恐竜元年:始まりの三日間の物語

09:ダブスとトゥシとヴァシェとミササギ

大地からすっかり顔をのぞかせ、頂へと登り始めた陽が天窓から差し込むバードル邸の二階の主の一室。棕櫚巨木の柱と巨石を組み合わせ、珍しい土塗が使われている屋敷、こだわり抜いて設えられた部屋は数多くの都市を渡り歩いた将軍だからこそ集めることのできた素材で固められていた。中央窓際にある愛用なのだろう椅子は複雑な模様を編み込んだ上質な綾で包まれており、そこに納まる主は貴重な陶器の杯で遅い朝食後の茶を楽しみながら座して、机上の仕事の前に、新しく迎えた部下の挨拶を待つ。その卓の左端には、磨かれた彩石で飾られた細工物の形良い小さな《鳴嘴》(ランベオサウルス)の頭骨がおかれていて、その特徴的な形の鶏冠に赤く美しい炎の舞いが続いていた。現当主ダブスはこの気に入りの灯火を時計代わりに、机上の仕事を進めているという。
「お初にお目にかかります」
その彼が、今、目通りされた少年、それも目を惹く魅力に溢れた少年、に正直戸惑っていた。雷竜のトゥシの推薦で現れた彼の副官は年端も行かない存在で、しかも強さよりも可憐さが前面に出ており、とても副官という地位が似合う姿をしていない。
「……う、うむ。ヴァシェ、殿だな?……」
殿という言葉さえ、腹痒い。
「はい」
そんな彼の意向など霞むようなまぶしい笑顔。もうそれだけで、久しく見ない、人を惹きつけて止まない逸材であろうことは明白。
「ヴァシェは幼い頃より私の手元で育てた男です。年は若いですが、それを引いても余りある活躍ができましょう」
少年の脇にあるトゥシの言葉に、嘘偽りがあるようにも思えない。いくつもの都市を渡り歩き、強大なエルデスの軍勢を相手に戦い抜いてきた勇士を召抱えることができたのは何よりの収穫だが、そのおまけといっても良いだろうこの少年……。
「つまり、そなたが天塩にかけて育てた、ということか?」
複雑な表情の問いに、寡黙な相手は頷く。
「私は、そなたの副官に塚森家のミササギを考えていた。塚森は武門の家の中でも盟家でな、うちと縁が深い。そこの跡取りで、なかなか腕が良いのだ。思いきりもある男でもあるし」
(あの、木偶の棒?)
ふと、ヴァシェの口元が緩み、
「確かに、とても大きくて見栄えのする方でしたね。昨晩、お会いしましたが、とても良くしてくださいました」
――とても馬鹿にしてくれたよ。
心にも無い世辞と共に、にっこりと笑う。
「もう会ったのか?」
「はい」
素直な返事。
「では、話は早いだろう。ヴァシェとミササギ、どちらが雷竜の副官にふさわしいのか、私には決め兼ねる。そなたらで話おうてくれ」
(……日和見ですか?)
ヴァシェの眼の軽蔑な光を一瞬で読み取ったトゥシはすかさず、
「お互いにとって納得の行く形……つまり、我々の流儀でよい、ですね?」
その気をそらすかのような言葉に
「流儀? 流儀か? 私にはとんと判らぬがな。……良いだろう、任せよう、よろしく頼む」
これ以上、立ち入る気はない。ダブスは「もう良い」と言わんばかりに手を上げると、机上の皮紙、仕事へと視線を落とし、暗黙に退出を促していた。

階段を降り、その屋敷の廊下、謁見を終えた二人はその足のまま端の仮兵舎へと向かっていたが、
「何なんです? あれは!」
口では怒りながらも、ヴァシェは確かに嘲っていた。
「貴族っていうのはああいうもの?」
まぁそうだな、とトゥシは生返事。
「バードル様が決めると、後々遺恨になる。向こうは貴族の跡取り息子ってことだし、色々あるんだろうよ」
「大人の事情?」
子供の軽蔑。
「判ってるだろ」
「判ってますよ」
「なら、もう言うな。昨日のお前の話だと、一発連中に知らしめてやれば自然と奴らはついて来る」
説得するような言葉に、そうでしょうね、とさらに冷たい笑みをたたえ
「そういう事なら、トゥシは黙ってみててくれるんでしょう?」
その言葉の含む所を判ってか、大柄な彼の眉だけが動き、
「ああ、判ってる」
「だよね」
兄弟の会話が消える前に、兵舎の骨組みの扉に手がかかる。扉に透かされて激しい多くの影の動き、男達の野太い声が響いており、どうやら手合いの稽古中のようだ。
「ミササギ殿はおいでか?」
軋ませながら扉を開き、それらの音を凌ぐような雷竜の響く声。すぐに、おう、と返事があり、
「お会いできるとは光栄、雷竜のトゥシ殿」
ヌゥと影が答え、ミササギが歩み寄り出迎えた。昨晩の灯りの中で見るのとは違い、たしかにバードルが推すだけの迫力と大きさを伴っている。背後には尖兵や雑兵達が集まり、
――あれが、雷竜のトゥシ……
怯えているかのような緊張。
「……私が貴方の副官、お話はお聞きおよびと思いますがね」
そして、ちら、と、ヴァシェを見下ろし、鼻で笑う。
「その件で、お話に参りました」
受けて立つ微笑。
「坊や、お兄ちゃんのお使いかな?」
あやす言葉尻。
「ここは、こわぁいばしょだよー。おけがしちゃうよー。はやく、真っ暗のおうちにおかえりなちゃいねー。ちょっぉと遠いだろうけどなー、ひとりでかえれるかなー?」
戯けた言葉に緊張がほぐれ、群れからクスクスと笑いが漏れる。が、ヴァシェは表情を崩さず、
「お気遣いありがとうございます」
と可憐に返し、
「でも、ケガするのはそちらなんですよね」
ニッコリと目を細めた。
「ほう?」
一瞬で火がついたらしいミササギの手が磨き抜かれた石剣の柄を握る。それをどう見てか、トゥシは
「……とりあえず、ミササギ殿。俺は、このヴァシェを副官に、貴方を前線指揮官に、と考えている」
「何だと! このチビが?」
張り上げた声に、先ほどのまでの空気が拭われ、周りの者達がサッと後ろへたじろいだ。兵舎にいるほとんどはミササギの強さも、雷竜のトゥシの恐ろしさも知っているが、その間にいる少年、可憐な愛嬌ある少年のことは当然のように知らない。
――なんだ? あの子供が副官?
――ミササギさんの立場が無いな、それじゃ
ざわざわとした嘲笑に近い好奇心に満たされた群衆の前、臍を噛む大男。トゥシはそれこそ動じぬ雷竜のごとく
「こいつの肝っ玉と腕は、貴方自身で確かめていただきたい」
流した視線、その先のヴァシェは可愛らしくそこにいる。
「はは、これは傑作だな。そのチビが俺より優れている、と?」
「優れている、ないではなく、適性、と考えてもらいたい。貴方には前線で兵を率いる指揮官が向く」
トゥシの即答。そういうことか、と男は笑い、
「で、俺を納得させにきたわけだ。じきじきに」
「はい!」
元気なヴァシェ。一瞬で戦意をそいでしまうような笑顔に、相手は侮蔑に近い目をする。
「……殺していいんだな?」
どうぞ、とトゥシの肩が答える。
「ということなので、ちょっとお手合わせをお願いします。ミササギ殿」
まるで遊びを許された子供のような態度。ふん、と男は答え、
「お前が俺に傷の一つでも付けられたら、お前を認めてやろう。雷竜殿も許してくださったことだし、俺は血を見るのは平気なんでな、容赦しない」
ええ、と少年は無邪気。
「ミササギ殿こそ、そのお言葉、お忘れなきよう」
瞬間で、二人はそれぞれに間合いを取りながら広い兵舎の中庭に走る。訓練所を兼ねた庭は平らに広く整えられており、居合をするに十分な場所といえるだろう。
(なんだ、ずいぶんウスノロなんだな)
ヴァシェの顔から少年らしい輝きが消え、竜を相手に戦い抜いた剣士の闇に似た光が宿る。彼の腕のように細い愛剣は研ぎ澄まされた長爪竜テリジノサウルスの爪骨を削りだした彼専用の物で、どこまでも白く、しなやかに見えた。
「おらぁ!」
袈裟懸けを狙ったミササギの切っ先。致命傷を視野に入れた正確な太刀筋、小さなヴァシェを吹き飛ばさん勢いと、並の人間であれば反応が難しいだろう速さもある、のだが、
――キンッ
石と骨のぶつかる高周波にも聞こえる尖音。受け流したヴァシェの乳白刃に
――クスッ
浮かぶ微笑。
(その程度? 普通よりは、ちょっと上、だと思うけど)
下ろされた相手の腕を弾くように手を返し、厚い皮膚、その男の額から頬、顎までの効き手側、右半分に上から下へ、白い刃先が眼球を縦に割りながらザックリと入り、その線を優雅に踊る。
――――切られる? この俺が?
深手。
「そこまで!」
その決着を始めから見透かしていたかのように雷竜が割って入り、返り血が遮った大きな背を染める。
「ヴァシェ! そこまでだ!」
ドウと倒れていくミササギ。集中していたらしい少年は息一つ乱さずそこに立ち、纏う殺気に人は動かない。いや、動きたくても、動けない。動けば、同様に「殺される」、と個々の本能が個々の身体に叫んでいた。
――な、何だ、こいつ?
その異様な空気。ミササギを一刀に切り伏せ、微動なく静かにそこにある美しい影は小さな竜が遊び足りないとでも言うような態度で首をかしげ
「ん……遅すぎ」
嘲笑う。暑いはずの空間を支配する再びの冷えた静寂。
「ミササギ! しっかりしろ! 意識はあるか!」
倒れた彼に振り向きざま語りかけるトゥシの咆哮に全員が解き放たれ、
「ミササギさん!」
「いそげ! 医者だ!」
ある者は母屋に走り、ある者は担架を探し、ある者は布を手に走る。
「死なないでしょ? その程度で死ぬならトゥシの足手まとい……」
その中、ヴァシェだけが静かに刃の血を振るい、剣の血糊ははじかれて雫と消えてゆく。骨を研いだ刃は、錆びることもなければ、血に塗れることもなく、彼の名前の由来の通りに、白いまま。
「が、は……あ……」
さすがは、といって良いのだろう。ミササギは顔を切られながらも、意識を保っていた。だが、何かを知ったような恐怖に瞳孔が開ききり、喉の奥が藻掻いている。
「な……ん……」
「大丈夫ですか? ミササギ殿」
駆け寄る少年の優しい微笑。だが、今となっては、その笑みは死神のそれ。
「う、うわあぁっ…………いてぇっ……っ!」
彼にとって、はじめてだろう、切られる痛み。暴れる四肢を兵士達は押さえつけるようにして、持ちこまれた担架に乗せようとするが
「骨は割り切ってないと思いますから、早く治して戻ってきてくださいね、指揮官殿」
(でも、もうその目は使えないよ、それに、傷も消せない。僕を馬鹿にした罰だからね、デクノボウ)
見送るヴァシェの、ぞっとする美微笑。
「があぁぁぁっ!」
言葉になっていない雄叫び。それを承諾、と取ったらしいヴァシェは
「それじゃ、約束どおり、僕がトゥシの副官、でよろしいですね?」
自然と周りに同意を求め、その彼らに承諾の言葉は必要なかった。
(やりすぎだよ、お前……)
その沈黙の群集を抜けて運ばれていくミササギの雄叫びが、かの貴族に聞こえているのだろうかと、呆れるトゥシはそんな事を少し思っていた。見上げた窓に、主の影は無かったが。

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