恐竜元年:始まりの三日間の物語

02:雷竜のトゥシとヴァシェ

その都市は岩と木と骨と、人の手で作られた日干し煉瓦で大きく囲われ、この世界そのものから隔てられているようにも見える。頑強な砦の唯一の入り口である門は巨大な一枚岩が向かい合うように作られており、空に陽がある間だけ開かれていた。かつては交易の商隊が多く通り過ぎ、今では難民たちが飢えた竜達から逃れて命からがらにたどり着くその門を、今、二人連れの旅人が徒歩でくぐり、門番であろう警備兵とのやり取りを経て、中央への街道を進み始める。
「ここが、エルデス?」
長い旅路の割に疲れていないのか、息も切れてはいないようだ。淀みなく声は続く。
「ねぇ、トゥシ、こんなに広い街初めて見たよ!」
少年は嬉しそうに先に入っていた連れ合いに話し掛け、話し掛けられた方は長身で厚みのある身体に長い四肢の武骨な姿で、小柄な相棒を視線だけで見下ろして
「ああ」
生返事。彼の腰に下げた数本の磨き上げた鉱石の剣の方が雄弁で、カチャカシャと音を立て続けている。今のこの地の気温は逃げ水があちこちに現れる程に高いらしく、彼らがたどり着いた午後の大通りは、人通りが少なかった。都市をまっすぐ東西に貫く街道、その人影の無い、石を切り出して敷き詰めた都市の玄関口はとても整理されていて、今まで見たどの都市よりもここが豊かで洗練された場所と言えるだろう。少し視線をあげると、左手、北の方角の遠くに切り立った崖が続き、良く見ると細く滑り落ちていく滝が幾筋か見える。ここからその高さに見える崖は、近くに行けばどれだけの高さになるだろうか。上に行くほどに突出し、まるで空に向かうようなその形、首をもたげた雷竜のような崖、その上に建物が見える。あれが王宮なのだろうことは噂からすぐにわかった。エルデスの王宮は、世界で一番空に近い場所にある、という話は本当だったのだ。
「キョロキョロするな、シャンとしてろ、恥ずかしい奴だな。すぐにバードル様の屋敷を探すぞ」
危険な旅の終わり。最後の仕上げは、エルデスの北の王宮、その麓に屋敷を構えて住まうその人に会うこと。それまではまだ予断を許さないのだろう、男は気を引き締めているのだが、一方の連れの少年はそんな緊張感などまるで無い。全身から湧き出る好奇心を抑えられないのか、早い息遣いで輝く視線がじっとしていない。
「よそ見してたらはぐれちまうぞ、ちゃんとついて来い、ヴァシェ」
名前を呼ばれて、
「はい!」
溌剌とした可愛らしいとさえ感じる返事。その肩の荷物の懐から、
――キィ!
翼竜のヒナが同じ高さの声で鳴いた。
「あ、出ちゃダメだって」
彼が急いで菱形の頭を戻そうとする前に
「お前、今のは何だ!」
思わず大声になり、人通りが無いとはいえ、ここが往来であることに気づくとすぐに口をつぐんで適当な路地へと少年を引きずりこむ。
「お前……何拾ってきた……」
冷静であろうとしているが、どこか、くすぶる肩。
「だって、あのままじゃ、他の竜に食べられちゃいますよ」
相手は悪びれず、その塊を荷物から取り出し両手に抱く。
「戻そうとしたんですけど、近くに親がいなくて、巣も壊されていたんです。ヒナがたくさん死んでいて……そんな中にこの子を置いてくなんて絶対できません」
彼は彼なりの正論なのだろう言い訳をする。
「いや、そういうことじゃぁない」
ちらと見たその竜、というにはまだ迫力の欠片もない翼竜、灰色で砂利を思わせる小さな斑の綿毛に包まれた《羽者》(プテラノドン)、プロダクチルス・プテラノドンの雛、少年の懐に形良く収まっているチビは時々白い瞬膜の点滅をさせながら瞳孔のない黒曜石の瞳で他人事だという顔。門番の目を盗む為にかなり小さく縮こまっていたのだろう、ほっとしたらしく生意気に翼竜らしい伸びをする。
「可愛いでしょ?」
天使の笑み。
「だから……そうじゃないっ」
確かに街道の途中、ヴァシェが急に路を引き返し、楽しそうな表情で戻ってきたことがあった。十も半ばを過ぎれば立派な大人の仲間入りだが、年齢の割に小柄な彼はまだまだ幼く無邪気、自由な好奇心で小さな冒険を楽しんでいるのだろう。一通りの生き残る術はあるので大丈夫、とトゥシは意に介さなかったのだが、まさかそれを、雛竜を拾ってきていたとは思わなかった。《羽者》(プテラノドン)は成長すると人間の子供を軽々と持ち上げるほどの大きさと力があり、自由に空を滑空し何でも食べる雑食の竜。そう、飢えた恐竜が増えている今、翼竜たちは幼い人間の子供を食料とするようになってきているのだ。
「拾ってくるか? あの《羽者》(プテラノドン)だぞ? 危険なヤツだぞ?」
繰り返して
「お前、判ってんのかっ!」
落雷。ヴァシェも雛も一瞬首を竦めたが、少年はすぐに相手を見上げて睨み返し
「僕だってトゥシに拾われなかったら食べられちゃってますよ! 今ここに生きてない! だからトゥシと同じように僕もこの子を置いていけなかったんです!」
「馬鹿野郎っ! お前育てる気か! そのチビを!」
「育てますよ! ちゃんと僕が面倒を見ますから!」
(まいったな……)
ひと呼吸。このひたむきで真剣で真っすぐに自分を見る時の彼をトゥシは苦手としていた。こうと決めると動かない頑固な性格、やると決めた事をやりぬく気質も良く分かっている。
「……そいつ、大きくなったら空へ返してやれよ」
小さな溜息の後にぶっきらぼうにそうとだけ言うと、大きな背中は真っ直ぐに前を向き大通りへと戻りはじめ、
「有難う! トゥシ!」
このキラキラした笑顔がヴァシェの最強の武器だろう。
「良かったね、一緒に居て良いってさ」
見つめると、ヒナが自分を見上げ、キュィ、と鳴く。それがヴァシェには、アリガトウ、と聞こえた。入ってて、と、なだめながらごそごそと荷物の中へと戻し、先に行く大きな背を見失わないように小走りに追いつくと、
「ねぇ、トゥシ、この子の名前、何にしよう!」
「知るかっ!」
どこから見ても、仲のよい兄弟にしか見えなかった。

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