老兵の笑み。おそらくは……タツマは王族、ユェズはその家来。どの王族かは知れないが。いや、もしかしたら……。
「皆も、異論はないな?」
隊長の決断に口を挟めるわけもなく、
「はい!」
若者たちは姿勢を正し、隊長の部下となった二人に対しても敬意を込めて凛然と答えた。
「ではこの二頭は皇帝陛下の竜としてうちで預かることとする。よろしく頼むよ。ユェズ、タツマ。私の娘が下宿を営んでいるから、住まいはそこにするといい。……よし、門を閉じよ!」
ショウの一言で、兵士達はすぐに配置につくとその綱を這わせ、
「閉門!」
大きな岩が軋みながら、街道への門を閉ざしてゆく。挟まれる前に、太陽は地平へと眠りについたようだ。紫色のかすかな地平線だけが名残惜し気に覗いていた。
エルデスにいつもの夜が訪れようとしていた。

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