恐竜元年:始まりの三日間の物語

06:ヴァシェとミササギと雷竜のトゥシ

北三屋敷の一つ、バードル・ダブスの屋敷も夜を迎えていた。昼と見違うような灯りが贅沢に漏れ、月の光も星の位置もそこから見る事はできない。人が多いのだろう、ざわめかしい庭や屋敷の暗がりにはそれ以外の何の気配も無かった。
「お前は先に食ってろ。俺はバードル様と話がある。食い終わったらこの部屋に戻っているんだぞ」
トゥシは部屋に通されるなりバタバタと身を整えながら、ヴァシェに言い聞かせるように続ける。
「いいか、おとなしくしてろよ。お前は、お前の考えてない所で騒動を起こすんでな」
「あ、はい」
ちょっと最後の一言は余計だな、と言いたい言葉を堪え、眩しい夜を初めて迎えた少年は少し戸惑いながら、トゥシを見送るようにして廊下を別れる。教えられていた廊下の角を曲がるとすれ違った下女に勧められるまま食堂へ通され、見回してみるとすでに多くの男達が銘々に粗末な歯朶葉(シダ)の幹の食卓に付き、食事を進めていた。間を下女達が木の水差しを持って回り、盆を下げている下男は一人で多くの枚数を抱えている。騒がしさはあるが、一定の規律があるのだろう、どうやら、酒は無いようだ。
(酔っ払いは嫌いだから、ちょうどいいや。)
静笑。ちょっと観察していた彼を、戸惑っているのだろうかと気遣った一人の下女が
「こちらへどうぞ」
恭しく手を伸ばし、配膳へと示す。素直に従うと、また別の下男が盆に並べられた一人分の食事を彼に渡した。下男下女達の機敏な働きぶりを見て、改めてここが今まで見聞きした町や村とは違うのだな、と心に刻みつつ
「ありがとう」
明るく笑う。静かに見渡してできるだけ端の見とおしのよい席を見つけるとチョコンと収まり、改めて目の前の盆を見ると一瞬にして深い藍色の瞳が輝いた。
(うわ、イッパイだ)
それは彼らの主食である灰汁を抜いた球果の粉を練って蒸した団子と何かの肉の白汁、無造作に盛り上げられた棕櫚雌株の若い芽を茹で上げたもの。この都市では決して豊かと言えない食卓なのだろうが、それさえも口にした事の無い彼にとっては目を見張る贅沢な食事といえた。ヴァシェは喜びを押さえきれないのか、その無邪気さで早速、好物の団子にかぶりつき、口の中に広がる柔らかな香ばしい味わいに目を細め、
「うま……っ」
その気分を失わないように、直ぐに汁椀に取り掛かり、これまた今までの固い死後硬直のものでなく、きちんと手入れされた臭みの無い熟成肉、名前だけ聞かされていた嘴をもつ家畜竜の肉だと気づくとあまりの嬉しさに反芻せずには、いられないらしい。骨が溶けるまで煮込んだ乳白色の暖かい椀は出来上がるまで鍋につきっきりで数日かかり、旅をする身の人間にとっては口にすることのない憧れの味ともいえる。そのスープの一滴も逃すまいと、自然と木の匙をうまく使って慎重に口に運び
「あつ、はふ」
喉を通って行く熱と蕩ける肉。それを上書きするかのように灰汁を抜ききった茹で棕櫚若芽を掬うと口へ迎え入れ、噛んだ途端にあふれてくる旨みとほろ苦さの渾然とした味にこれまでにない感動に近い喜びが満ちてくる。茹で芽にある適度な塩気、この食べたこともない味、だが疲れた身を蕩かすような美味の素は何なのだろうか。簡素なようでいて、物が豊富な巨大都市だからなのだろう食事に、
「ああ、幸せだなぁ」
一通り止まることなく口にして半分まで来たところで、ふと手を休めた彼の口から自然と想いが零れた。
「今日入ったという田舎者はお前か?」
大柄で腕っ節の良さそうな男が影になり、降ってくるような声で語りかけながら子供の前に座る。
「はじめまして。ヴァシェと言います!」
おいしい物を食べた上機嫌も加わって、その笑顔はやはり必殺武器である。相手は毒気を抜かれた顔をして、少年を見、
「お、おう。俺はミササギ。塚森ミササギという」
「ここ凄いですね。こんなに夜でも明るいなんて。僕、初めてなんですよ、こんなに眩しい夜なんて!」
無邪気に興奮気味に語る少年に大人の威厳が霞んでいく。
「お前……相当な田舎者だな」
「はい! 夜に灯りが無いの、いつもだったから!」
そして、嬉しそうに手元の団子を見る。
「それにこれも……こんなに沢山の歯朶葉(シダ)の実を使っているのを初めて食べました。美味しいです! こんなにフワフワに膨らむまで蒸してあるなんて素晴らしいです! それに、このお椀も手間がかかってそうで、茹で芽も味加減が最高です! 凄いです、有難いです。本当にこんな贅沢していいのかなって!」
嘘でも社交辞令でも無い事はその態度で明らかだった。透き通った大きな声は配膳や厨房の下男下女達にも聞こえていただろう。和やかな空気で彼らが隅の少年を見、微笑んでまた仕事へと戻っていく。
「えっと、ヴァシェと言ったか?」
「はい」
気持ちの良い返事だ。
「こんなもの、ここじゃ底辺無職の役立たずが食うもんだ。夜が明るいとか、贅沢とか、なんだそりゃ? それで喜んでるとか、お前、とんでもない田舎者だな」
嘲笑で見下ろす。
「よくもまぁそんな所から良くここまで辿り着いたもんだ」
「ええ、ここまで来るのに随分とかかりました。始めはもっと何人かいたのですけれど……」
少年の声は落ちる。
「ああ、《狩人》(ラプトル)か?」
《狩人》(ラプトル)は旅人の脅威であった。俊敏で群れを成して行動する獰猛な肉食竜で、特に大きな都市や村の近くに縄張りを持ち生息している。彼らはそこを旅人が通る事、家畜竜が通る事を自然と覚え、広い縄張りを通り抜けるまで執拗に追い続けて、一人また一人、一頭また一頭と、削り取るように狩りをする。
「ええ、それに、《暴君》(レックス)」
この世界の大きい生き物達の中でもひときわ大きく危険な《暴君》(レックス)は旅人のような小さな獲物でなく、村や集落、商隊丸ごとに襲い掛かることが多かった。根こそぎ、という表現が似合うほど、一度食事を始めると容赦なく食い尽くすのだ。
「でも、お前はこうして辿り着いた」
「運が良かったんです」
翳りある笑顔で答える。
「何度か、危なかったのですが、無事に乗り切ることができました。トゥシもいてくれましたし」
その名前を口にした途端、なぜか幾人かが席を立ちこちらを向く。
「はい?」
言った本人はよく判ってないらしく、その違和感に不思議そうな顔。
「……トゥシ? ……雷竜のトゥシか!」
ミササギが大声を上げ厳しい表情をすると、部屋は一気に殺気立った。
「雷竜のトゥシだと?」
「あの、雷竜っ!」
「やつがいるのか?!」
「雷竜だって?」
場が凍りつき、男たちが身構える。少年も瞬間でその殺気に反応したのだが、本能か直ぐに微笑み、
「……あの、何か?」
可愛らしい、首をかしげる恐竜の雛のような仕草。相手はそこに子供の無知を見て取ったのか
「いや、すまない。別人だろう。雷竜のトゥシと呼ばれた男がこんな弱っちいチビと……」
声を落とした。場は収まり、また男達は銘々に向き直る。ヴァシェが来た当初のざわめきが蘇り、
「すまん、よく考えれば判ることだった」
その子供をあやすかのように、ミササギは無理に微笑んでいた。
「あの」
「なんだ」
ギロリと目が動く。
「冷めちゃう前に続きを食べても良いですか?」
覗き込むような視線には、子供らしさが全面に出ている。
「おう、邪魔したな。それじゃ」
相手は申し訳無さげに席を立ち
「あれほどの男がド田舎の貧乏ガキ連れ……いや、ありえねぇな、脅かすぜ、全く……」
去り際の独り言は聞こえていた。

――キュゥ
部屋に戻って、ヴァシェはこっそり持ち帰った団子を手でちぎりながらヒナに与えていた。
「ほらっ」
小さな翼竜は綿毛に包まれているが、もう半月もすれば全て抜け落ちて薄く美しい艶の皮膜に覆われて飛べるようになるだろう。が、今はその身体に不似合いな大きな嘴を上下させては親代わりとなった少年に次をねだっている。
――ムニュミュ
必死に租借。トゥシはそんな雛が可愛くて仕方ないらしく、一口与えてはその目尻や首、頭を愛撫していたが近づく足音に、あ、とその手が止まる。
「お帰りなさい! トゥシ!」
少年が駆け出すようにして出迎え、ヒナも合わせてキィと鳴くと、トゥシは口に人差し指を当て、静かにするように二人?に命じる。彼らに割り当てられた部屋は屋敷の日当たりの良い中庭に置かれた新築の離れで、籠のような形をしていた。壁は編み上げられた歯朶葉(シダ)の葉脈に覆われた通気性の良いレンガでできていて、両端にそれぞれの寝間もあり、虫除けでもある新しい編んだばかりの歯朶葉(シダ)の繊維の香りがほのかに残っていて、各都市で名を馳せた傭兵にして名将の「雷竜のトゥシ」を迎えるにふさわしい待遇だった。
「大人しくしていたか?」
トゥシは戸口の代わりとなる天幕を引くと、締め付けられていた窮屈な上着を脱ぎに掛かる。ヴァシェは急いで駆け寄るとその重い服を受け取りながら
「ねぇ、すごいよ。夜でも眩しいし、フカフカの団子も食べた!」
その無邪気な明るい声はトゥシに笑顔を呼び込む。
「そうか! 良かったな。ここの人たちはどうだ?」
聞かれた少年の手、上着に付いていた鎧竜の鱗細工をいじっていた手が止まり、
「うん。とても単純で、良い人たちだよ」
その言葉の含む意味に、トゥシはニヤリとする。
「そうか」
「トゥシの2つ名を知ってました。少なくとも今日、食堂で出会った彼らはすべて剣士ですね。でも僕たち程の腕じゃないし、知恵があるわけじゃない」
その瞳にはいつもの無邪気さは無い。
「使えるんじゃないでしょうか? 面白い人達ばかりですよ」
その悪魔の微笑みと眼光を知るのは今はトゥシだけ。思った通りのヴァシェの反応に満足したのか、トゥシは柔らかな皮の上に腰を降ろすとゆっくりと足を伸ばす。少年も雛を膝に抱くとその側に同じように座った。その二人の正面には、家畜竜の脂を蓄えた特製の灯が煌々と揺れる。
「さて、とりあえずはエルデスに入った。一つ目標は超えたな」
「はい。これから、ですけど」
トゥシはその大きな手でヒナの頭を撫でるが、当のヒナは自分の頭をすっぽりと隠してしまう手が恐いのか、少し怯えるように小さく鳴いた。
「大丈夫だよ。トゥシは優しいよ」
諭すように言う。
「ねぇ、この子の名前……」
「まだ決めてないのか?」
「トゥシに決めてもらおうと思って……」
罰の悪そうに上目遣いをする相手に、トゥシは軽く溜息。
「それより、ここは皇帝以外に竜が飼えないぞ」
「えー?」
それこそ泣き出してしまいそうな顔をする。
「でもな、バードル様は毎年、後見であるアーシェント様と皇子のお慰めにいくつかの竜を献上するらしい。雨季の終わりの満月が皇子のお誕生日なのだそうだ。俺たちはその中の一匹を皇帝から預かって養育することになった」
エルデスには、若い翼竜を食べると寿命が延びるという迷信がある。捕獲が難しく、特に手に入り辛い種類の竜である《羽者》(プテラノドン)や《空王》(ケツァルコアトルス)の雛竜はそれだけで貴重で、皇帝や王族の誕生した翌の柱の季の宴に食される習慣になっているという。それを聞き、何を思うのか彼はそっと膝の羽玉を抱きしめて
「この子を後宮へ? 食べられてしまうの?」
「いや、どうせ献上できるのはわずかだよ。半分はそれまでに逃げたり、死んだりするらしいからな。こいつは後半年もすれば、たぶん、空へ逃げちまうんじゃないか?」
「トゥシ!有難う!」
晴れやかな笑顔が広がる。腕の中の雛はあまりにきつく抱きしめられたので思わず悲鳴に近い声をあげた。
「ごめん、脅かしちゃった! トゥシ、有難う。バードル様を説得してくれたんだね。この子はここにいて良いんだね!」
「ティノ」
トゥシは静かに言葉を呟いた。
「ティノ・ラ・ソト、でどうだ?。俺たちは空を飛べないが、俺たちの変わりに空へ行けるように。『俺たちのティノ』って意味なんだが」
「ティノ?」
ああ、と大きな手が少年に抱かれたヒナを撫でる。今度はヒナも目を閉じてされるがまま。
「ティノ、お前、ティノだって。綺麗な名前だね」
その声に合わせて、ティノも甘えた声を出し、まだ未熟な羽を大切そうに顎にこすりつけると眠たげに身体を丸める。
「ああ、後で籠に入れてやろう」
トゥシはヴァシェを見るのと同じ優しい目でティノを見ると少し態度を堅くした。
「近いうちにバードル様から沙汰がある。都市の部隊編成を本格化させるそうだ。皇帝陛下への謁見もあるだろう。忙しくなるぞ。……まずは明日、お前をバードル様へ目通りさせるから、そのつもりでな」
「楽しそうだなぁ、トゥシ。今日はずっとその話を?」
その言葉に思い出したようにトゥシは手を打ち、
「そうだ! 《巣篭》(マイアサウラ)、あの美味いと評判の竜の肉を食ったぞ! それも子供のやつ! 柔らかくて肉汁がたっぷりあって最高だったぜ!」
「えー! トゥシだけ? ずるい!」
「卵も食った。さすがだよな、あれを飼って増やして食ってるんだぜ? すげえよな、ここは」
「うー、僕も食べたい……」
「食堂じゃ出ても《嘴竜》(ハドロサウルス)の捨て肉だろ? 好きなだけ肉や卵を食えるようになりたいなら、頑張って出世するんだな!」
もうその約束をとりつけている男の余裕の顔が薄明かりに刻まれる。
「でも、お前なら、俺よりも上を狙えるさ。これからだ、お前は」
その視線に、ヴァシェも同じ表情へと変わっていく。そこには子供の無邪気なものはなく、トゥシの右腕としての力を備えた一人の男のものが見えていた。

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