恐竜元年:始まりの三日間の物語

08:キユラ・奥羽とロード・奥羽と六郎佐

エルデスの北、ロード・奥羽の屋敷はいつもの華やかさと騒がしさで朝から活気に溢れていた。その気の源、末姫のキユラ・奥羽は、姉であり後宮の側室シエラ・奥羽から何かを贈られたらしく、昨日は夜遅くまで興奮気味だったが今日も朝から元気が有り余っているらしい。
「三郎佐! 六郎を呼んで!」
やんちゃ盛りの姫はまだ十を越えたばかり。三権者の屋敷にだけにある二階の部屋の窓から、落ちそうになるくらいに身を乗り出すと、すぐ下にいた背の高い下男を呼びつけ
「六郎佐でございますか?」
「そうよ!」
目的の相手を名指し、
「あ、お前達もここにいてよね!」
部屋にいる下女たちも引きとめている。そこへ新しい手水を汲み終えた六郎佐が通りかかると、三郎佐は深い同情を込めた顔で声を掛けた。
「六郎、姫がお呼びだよ」
そして両手から手水を奪うように受け取ると、姫の下へ行くように促す。
「姫様が? 困ったな……お館様にこの後、湯をお持ちするように言われてるんだ。早く火を熾してしまわないと……」
とはいえ、主人ロードはこの末娘にことのほか甘く、その可愛がりようは大変なもの。下手に姫の機嫌を損ねるとそれこそ今以上の厄介事になるのも判っていた。
「諦めなって。代わりにやっておいてやるよ。姫はお前をお気に入りなんだから」
言われ、美しい顔立ちの下男は、魅了を秘めた憂顔をする。確かに、六郎佐の屋敷での仇名は「姫のおもちゃ」。立ち居振る舞いが美しく、全てに従順な六郎に対し、お転婆なキユラは何かにつけて相手をさせ、その度に彼を困らせている。とはいっても、キユラはとても子供、それらしいイタズラばかりなので、大人の六郎佐にとっては良い迷惑であるものの、そう根に持つ程でもないのだろう。いつものように
「……わかった。」
溜息。
「あ、六郎! 見つけたわ!」
頭の上から、高く元気な声が降って来た。
「六郎! すぐに上がってきて! こちらに来て!」
その顔は何かをたくらんでいる。判っている六郎だったが、拒否は許されなかった。

「……順調で何よりだ、シエラ」
朝食を終えたロード・奥羽は、侍従を引き連れて木造の階段をあがりながら、昨日受け取った娘の引き続きの知らせに気をよくしていた。先々月、念願であった娘シエラ・奥羽・エルデスの懐妊が判り、今も母子ともに順調であるという。これは正妃アンナトリア・シージップより一歩先んじたことになり、彼女の正妃擁立では「してやられた」感の強かった彼もこれで溜飲を下げた。そして、何よりも次の目標への大きな足がかりが出来る。
(これで……あの皇子さえなければ……!)
だが、まだまだ、上り詰めるには邪魔が多かった。バードル・ダブスが後見するアーシェント・祥子とその息子トキヤ皇子。後見を持たないが、先の正妃と先帝の子で今は蟄居している現帝の兄アトル皇子。いずれもどうにかしなくてはならない存在であるが、これらをうまく利用しない手も無いはずだ。エルデス皇家と奥羽家の繋がりは深く、代々続いてきた名家として在り続ける為にも、やらねばならぬ事、なさねばならぬ事は積み上げられている。
――あはははっ!
曇りがちな心に聞こえる、末娘の明るい笑い声。部屋が近づくと、その石造りの廊下に歓声が響き渡るかのように漏れており、やはり朝から娘は騒動を起こしているようだ。呆れながらも愛しさで一杯になりながら、父はその扉を開け、
「キユラ! ご機嫌はどうだね……?」
いつものように足を踏み入れ、その目の前に見たことも無い美女がいることに気づいた。その横でキユラが父親目には美女に負けないほどの笑顔で立っている。
「お、こ、これは……」
「あ、お父様、おはようございます」
娘の挨拶もどこへやら、その視線は釘付けになっていた。彼女はきらびやかな綾を見事に着こなしており、真っ直ぐに立っている。胸を飾る見事な細工の綾留はそう世にあるものではなく、恐らくは相当な身分を持っていると考えてよいだろう。少し背が高くは有るが、艶のある豊かな黒髪が一筋の乱れも無く結い上げられて銀糸を編み込み、朝日に煌めいている。その輝きも霞むような美、透き通るような白い肌に薄水で彩った切れ長の色気溢れる瞳、化粧に引いた紅の印象は手をのばさずにはいられないような、かと言って手折るのは良心の呵責になる、そんな、たおやかさ、艶やかさと華やかさはどうだ。かつて皇家一、史上一の美女と謳われた先帝の妹君、今は亡きクーベリア皇女に勝るとも劣らないだろう美貌に
「いや……その……どちらの貴婦人でいらっしゃるのかな?」
さすがの館主もドギマギとして、少し、一息置いてから言葉を続ける。
「本日に、かのようなお美しい客人が娘にあると知らず……」
照れを隠すように、つと小さな咳払い。
「大変、失礼した。奥羽家へようこそ。ゆるりとお寛ぎください」
いつもより増して緩やかな、だが威厳ある口調の挨拶。妻を亡くして二年。そろそろ後添いをもらい、今度こそ跡継ぎとなる息子を持たねばならない。そんな現状を鑑み、思わずその本音が熱く見つめる視線に出る。そして、何を思うのか、後ろの従者たちにそっと外すよう目配せすると、即座に彼らは主人の意図を理解して、厳粛に部屋を去った。その反応に、貴婦人は困った顔をして、その側の姫が急に堰を切ってゲラゲラと身分を忘れたかのように笑い出し
「おとうさまっ! やだぁ!! もう!!」
爆笑。周りの侍女たちも姫の笑いにつられそうになりながら、肩をふるわせて必死に耐えているのだとを知ると、
「おい! 何だ? どうした!」
その笑いの相手が自分であろう事に気が付いた主人は一層らしからず、うろたえる。
「……お館様」
貴婦人の声は、その姿から想像もつかない程低く、聞き覚えのあるものだった。
「申し訳ありません。姫様のご命令で……」
「お……おま……」
ロードは思いっきり顔から火を吹いた。
「ろ、六郎佐、お前か!」
もう姫に至ってはお腹を抱え、転げんばかりの態度。
「キ……キユラ! そなたはっ!」
さすがの父にもこの悪ふざけは見抜けなかったのだろう、完全に騙された。
「だって! お姉さまからお化粧道具と綾と綾留をいただいたのだけれど、私より六郎の方が似合いそうだったんだもの!」
「おまえ~っ!」
「素敵でしょう? お父様がそんな風にお困りになる程、六郎は綺麗なのよ。さっき六郎の髪を結ったのだけれど、とても豊かで重くて艶があって、六郎ってとっても磨き甲斐があるの! ねぇ、お父様、六郎を私に頂戴!」
無邪気な申し出。だが父は
「キユラ……」
怒りを通り越し、疲労と後悔と羞恥の津波が一気に押し寄せる。
「……嫁入り前の貴族の娘が下男を寵愛するなど、持っての他だと言っておるだろう……」
「お館様……」
「ああ、六郎。娘の命令では断れまいが、そなた、よく我慢できるな」
我慢したくないのですが、と艶やかに表情が語った。
「まぁ、その……目のやり場に困るから、早く元に戻ってくれ。おまえたち、そちらの部屋へ六郎を連れていけ」
主はそう言って、下僕の部屋で六郎を着替えさせるよう下女達に指示をする。その姿はまさしく、下女たちを引き連れる女王そのもの。キユラはその美しい姿が幕の向こうに消えるまで見送っていたが、
「全く……お前は……」
呼吸をととのえ、切り替わった父の声を聞き、瞬間で彼女は父のカミナリを覚悟したのか袖の裾をきゅっと握って、身を小さくした。
「キユラ。人はおもちゃでは無いのだがな?」
父の言葉はゆっくりと、重い。この言い出しをするときには大概、彼女が一日泣き暮らす位のカミナリが落ちるのだ。
「お父様……」
「言い訳はするな。シエラの綾を下男に着せるなど」
「でも、綺麗だったでしょ?」
キユラの甘えた視線。だが、父は耐えるように
「……それとこれとは話は別だ」
頑なに無視。
「皇帝陛下の寵妃様よりの賜り物に不敬な事をした馬鹿娘と世に笑われたいのかな? それとも、そんな事を娘に許すロード・奥羽は愚か者だと知らしめたいか? はてさては、奥羽家は世の理すら解せぬ恥さらしだと嘲笑いたいのか?」
父はあくまでも静かに諭し、身体をますます小さくする姫はじっと俯く。
「バカをするのもいい加減にしなさい」
エルデスにおいて、身分差ははっきりとしている。貴族の娘、それも国を預かる役職である代々の財務総督職にして名家、三権者と呼ばれる階層を持つ屋敷の大貴族の娘と肩を並べるのは、せめて許されて市民まで。まだその下の階級である下男・下女が傍らに立つなどあり得ない。二歩下がり、付き従い、頭を垂れているべきなのだ。
「甘やかして育てたのは私だろうが、キユラ、お前は自分の立場と言うものを理解しなさい」
「で、でもでも、お父――」「口答えするなっ!」
被せて一喝。少女がさらに縮こまる。
「やりすぎるにも程があるだろう! いつまでも子供でどうする! お前はしかるべき相手に嫁ぎ、この奥羽家を担う血筋を残さねばならんのだぞ! なぜ判らんのだ! お前は! いい加減にしなさい! この馬鹿者が!」
ダンと足を踏みならす父の激昂。
「ごめんなさい! お父様、ごめんなさい!」
娘に大粒の涙が零れる。
(なんでそんなことで叱るの? お父様こわい!)
ただでさえ劣る器量に、ますます滑稽ともいえるような歪む唇。
「えっ、ぐ、ひっく……うぇぇええっ」
鼻をすすり、高級な綾の袖に広がっていく染み。その綾一つで都市の民が一年豊かに暮らせるであろう代物だが、彼女は知る由もない。
「キユラ、自覚しなさい! お前は奥羽家の娘、そこなエルデスの取るに足らん者供とは違うのだぞ!」
自分の生まれと運命は自分でどうにもならない。自分は人がうらやむ三権者の娘、だが本人にとっては、
(私は、そんなの、どうでもいいのに! お父様、怖すぎる!)
悔しい、それ以上に怖い。気持ちが溢れて止まらなくなり
「びぇぇぇっ!」
きちんと教育を受けた貴族の娘であれば、人前で泣く事がどれだけ恥ずかしい事であるかが理解できているだろう。だが、彼女はそれさえも憚らず、わんわんと声をあげて泣き始めた。
「わぁあぁ、おどうざまぁ! ごべんばざいぃ! わぁあぁ!」
「大声で泣くんじゃない、みっともない!」
父は吐くように容赦なく追い討ちをかけると、静かに仕事を終えた下女たちと共に隣室から出てきた六郎佐に気がつく。下男は部屋を出てすぐにその場に即座に膝をつき、下腹に両手をあてて頭を深く下げたまま、謝罪の意とともに、主人からの何らかの処罰を待っている。無造作に急ぎ束ねた黒髪が少し乱れてはいるが、そのいつもの下男の姿、不相応を知る態度に安心したらしい主はまた小さなため息をつき、
「六郎、屋敷の全ての厠と湯殿の掃除をしておけ。それを今回の罰とする」
は、と、その服従の態度に満足したらしく
「お前たちは、キユラを着替えさせなさい、これでは綾も台無しだ、新しいのを着せておきなさい。もうすぐ手習いの師が来る、逃がさんようにな」
女たち、六郎よりも高い身分となる侍女たちに続いて命ずると、本来の目的であろう同階の書斎へときびすを返す。大人しい下男は二歩下がって主人に付き従い、泣き叫ぶ姫に後ろ髪をひかれながら部屋を後にした。

Next>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?