恐竜元年:始まりの三日間の物語

07:タツマとユェズと棗(なつ)と蒔(まき)

朝が来ている。聞こえてくる街の喧騒と瞼に降る陽の眩しさで、タツマは目を覚ました。いつもと違って身体も軽く、気分もかなり良いようで、柔らかな羽毛織物に包まれたまま、もう少しだけ、その幸せな睡眠をむさぼりたい気持ちで、光から逃げるように俯いてもう一度眠ろうと深い息をすると、
「タツマ! いつまでも寝てないで! 今日は忙しいですよ!」
その安らぎを引き裂き、
「うん……あぁ、ユェズ」
起こした方は既に身繕いも終えていて、いつものようにきちんと衣服も整えている。
「さぁ、ごねないで。食事をしたらすぐに市に行きますよ。明日からは韻様の所で働くんですから、寝坊ではダメです」
その口調はユェズの父、自分を育てた「大ユェズ」と同じ物で、思わずタツマは苦笑した。
「まいったなぁ。大君がいるみたいだ」
その言葉にユェズは目を丸くして
「やめてくださいよ、僕はまだ若いんですから」
コロコロと笑うユェズを見て、タツマもあわせるように朗らかに大笑いする。2人にとってこんなに気分良く笑える朝はどれくらいぶりなのだろう。すると静かに部屋の扉が開き
「お連れ様、お目覚めになりまして?」
落ち着きのある女性の声。この下宿の主、棗(なつ)が新しい住人の様子を伺いに来たらしい。
「おはようございます」
ユェズが明るく挨拶をすると、タツマも即座に答えた。
「おはようございます。あまりに気持ちよかったので寝坊してしまいました」
その素直さと爽やかな笑顔は自然と育ちの良さを感じさせる。まぁ、と女主人は微笑み、
「お疲れはとれまして?」
はい、と頷くタツマに楚々とした姿で合わせる。見栄えのする妙齢の美女で、明るい栗色の髪を形よくまとめ、細いうなじと清々しい色気のある顔立ちはいかにも女盛りで活気があり、見るものを惹き付ける魅力に溢れている。
「下で食事をしていただけますから、どうぞ、いらっしゃってくださいまし」
無駄の無い動きで一礼すると、静かに扉が閉まる。ショウ・韻との話の後、彼に伴われてやってきた時にはすでに日が落ちていて、迎え出た棗(なつ)は薄暗闇の中にいてよく判らなかったのだが、こうして太陽の元で改めて出会うと、美しいと素直に思うことができた。
「……エルデスには美しい人が多いな。あの蒼い子といい、棗(なつ)さんといい」
ため息交じりで呟くと、タツマはゆっくりと身体を起こし身繕いに掛かり、いつものようにユェズが手伝おうとするが、
「ああ、ユェズ。私はもうタツマなんだから、手伝わなくていいよ」
それを拒否した。
「しかし……」
「確かに、一人でしたことはないから、戸惑ってるけど……やり方を教えてくれないか? できると思うから」
言い出したら聞かないタツマを相手に、ユェズは少し不安げになりながら頼もしそうな表情をする。その顔もまた、タツマにとっては大好きだったハイ・ユェズ、大ユェズ、大君と呼んでいた尊敬する養父と同じだった。

 タツマとユェズの部屋は下宿の東の端にあり、その軽い板扉を開けて二人が部屋を出ると、入り口近くに人がいる。どうやら彼らを待っていたようで、小柄な愛嬌のある顔立ちの同い年位の青年だった。
「やぁ。昨日やってきたのは君たち?」
視線が合うと、相手は気さくに手を上げた。
「はじめまして。タツマと言います。こちらは、幼馴染のユェズ」
「こちらこそ。俺は、蒔(まき)。君らの隣部屋なんだ」
明るく答えるが、舐めるような視線を忙しく走らせている。かなり落ち着きの無い男のようだ。
「長旅をしたって?」
「ええ」
「ふぅん」
意味ありげな返事。
「二人旅……か、それにしても……」
蒔(まき)はその神経質そうな人差し指をユェズに向ける。
「君! ユェズ、といったっけ? その見た目、まるで女の子だね。細くて華奢にも程がある」
「女の子?」
ピクリ、とユェズの形良い片眉が動き、タツマによぎる嫌感。確かに華奢で、手足も細く、からかいたくなる気持ちはわかるが、それがユェズにとって一番勘に触る単語だった。育った村の子供は自分達二人だけで、年長たちの揶揄言葉で聞くことはあったが、それでも相当な反応をしていた。旅に出た後はほとんど人に会うことが無かったため、そんな事を気にしなくてすんでいたというのがあるにせよ、なぜわざわざ尾を踏みに来るのか。
「……その言葉、撤回していただけますか?」
丁寧な物腰ではあるが、目の色が違う。彼の沸点は端正な見た目と裏腹にずっと低いのだ。
「ユェズ、相手に悪気はないよ」
タツマの言葉を、
「お、図星? 韻様にそちらの趣味は無いはずだし、どういった了見なんだろうね?」
一蹴してからからと笑う。
「いったいどうやって韻様に取り入ったんだい? 君達は」
「取り入る?」
言葉尻が自然とユェズを逆撫でる。
「韻様が直接召し上げるなんて、まぁ、無いんだぜ。俺たちでさえ、この下宿を借りるのが精一杯だというのにさ」
(わざと、か……)
妬み、の言葉にありながら、タツマには別の感情が彼から読める。そう、さりげなく彼の力がそうさせるのだろう。
「気に入らないんだ。朝から棗(なつ)さんが起こしに行く、なんてのもな」
そして中庭を指す。
「どちらかで良いよ。俺たちを納得させてくれ」
その声に合わせて、若い男達が二人、また手前の部屋からぞろぞろと出てきた。
「何しろ、韻様が連れてくる男というだけで、気に入らなイ」
「そうだ。お前たちが何者なのか、俺達は知らないしな」
ふと目があうと、チラと視界に端にいる言い出しの彼、蒔(まき)が愛嬌のある、だが少し毒のある笑顔で
「ああ、こいつらも同寮、ハセとベナート、そこと、そこの部屋の」
肩で彼らを早口に紹介した。比べて少し小柄でがっしりしているのがハセ、その横で警戒しているような内気な空気を見せるのがベナートのようだ。
「まぁ蒔(まき)のいう通りで、俺もそうなんだけど、何も挨拶なしってのもどうかと思うんだ」
そのベナートが大人しやかに物騒な物言いをする。
「そうだね、納得させてくれればそれで済む話、といえばそれまでだしサー」
合わせる独特な口調のハセ、それを見、くるくると視線が笑う蒔(まき)。
(納得させろって言われても……)
戸惑うタツマが制する前に、
「ええ、良いでしょう!」
ユェズは軽やかに身を躍らせて素足のまま中庭へ出る。
「ユェズ!」
「……タツマ、任せてもらえます?」
ここまで火がついてしまうと、この乳兄弟は止められない。簡単に挑発に乗ってしまうのは素直さゆえなのか。
「私達は昨日、やっとエルデスにたどり着いた流民です。連れていた竜を韻様が召抱えてくださったので、こちらに参りました。これから共に暮らすなら、お互いに後腐れない方がよろしいでしょうね」
あくまでも丁寧。それだけに凄みもあるのだが。
「いいねぇ。そういうの」
どうやら、蒔(まき)はここのリーダー格のようだ。あわせるように庭へと飛び出していく。
「蒔(まき)、手をぬくなよ!」
「いーねー! ヤッチマイナー!」
それぞれにそれぞれらしいヤジが飛び交い、太い笑があふれる。
「蒔(まき)殿。先程の僕への侮辱、そのまま宣戦布告として良いですね?」
細くしなやかな指を鳴らし、足を軽く肩幅に取るとゆったりと構えるユェズ。
「ふん、良い構えするじゃないか。俺とサシな」
全員が見守る中、二人が対峙した。一瞬で、ふざけていた空気が凍る。
「……さぁ、いつでもどうぞ」
ユェズは相手を一瞥すると、深呼吸して瞳を閉じた。その態度に、蒔(まき)は軽蔑を感じ取ったのか
「なまいき」
唇がそう動き、そして深呼吸すると一気に踏み込み、
「はぁぁっ!」
拳をユェズの顔へと打つ。
――ゴリッ
鈍い、そう、鼻の骨が折れるような音がして、うわっと声を上げると同時にその成り行きを見たくないのか、
――いきなりか!
一人を除いた皆が思わず顔をそむける。
「ユェズ!」
タツマは思わず声を出した。
「それ以上はダメだ!」
「?」
その言葉に全員が驚いて目を開けた。そこには、伸びて仰向けに転がる蒔(まき)と、神秘的な栗色の瞳でそれを見下ろすユェズがいる。蒔(まき)が走りこんだ跡と、ユェズが一歩だけ動いた跡を残して、足元の土煙はすぐに吹き込んだ朝の風に掻き消えていた。思わず二人から、ええーっという驚声が漏れ、
「避けた? 蒔(まき)を相手に?!」
「うそん、蒔(まき)って近衛指南といい勝負なノに? 相当強いハズ? ヤバくなイ?」
観客二人の呆れた言葉をユェズがジロリと睨み、その視線で黙らせた。
「……ユェズは、素手で《狩人》(ラプトル)や《暴君》(レックス)と戦えるんです。見た目は華奢ですが、とても頼れるのですよ」
タツマは冷静に解説し、溜息や感嘆の混じったざわめきが続く。
「ユェズが本気になったら……相手が人では話になりません……」
そして申し訳なさげにゆっくりと庭に降り、
「大丈夫ですか? 蒔(まき)さん」
「う……」
蒔(まき)は低く呻くと起きようとするが、まだ動けずにもがいている。
「で、納得しましたか?」
ユェズは茶目っ気のある顔で言うと、タツマは呆れたように手を伸ばして蒔(まき)を助け起こし、
「けれど、さすがです。骨を折ったかと思いましたが、寸前で受け流してくださったのは良かった」
「は、は……とんでもないなぁ。流せたかと思ったら別のが来てた」
切れ切れの息の下、蒔(まき)は嬉しそうだ。
「強いな、ユェズ……。それに、タツマ、あんた、なかなか黒い」
男達に異論は無い。間髪いれず、蒔(まき)はさらに高い声で
「いやー、参った。まいったよー、ま、あんたら、悪い奴らじゃなさそうだ。全く、今まではこっちが伸してたんだけどなぁ。ないわ、本気で来るとか、ないわー」
くるくると変わる表情。豊かな喜怒哀楽を持つ男なのだろう蒔(まき)は、タツマの予想通り、好奇心から自分たちを試したかっただけだったようだ。
「……? どういうことです?」
ユェズは少し驚いたが、
「やはりわざとでしたね?」
タツマは納得した表情をしている。
「何だ、バレてたのかヨー」
ハセが先ほどの空気がないかのように笑うと。
「え? え?」
判っていないのはユェズだけ。
「でも、ユェズは気づいてなかったし、黙ってた私も同罪です」
品のある苦笑。それを受けて一人を除いて
「うわー! ひでぇなァ!」
「そこで止めないでやらせちゃうんだ、薄情者だなぁ!」
「何なんですか……。いったい……」
全員の笑いの渦の中、困るユェズ。
「蒔(まき)は、悪気があってあんたを挑発したわけじゃなかったんだって!」
ベナートが答え、
「ちょっとからかっただけだって! マジでやっちゃうんだもんナー!」
ハセはさらに
「蒔(まき)のやつ、返り討ちにあいやがってカッコワリィ!」
膝を叩きながら爆笑。タツマもさらにクスリと口元が緩み、
「タツマ……あなたまで……」
困った顔。
「敵を欺くには味方から、なんだろう?」
「全く、タツマはひどいやつだよなぁ、ユェズ!」
そう言いながら、もう大丈夫らしい蒔(まき)は陽気にユェズの肩を親しげに叩き
「ってことで! タツマ! ユェズ! お前ら、きにいったわ! これからもよろしくな!」
本当に毒の無い、ついでに落ち着きも無い男のようだ。愛嬌のある笑顔。
「ああ、よろしく!」
安心感と安堵、居場所を見つけたことの喜び、初めてだろう複雑な感情にあっという間に包み込まれて、タツマは明るく、本当に腹の底から大らかに笑った。長旅は本当に終わったんだ、と。

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