恐竜元年:始まりの三日間の物語
17:バードル・ダブスとロード・奥羽とヴィクトリアス・シージップ
「この都市は多くの民を受け入れすぎました。今問題となっておるのは、それら流民による治安の悪化です」
皇帝不在の議会、太陽が昇り始めた遅めの朝から始まった喜劇は、いつもの三人によって進められていた。宮殿の奥の中心部、窓の無い、冷たい石で囲まれた広間には大きな円卓が据えられ、周囲の壁を灯明を抱く歴代の皇帝の彫像がグルリと見守っている。中央のくぼみで竜の脂肪を燃やす炎が大きく揺らぎ、高さのある浮き彫りの丸天井が見下ろすそれぞれの席には北の貴族達が揃っているが、上座となる玉座は空席で、今の皇帝が即位してから、その座が暖められたことはない。名ばかりの議長、今日の持ち回りはショウ・韻で、根回しを受けているのか、ただ静かに、都市の治安向上の提案を声高々に演じるバードル・ダブスを見守っていた。
「そもそも、民が流れ込む原因は、この都市の周辺に第二の都市、もしくは集落を築くことが出来ないからに他ならない。この都市以外に安全な、生活を営むことができる場所が無いからであります」
そして手元の杯、貴重な鉱石を削り出した高価な背の高い杯から、彼専用に浄化された水を一口含み、興奮で乾く咽を癒す。
「同じく、都市の拡張工事も進めることができない。全ての原因は一つ、この世界に住む、この都市付近を縄張りとする竜の群れと、それらを束ね率いるあの蒼い子供。あの者達によってこの都市は脅かされておる」
議場は静まり返ったままだった。石造りの空間には彼の声だけが響く。
「一人の子供と、知恵も持たない猛獣どもに、我らが蹂躙されるなどもってのほか。ここはエルデス。皇帝のおられる都市なのに、ですぞ」
小さく一呼吸。
「私は、彼らの討伐隊を組織し、この都市の未来と、民の安住の地と幸福を約束したい。異議はありますかな?」
ヴィクトリアスとロード以外の貴族達は決して口を開かないだろう。自分と対等にあろうとするのは、この二名だけで、他は流されるままに口を噤む。
「竜子(りこ)をねぇ……」
学者肌の星見の末裔はのんびりと言う。
「《狩人》(ラプトル)にしても《暴君》(レックス)にしても、我らと敵対したくてしているわけではあるまいし、ひたすらに生きていくことに必死なだけ。それに、あの子が実害を及ぼしている証拠は無いでしょう? ただ存在するだけで恐怖とするのはいかがかと」
「実際に、民が奴らに食われ、集落も村も滅びたというのにかね?」
バードルは呆れたように反論するが、のらりくらりとシージップは続ける。
「そもそも、護りに耐え得る都市がここしか無いという問題……この世界で生きる人間は、偉大なる皇帝陛下の庇護以外に生き残る手立てを得られないという現状において、我らは何を主とするべきか、をまず考慮するのが筋でしょうねぇ……」
「ああ、そのとおり。だからこその提案です」
不用意なバードルの同意に、
「まぁ、いらぬ流民が彼らの餌となることに問題はないと考えておるんだがな、私は。……確かにやつらは飢えてこその行動、適度に食えておる分にはなんらここに実害はないし、門の警備と壁の補修点検さえ整っておれば、外で何があろうと問題はない。主は、ここが安泰であること、と思うが」
ロードは歯に何か挟むような、困ったような物言いをするが、バードルも引かない。
「だがそれでも、辿り着いた連中もいる。だいたいにして、そういった輩は問題を起こしますからな。こうして都市が膨れ上がり、今のような事態が――」
「であるから、その連中の取締りを強化するという手を打ったはずでしたな? 賞金首を設けたり、処罰として都市からの追放という律を整えた。だが、どうも、今一つ効果が出ていないとバードル殿はおっしゃる?」
かぶせるロードに、むぅとバードルは言葉に詰まる。
「せっかく、ご自分の屋敷に多くを養い、抱えて鍛えて、そういう者たちを更生させようとなさっておいでなのに、効果がないとは。いや、もったいないことだ」
嫌味の奥羽、ただ黙って明後日を見ているようなシージップの脳裏では、バードルの若さとロードの嫌みに対して爆笑しながら膝を叩いていることは想像に難くない。
「う、うむ。彼らは私の元で陛下にお仕えする兵士となるように日夜訓練し、組織できるよう準備しておりましたからな。流民はただの流民、教育をせねば、ものの役にもたたん」
「ただの流民は治安の悪化を招くだけ、なら、なおさら、何らかの手を打たねばなるまい。いやそれにしても、バードル殿の都市を想うお気持ちは素晴らしいことですな」
ロードの言葉はどこまでが賞賛なのか。
「軍事と警邏に関しては、バードル殿でなければ、お任せできないのも事実でしょうね。ご判断は陛下にいただかなくてはなりませんが」
シージップが呟くように締めくくるとゆっくりと息をする。そんな空気の中、
「一人の権力の下に、それも皇家でない貴族の下に、軍隊が組織されるのはあまり良い話ではありませんぞ」
ロードの危惧。
「心得ておりますよ、そこは。近衛隊の別個隊として組織し、陛下直属とさせていただきたいと思っております」
バードルの買い言葉に、一瞬全員の視線がショウ・韻に集まるが
「私の隊とは別……第二師団、ということですかな?」
彼はそうとだけ言うとまた黙った。
「それならば……私に推挙したい人物がいる」
にやり、とバードル。切り札を使う時機を見たのだろう。
「雷竜のトゥシ。彼が今、私の元へ来ております。折を見て、陛下の近衛隊にと、機会を見ておったのですが」
その名前に、座の下級貴族達はオオとどよめきと共に感嘆の声を上げた。
「かつて、いくつもの都市で名を馳せた名将ではないか!」
「さすがバードル殿。養う者の格が違う!」
鼻が高い彼は得意満面。
「……で、彼に別個隊を組織させる、と」
シージップは驚く風もなくそのままいつもの調子。
「バードル殿のご提案は理解しました。しかし、陛下ご不在ではこれ以上議論も進みませんな。シージップ殿、バードル殿、この議案については陛下のお沙汰を待つとしませんかな?」
ロードは形ばかりの結論を出し
「……そうですね。陛下のご判断を仰ぎたいところです」
宰相も同意した。 少なくとも二人の意見は一致したようだ。
「……あいわかった」
渋々のバードル。三権者の鍔迫り合いの終焉を知って安堵の下級貴族たち。今では、皇帝の決断など不要で、この三人で合意できれば済むはずなのだ。事実上、棄却。
「では、この議案は、陛下にご奏上する、ということで。次の議題に移りましょう」
ショウ・韻は淡々と、手の竜皮紙を読み上げていた。
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