恐竜元年:始まりの三日間の物語

13:六郎佐とスグリムと独楽(こま)

「紅い髪に黒い瞳、それだけがアーシェントの手がかり、か」
いつになく落ち着いたスグリを前に、一通り話終えた六郎は透き通るように佇む。判っているのは、アーシェント王族の生き残りがひっそりと小さな里で暮らしていたが、《暴君》(レックス)に襲われて全滅したらしいこと、万が一、生き残っているとするならば、その最も恐れるべきその者達は皆、同じ髪色と瞳色をもつ、という情報だけ。
「主のロード様はともかく、この情報は一郎佐だけが持つことを許された情報だ、判っているだろうが、他言無用で頼む」
どうやってその情報を一郎佐という密偵から手に入れたのか、首元に隠すようにある赤い小さな肌の仇花が語っているが、判っていてもスグリムは何も言うつもりはないらしい。
「その村は相当に遠い場所だったらしい。生き残りがいたとしても、このエルデスまでたどり着けそうにない、むしろ、こちらからの追撃を恐れて更に遠く離れた場所に移ったんじゃないかというのが一郎佐の見立てで、親方様にもそう報告したという」
「年もわからない、男か女かもわからない、第一、ここにいるのかどうかもわからない。なあ、それって、いないってことじゃないのか?」
困ったような独楽(こま)には、もっと判ることのない事なのだろう。
「確かに独楽(こま)のいう通り、エルデスにいる可能性は低いね。どんなに急いでも数年はかかる距離だし」
「でも、居たら、おもしれぇよなぁ。それが女だったら、俺のものだ」
ボソリとしたスグリムに
「スグリ!」「スグリム!」
思わずほぼ同時の火と水。
「あぁ、アーシェントの女ってのは美形らしいな。それに、あっちのほうもすげぇらしい。男だったら一度は抱いてみたいだろうよ。あの豚野郎が祥子をやりまくってるって話は嘘じゃねぇだろ」
舌なめずり。溜息と共に呆れる二人。
「そういう話ではないでしょう?」
六郎の視線に、スグリムは笑っている。
「男だったら殺す。女だったら楽しむ。それだけの話しだろ?」
「簡単に言うんだな」
吐き捨てるような独楽(こま)。だが相手は
「男に興味ねぇよ。――――それに、エルデスの軍ってのは、やるときは徹底的なんだぜ」
「?」
「皆殺しだよ、女子供も関係ねぇ。徹底的に殺すんだ。『生きる』ってことそのものを根刮ぎ奪うんだよ、あいつらは。そんな中で生き残ってるとしたら、よっぽどの手練れか、それに守られて逃げられたか、隠れられたガキかどちらかしかねぇ」
「スグリ……」
「エルデスがアーシェントを攻めた時、ガキだったアーシェントの姫が戦利品だったが、あれは例外、それはきっと何か魂胆があった。それ以外のアーシェントは全部エルデスがぶっ殺した。そして、アーシェントに限ったことじゃない、あいつらはどこでだってそういうことをやる。そんな中で生き残れるとしたら……」
スグリムの故郷は海辺の美しい都市だった。魚介を取り、船で交易をし、栄えている平和な地だったが、男が少なかった。なぜか女ばかりが生まれ、その血もほとんどが同じ父親や祖父をもっている。その中で生まれた彼もまた十を半ばもすぎたら、父や祖父と同じように、血をつないでいくために、都市の人間を増やし護っていくために、家族や姉妹や従姉妹、多くの街の女達と子孫を残す重要な役割を担っていた。あの日までは。
女ばかりの都市、商いを主とする港町が前触れも無く突然に仕掛けられた戦争に敵うわけも無く、エルデスに攻められた時には無抵抗に蹂躙され、わずか二日で廃墟と化した。その混乱の中、都市になだれ込んだエルデスの兵士達は老いも若きも街の女達を慰み者にし、殺戮を楽しんだのだ。
――スグリム! 隠れていなさい! 何があっても出てきてはだめ!
閉じ込められた氷室の奥の隠し扉の隙間、そう、彼の母親や姉たちは……炎と嘆きと悔しさと、血に染まった海。崩れた岩と、燃える木と、弄ばれて飽きて殺され打ち捨てられた亡骸たち。一日を過ぎて夕暮れの静寂の中へと這い出て目にしたその光景はその心に焼き付いて今も離れない。突如奪われた、最も奪われたくなかったもの。護りたくて、護れなかったもの。
――俺は、母さんがいたから生き残れたけどな
「アーシェントが生きてたとするなら、身を隠せた子供、それを守った手練れの連中。俺はそう考える。本物のアーシェントのガキ、それも王族で強い力を持つ奴なら、あのデカイやつらに食われることもないだろうし、生き残りたちは意地でも護るだろうしな」
「……子供、そしてその保護者たち、か」
と水。
「でも、それが里ごと《暴君》(レックス)にやられた、ってことだよな」
そして火。
「その時に、それでもまだ生きているとしたら……確かにスグリの考えていることが行き着く答え、だな」
相当な手練れ、そしてその彼らに護られている存在、何かを考えているらしい六郎を笑うように
「だとしたら、そのアーシェント、年は多分俺達とそう変わらんか、それより若いかもしれねぇ。それで女だったら……楽しみだよなぁ。何より、竜の群れ引っ張ってエルデスに攻め込む脳もないヘタレだぜ、弱そうだよな、面白そうだよな」
目がぎらつく。
「で、男だったら殺す、と」
「当たり前だろ、六郎。男はいらん」
「めちゃくちゃだな、お前」
「おい独楽(こま)、俺は真面目だぜ、大真面目」
(いや、お前は元から不真面目だ)
スグリムの態度には思わず二人で同調する。
「……それじゃ、そろそろ、私は屋敷に戻る。この件はここまで、ということで」
「ああ」
「じゃぁな、六郎」
立ちあがった六郎は、ふと、寂しげな独楽(こま)の表情を読み取ると
「お前は……帰らないのか?」
「……」
独楽(こま)は視線をあわさない。
「こいつは帰れないさ。お茶目オヤジから俺を殺すまで帰ってくるなと言われたらしくて」
代わりに答えた男は肩をすくめるようにして
「結局、かわいいカワイイ華奈ちゃんとは何もなしだとよ!」
からかう口調だが、目は優しい。
「私も、同じことになるやもしれないな。実際、私達の関係については、こっちの主もそろそろ気づいてもおかしくない状況だから。尻拭いしてるこちらの身もたまには考えてほしい。色々とやりすぎなんだよ、君は」
説教めいた言い方をするのが六郎らしさ、それでも冷静さは変わらず
「……とりあえず。では」
きびすを返し、控えている碧(みどり)に気がつくと
「スグリと独楽(こま)をよろしく頼みます、今日は急ぎ戻りますので。また、挨拶は改めて」
と律儀に頭を下げる。粗暴な男には不似合いな程に良くできたこの友人に、彼女は少し驚いてから、すぐにハイと態度をあわせた。声は出ていないが。

周りはとっぷりと暮れて夜になっていた。近づく街の光と、ここまでは届いてこない漆黒影は、大通りを駈け抜けて北の屋敷にまで続いていく。南の淀んだ空気が薄らぐ大きめの通りに出たところで、立ち止まり一息で改めて肺の中を入れ替えると、六郎佐はいつもの裏路地の広場の風景の中へと進んでいた。そう、独楽(こま)と初めて会ったのはこの辺り。
「……ハチロー、そろそろ出てきませんか?」
ここで、彼はゆっくりと歩みを止め、宿を出てから自分にずっと張り付いていたらしい影の名を呼ぶ。
「姫のぉもちゃわ、どぅもクセモノだょなぁ」
笑う歯だけが闇に浮かぶ。
「奥羽様を裏切るとわ、ぉもしろぃ」
「さぁ、何のことだかな?」
受け流す。自分の中にある、本当に大切な絆の価値など、この男にも主人にも判るまい。今は亡き奥羽先代の稚児として囲われ育てられた自分は、一度たりとも主、奥羽への忠誠など誓ったことがないのだから。
「ぁれだけ、先代にも『ぉ世話』になったのに、それなのかなぁ?」
刻まれた皺から放たれる知性の低い言葉尻。彼の「お世話」という語句に含まれている意味が何なのかは良く判っている。この男、奥羽家に長く仕える密偵の一人、八郎佐はかなりの年長で、六郎を幼い頃からよく知っている。
「ああ、可愛がっていただいたけれどね」
先代奥羽が六郎を『可愛がった』理由。それは六郎が、彼が長く恋慕したある女性の血を引く子供であったからであって、それ以上のそれ以下の理由もない。かなりの年を召していたはずの先代奥羽だが、なぜかその欲は衰えを知らなかった。
「ぁぁ、そぅだよなぁ、へへへ」
毎夜毎夜に弄ばれ、その夜半に涙した日々。ハチローはその彼を知りながら、それでも嘲笑う。
「裏切るのかぁ、ぃけなぃなぁ」
声が消え入る前に、影は覆い被さるようにして飛び掛る。
「死ねやぁ!」
確かに、刃の光が見える。六郎はそれでも臆することなく動かず、
「!」
その黒髪だけがうねると、その髪の間から細い数本の長い鉱石針を抜く。
――ぴしッ
八郎佐の刃が身体に届く前に、彼の額と両目と喉に針は突き立っていた。
――へ?
相手は何が起こったのか、理解していないだろう。瞬間、真っ直ぐな切っ先を避けた六郎が飛び込みざまに胸倉を掴み、細腕には似合わない力強さでそのまま地面へとドスンと引き倒したが
「が、ががが」
八郎佐の声は、出ない。声帯を破壊し、気管まで貫いている太く長い針には返しがあり、刺されば二度と、抜くことはできないのだ。
「……甘いね。私に何ができるのか、本当は誰も知らないんだ」
スグリと独楽(こま)以外はね、という言葉を呑み、眼下に転がり呻く男の手を踏みつけ、その刃を奪い取ると
「そっくりその言葉を返しますよ」
真っ直ぐに地面まで、左胸に突き立てる。
「死んでください、ここで」
大きく開いた男の口は、悲鳴を上げているつもりなのだろう。黒く広がっていく土の滲みが池を描き、手応えの後、彼はそのまま情事を終えた女のような柔らかさで身を返すと
「ハチローが誰にやられたかなんて、私には知らぬ事です」
ハチローを自分に仕向けた相手は判っていた。手が思わず、首元のあざ、その相手から付けられた少し消えかけはじめた汚らわしい跡をなぞり、
「まだ、ちょっと、困ったことが残ってそうだ……」
静かに帰路へとつく。その身体には一滴の返り血も受けず綺麗な姿のままで、消灯の錠が落ちる前までには、奥羽屋敷の裏の勝手戸へとたどり着いていた。

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