恐竜元年:始まりの三日間の物語

10:ユェズとタツマと棗(なつ)

蒔(まき)曰く「朝っぱらから歓迎の宴会もちろん酒抜き」と称された騒がしい朝食を終えて、二人は前給金としてもらった硬貨石の入った小さな袋を手に自室を出る。出口までの廊下の途中には台所へとつながる細い廊下があり、ユェズはタツマに少し待ってもらうように態度で示すと、台所へと身体を寄せて
「それでは、市場へ出てきます」
そこにいるだろう棗(なつ)に声をかけた。
「ああ、ちょっとお待ちになって」
一方の相手は上品な言葉でそれを留め置くと
「お願いしたいことがありますの」
顔を覗かせてユェズを、そして肩越しに廊下に佇んでいたタツマを見る。そして奥に戻って一呼吸の後、手に何かを持って急ぎ足で現れると
「これを」
タツマの手を取ってそれを乗せた。
「?」
それは彼の大きな掌一杯になる魚の一枚鱗で、朝の光にキラキラと光りながら彫り物の陰影を浮かび上がらせている。
「これを、市場の奥、広場の皇家の市で荷物に引き換えて来てくださいな」
「大きな荷物ですか?」
二人に頼む事から考えても、小さなものでは無いだろうと予測がつく。
「そうですね、少し多めかもしれません。今日は家畜竜が市に出る日なので、卵と肉と骨、皮を2張。お父様の所には直接届けてもらえるのですけれど、うちは取りに伺わないとなりませんから」
どうやら、エルデスの市場での決まり事があるようだ。
「今日は特に大きいのが出されるとの事なので、良い所を多めにと思ってお父様にお願いして、予約をしておいたのです。お二人の買い物のついでにお願いできると、とても助かりますの」
「広場の奥の市場で、これを荷物と引き換えてくればよいですね?」
「ええ」
確かめるように、美しい鱗を見る。その銀色にも虹色にも光るそれは、あの透明な重さの無い世界でどんな景色を見てきたのだろう。思わずふと意識を飛ばすが、それは沈黙したままだった。
「きれいでしょう、その鱗」
じっと見ている彼をどう思ったのか、女は笑い、
「竜の市は中央広場の一番奥、夏至門の前です。ここから出た正面の道を、城に向かって歩けば中央広場まで真っ直ぐで、曲がる必要はありませんし、夏至門はこの街で一番大きな内門ですから、すぐに判りますよ。それに、ここは石を敷いた路を歩いていれば、必ず中央広場へとたどり着きますから、そこから見える一番大きな門を目指せば迷うことはないと思います」
タツマとユェズの聡明さを見ぬいているのか、それとも彼女の持つ鷹揚さからなのか、棗(なつ)の言葉の一つ一つにはまるで昔からの知り合いでもあるかのような信頼が込められていた。初めての都市、迷い人になるかもしれない二人に対して楽観的な彼女にタツマは不思議な様子さえして
「判りました、ユェズもついてくれていますし、大丈夫だと思います」
と穏やかに微笑んだ。
「それではお願いします。ユェズさん、タツマさんをよろしくおねがいしますね」
投げられた視線と明るい無邪気な声に
「あ……はい」
逆に少し気圧され気味に、人見知りな仕草と声のユェズ。朝の蒔(まき)との騒動の姿からは想像できないような大人しさが、タツマには少し面白いと思えていた。

静かな下宿から一歩、戸口を出て庭を突っ切ると急に騒がしさが近づき、そこはすぐに大通りだった。昨日たどり着いた夕方は広々として石造りの道が肌寒いとさえ思えた場所だったが今は、その両脇を簡単な骨組みに皮や綾を渡して屋根を広げる出店が固めており、その中央の広道のどこを向いてもその幅いっぱいに人が居る。急ぐ者、荷物を多く運ぶ者、ちらほら見える親子連れ……当たり前だろう都市の光景なのだろうが、二人にはこれだけの群衆を見る事が始めてで、そして、正直、面食らう程の驚きでもあった。
「凄い、人、ですね」
ユェズの毀れた一言に、
「……」
タツマは答える余裕が無いのだろうか、じっとしている。
(こんなにたくさんの……人?)
自覚するまでもなく、
――急いで売り切らないとなぁ
――ほしいなぁ、でも高くて買えないわ
――おかぁしゃん、どこ?
――あれをあの値段? ぼったくりだな
――ヒト イッパイ コワイコワイ
――良い買い物した! 今日はついてる!
――見てないでとっとと買えよ!
――!!
――?!
―― ―― ―― ―― ――
もう処理しきれない、把握しきれない程の速さと量でタツマに流れ込んでくる思惑、意識、言葉、想い。旅の間、森や草原でもっとたくさんの生命達に囲まれて、その声を聴いていた時の感覚とはまるで違う。例えれば、それは様々な刃。とがれた刃、丸い刃、ギザギザの刃、触れるだけですべてを断ち切られてしまいそうになるほどの刃。意識の数だけ容赦なく自分に斬りかかってくる刃に感じる。
(これは一体……! 同じ生命の声のはずなのに……?)
自分自身、大丈夫だと思っていた。が、それは甘かったのか。先ほどとの自分から急転して、その感覚、躊躇いなく真っ直ぐに切り刻んでくる恐怖に近い何かに怯えて鳥肌と汗が全身隅々を走り、思わず手にある彫り物の鱗、をぎゅっと握りしめた。
「下宿の誰かに、ついてきてもらう方が良かったかな……」
ユェズのぼそりとした呟きに
「……いや……それはまずい……」
やっと返ってきた答えは否定。改めてその姿を見、タツマに何かが起きていると察したユェズは、確かに今の彼の姿を自分以外の人に見られて何かを気取られるのは避けたい、と考え、
「戻りますか?」
その気遣いに相手は首を振り、
「大丈夫」
自分にも言い聞かせる。
(大丈夫、ゆっくりと、流して行けばいい。きっと、できる)
人とかかわることの覚悟。アーシェントである自分は、存在する生命全てと心を通わせることができる、心を聞くことができる、意識を交わさせることができる。それゆえに、こんなにも多くの「意識」達がいる場所に居れば居る程それらを感じ取ってしまう、知ってしまう。耐えがたい苦痛にさらされれば当然心身は疲弊し、酷く傷ついて傷つけられる、壊れてしまいそうな程、狂ってしまいそうになる。だからといってそれらから自分を護ろうと逃げようと心を閉じたとしても、流れ込んでくる様々な意識、強すぎる人間達の想いがそれを無理やりにこじ開けようとしてくるだろう、それこそ多勢に無勢、敵うはずもない。なら、なら逆に、心を開いて、入り込んでくるそれらを受け入れて、かつ、その恐ろしい刃からすり抜けるように、かわすように、受け流していくことが出来れば。いや、それが出来ても良いはず。
(それができなければ……ここではきっと、生きていけない)
タツマは自然とそう考えて、そう結論付けていた。誰に教わったでなく、ほとんど思いつきで、自分を護るための必死の苦肉の策でもあったが。ユェズの反対を押し切って、あえて、人であろうと望んで自分はエルデスに来た。だからこそ、これが出来なければ、何の意味もない。
「……大丈夫だよ、ユェズ。あと少しだけしたら、行ってみよう」
あと少しだけ、の言葉の意味が何となく判ったのだろう、
「判った。動けるようになったら、言って」
何よりも強い支えとなる、ユェズという乳兄弟。
(……ありがとう、ユェズ)
この刃をかわす術さえ覚えれば。タツマはもう一度深い息を一つして、目を閉じる。

それからほんの半時の後、小路の角の軒下に居た新参者二人が意を決したかのように歩き出し、自然の日常の市場の風景に溶け込んでいった。

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