恐竜元年:始まりの三日間の物語

11:独楽(こま)とスグリムと碧(みどり)

起きたばかりの陽光が頂点を目指して上り始めていた。「黒スグリ」の側で床に転がっている女は、すでに息絶えており、不自然に曲がっている首がその原因を物語る。
「碧(みどり)、後は任せた」
呼ばれた女がすっと音もなく、部屋に入ってきた。ギロリと睨んだ彼に怯えるように静かに頷き、嫌悪感を見せる表情のまま、固くなり始めた哀しい骸を包むために大きな棕櫚袋を引き摺り出し、広げる。昨日、独楽と六郎佐が去った後、スグリムは夕暮れの街で、この女、自分が碧(みどり)と名付けた女を拾った。一晩中好きなだけ弄んだが、彼女は声も上げず泣きもせず、精気さえも見せないまま、夜が明けた。彼女をなぜか、スグリムは殺さなかった、そして、碧、という名前をつけた。いや、殺せないのには理由があったのだが。
「裏の路地をまっすぐ行くと突き当りに外へ出られる穴がある。そこから捨てるんだ、場所は判るな?」
頷く女。
「後つけられんなよ。夜までには、あのでかい羽モノ……そうだな、たぶん、《空王》(ケツァルコアトルス)あたりが持ってくさ」
彼女に「大切な名前」をつけた、そんな昨夜の自分にイラついてふと出た通り沿い、通りがかっていたのを気まぐれにさらってきた女は、見た目は並かそれより下。だが、慎み深く平凡に暮らす良き妻であり、母であった人だろう。ささやかな平和を踏みにじられていく女の必死の憐姿に猛り狂うように、スグリムは一晩中碧(みどり)を抱いていたとは思えないほど衰えも無く弄び、またしても、頸いて生命を断ち切る感触を楽しんでいた。
(あー、うぜぇ。)
傍にあるのは、碧(みどり)と遺体とアレ、それだけ。目を移し、入り込んだ古びた剣のような形の何か、赤茶色の錆に覆われてガラクタにしか見えようのない、だが、見たこともない固さと材質のそれが、森の子供から奪う様にして持ち帰ったモノ。それをどうするべきなのか、どうすればよいのか、不意な空しさに何を想うのか、彼はそれを軽蔑の眼差しでチラとだけ見ると、
「出かけてくる、やっとけよ」
昼を過ぎてこれから日暮れ前まで活気付くだろう慌しい市場の喧騒へと降りていく。運び出され、都市の外に打ち捨てられる彼女の遺体は、飢えた小さな哺乳類が摘まんだ後にでも、あの巨大な翼竜《空王》(ケツァルコアトルス)が軽々と持ち上げて喜んで巣へと持っていくだろう。そして自分の命の値段がまた上がる。
(いずれは誰もがあいつらの血肉ってやつか……)
つい浮かぶ自嘲。ここにはそれに抗う自分がいる。だがその為に得たはずの力は未だ沈黙し、先が見えないのも事実だが。
(あいつは、あと二つあるって言ってたな……やはり、必要か……)

市の人通りは相変わらずで、だらしなく上着を羽織り、日よけを深く被っただけの彼は人ごみを縫うようにのんびりと歩いていた。エルデスの市は東西を結ぶ街道沿いに毎日開かれ、植物や石などの日常品から干し魚や貝に藻類、動物、種に実、主食となる歯朶葉(シダ)の実の粉もここで買うことができる。一方で、都市では貴重となった恐竜の肉と卵、皮や羽、骨は中央の広場にある皇家直属の大店で売られていた。都市の恐竜は全て皇帝のものとされているため、一般市民は決められたものだけしか買うことが出来ない。命がけで外の恐竜を狩る生業の者達の成果がある、もしくは大きな家畜竜が屠殺される日は事前に告知されて小さな祭りのようになり、人手が特に多くなる。南に住む者達にはなかなか知らされない情報ではあるが、今日はどうやらその日らしい。いつもより街道通りも広場も賑わっていた。そのごった返す中、朝からそこそこ楽しめた満足感も手伝って足取りは軽く、交わすように間を抜け、
「よう!」
そんな背に声をかけたのは独楽(こま)。あえて名前を口にしないのは、その名前が響いたとたんに、市が大混乱を起こしかねないと判っているからだろう。通りの所々に配置されている雑兵の眼も憚る必要がある。
「お、こんな所で会うか?」
偶然ではないよな?とその視線が語っている。どちらとなく何かを感じ取ったのか、自然に人波を外れて近くの路地へと避難した。
「声を掛け辛くてさ。朝からとは思わなかった」
「昨日の腹いせだ」
やはりこの男は理不尽だ。呆れたような独楽(こま)に、
「穴開いてたし、顔もたいしたことないけどな、中はなかなか良かったぜ」
スグリムは意地悪く続ける。
「女は抱ける時に抱いておかないと、さっさと別のに食われちまうよ。気をつけな」
「……華奈は、譲れない」
真面目な言葉。
「あー、好きに言ってろ」
スグリムはそれこそ豪快に笑った。
「まぁ、お前が食って男を知った女になったら話は別かもな」
「何?」
つと燻る。
「は、冗談」
どこまでそうなのかは不明だ。だが疑わしいようで、実際、スグリムが独楽(こま)の宝に手をかけることは有りえない。彼らの繋がりはそれよりも大切で強い。

――……ろう!
「六郎! お前こんなところで何してる?」
それは、独楽(こま)が初めて街に出た日に、自分に掛けられた初めて聞く声。エルデスの南、街道筋にある薬師へあるものを届けるように、と主人ヴィクトリアス・シージップから言い使っての帰りのことだった。
「六郎?」
振り向くと、そこには見知らぬ男がいる。自分よりも少し年長だろう彼のギラギラとした目が真っ直ぐに自分を見、昔からの知り合いだとでも言いたげな顔で立っていた。
「ん? 六郎ってのは誰だ?」
その答えをどう取ったのか、相手は、はっ、と吐き出すように笑い、
「人違いだってのか? また冗談きついぜ」
見つめた印象深い顔、浮かぶ白い歯、その表情は無邪気な子供のようにも思える。
「いや、冗談じゃないんだが……」
戸惑う。
「スグリ!」
その時、その背から第三者の声。とても落ち着いていて涼やかで、どこか聞いたことあるような懐かしい感じさえする。本来なら、この路地で「見知らぬ男たちに挟まれた」緊迫した状況となるはずだが、そうならなかった。今思い返しても、なぜそうだったのか、実際のところ説明がつかない。
「おう、六郎!」
気さくな返事。彼にとっての本来目指すその相手だったようだ。やはり人違いじゃないか、と独楽(こま)が向き直ったとき、
(あ、)
目が合った二人が二人とも、お互いを凝視した。
「やっぱり、そっくりだな、お前ら」
ニヤつくのは自分を挟むその男。
「六郎、俺、こいつとお前を間違えちまった」
そして悪びれず、笑う。
「そっくり、だな……」
六郎、と呼ばれる、水鏡を覗いた自分にそっくりな男は、
「名前を……いいかな? 私は六郎佐。ロード・奥羽様に仕えている下男だ。……君は……」
「独楽(こま)。ヴィクトリアス・シージップ様に仕えてる」
ほう、とスグリムはますます楽しいらしい。
「奥羽とシージップ、あの最悪な二人の下男が同じ顔してんのか。こりゃいーわ」
いかにもな視線で二人をジロジロと見、
「独楽(こま)っていったよな? 確かによく見りゃ、少し六郎とは違う。それにお前はこの辺りで見ない」
初めてだからだ、と答えそうになり、強い警戒心と悪い予感が不意に湧き上がった独楽(こま)はその本能で答えを呑む。目の前のスグリムという男は油断ならない、と心騒ぐのだ。
「だんまりか」
その沈黙をどう取るのか。
「スグリ、もう、構うな」
優しさなのか、無関心なのか、六郎佐という男の本音も良く見えなかった。
「そうだな」
瞬間で消えたらしい好奇心。男たちは連れ立ち、彼を置いてその路地の奥の闇に消える。そう、その背中……。

「お前、後ろから刺されないように気をつけろよ」
あの時から変わらない背中に、話し掛ける独楽(こま)の心配そうな口調。だが当の相手はやはり不敵な笑いを浮かべ
「俺を刺したら、刺し違えられてあの世行きだぜ」
その自信は彼らしいもので、彼の危うい部分でもある。独楽(こま)はその心に秘めた想いと使命に足掻くように笑うと、二人は再び歩き始めた。といってもあては無いので、市を見て回る位だが。
「で、朝から俺を尾けてたわけは?」
さりげなくスグリムから振るが、相手は巧みに側で売られている大ぶりの裸種子に気が行く素振りをする。これは今で言う椰子の実に当るもので、中には甘い果汁がたっぷりと詰まっているのだ。
「ああ、コレはそのまま干しておくと一年ほどで酒になるんだ、まぁ面倒見る奴が要るけどな」
裸種子が多く採れた海辺の故郷、今は廃墟と化した亡き場所を懐かしむような柔らかい言葉とともに、スグリムがその実をいくつか叩き、中でも特に低く響いた音のしたものを2つ指さす。独楽(こま)は判っているといわんばかりに迷わずそれらを取ると店子に貨幣を払うが、エルデスでもそう流通していない高級な貴族階級の鱗貨幣に相手は驚き、それをどう捉えたのか、独楽(こま)は釣りはいい、と手を振りながら実をかかえ、二人はまた喧騒へと戻る。
「二つとも買ったのか?」
尋ねるスグリムに
「一つはすぐ飲むとして、もう一つは酒にしてから飲もうと思って」
「金は?」
「あるよ、給金が」
実際は体のいい手切れ金、少なくとも独楽(こま)はそう考えているがそこは割愛。
「……そうか。じゃあ、すぐにでも干さなきゃなぁ……」
スグリムは見透かすように
「帰るか」
人ごみの中きびすを返した。
――タツマ、あれは使えそうですよ!
――ああ、そうだね、ユェズ。
ふと、通りすぎざま聞こえた、若い二人の声。紅い髪をした若者と黒髪の華奢な若者の二人組とすれ違い、そのすれ違い様、
――?
何かが、心に触れ、スグリムは、立ち止まり、振り向いた。人ごみはその二人組を飲み込み、立ち尽くす彼を石ころのように置いて、流れていく。
――なんだ?
判らない。だが、何かが、何か、が、自分の耳に何かを囁き、心を掴み、足を止めさせ、身体を振り向かせた、気がする。
「スグリム、どうした?」
先を行く独楽(こま)の声。
「いや、なんでもない」
また、歩く。

「帰ったぞ」
二階のいつもの部屋。スグリムの声に、碧(みどり)は傅いてこれを迎えた。朝の女はすでにおらず、部屋は片付いておりその残り香さえ感じさせない。
「片付けたのか」
碧(みどり)は何も言わず、頷くだけ。
「良い手際だな。これなら、何人でもやれるな」
ニヤリ顔。この鬼畜な面さえなければ、と独楽(こま)はいつもの顔をし、初対面の目の前の小柄な女に気がつくと不思議そうに見る。
「ああ、碧(みどり)だ。俺の女だ」
端的な答え。
「あ、はじめ、まして」
静かな女に戸惑う独楽(こま)は素直に挨拶を交わそうとする。
「碧(みどり)は話せねぇよ、ほっとけ」
「ほっとけって、お前!」
予想通りの炎の反応。以前も同じように、殺さない女をそのまま下女に使っていたことがあったが、数日と持たなかった。相手のことなど何も想わずに、また、よくわからない気まぐれを起こしている、そのやり方が彼にはどうしても許せないのだ。それが判っていて面白いのか、無邪気に笑いながらスグリムは碧(みどり)に目配せした。
「独楽(こま)が買ってくれたものだ。開けてくれ。一つは窓に干しておいてくれよ。面倒はコイツが見るから手を出すな」
奴隷のように感情を見せない碧(みどり)に、独楽(こま)は違和感を覚えながら働いてくれる彼女に礼を言い、渡す。女はそのまま台所へと行き、部屋は独楽(こま)とスグリムの二人だけが残された。
「で、あのお茶目オヤジ、気づきやがったか?」
さっきまで女を楽しんだ床にスグリムはやる気なさげに横たわると、畏まって座したままの独楽(こま)を見上げた。
「より良き道を選ぶと、約束してきたよ」
「ふぅん。六郎の受け売りか。どっちにしろ、お前、華奈とはもう……」
「覚悟は出来てる」
硬く、重い返事。
「ただ……」
「……ただ?」
小さな沈黙。その脳裏には鮮やかな金色の彼女。
「俺にできなかったとしても、華奈には幸せになってほしい、と思う」
「お前以外にいるんだろうかなぁ」
惚けるようにスグリムは言うと、ボリボリと身体を掻く。
「お前の事だ。華奈は手付かずだろう? 俺がさらってきてやろうか?」
「それでは意味が無い!」
独楽(こま)は真剣に答える。やはり熱い男だ。
「俺は、俺の力で、俺自身で、華奈を幸せにすると誓った。それがどんな形であっても!」
「だったら、俺を殺せ」
できるだろう?と尋ねる視線。
「俺はアレを返す気どころか、残りもいただくつもりだぜ。蒼ガキは誰の女にもならないが、俺がそいつの男になることだってできるんだからな」
「お前!」
「手に入れるものいただいたら、あのガキは用済みだしな。そもそも、気に入らねぇし、あのクソ野郎」
そして壁に投げた視線。そこにはボロボロの件のモノが無造作にある。独楽(こま)はその態度から「それ」がなんであるかを悟り
「まさか……おまえ……?」
「まさか? あのガキが股を開くかっての。取引したのさ」
間を読むように、碧(みどり)が整えた膳をそれぞれに並べ始め、二人は一息入る。粗末な干肉と買ってきた実の食べられる部分を刻んだものが乗る濃緑の葉と、鱗木をくりぬいた粗末だが高さのある杯が三つ、中にはあの実の果汁。
「……スグリム。俺は、華奈を幸せにする。その為に、ここへ来た」
「お前以外の男がお前のお嬢ちゃんをモノにするくらいなら、俺がもらってやるよ」
身体を起こし、干し肉を取り実を塗り付けてそのまま軽く噛んで丸のみする。どう答えたものかと戸惑う友人を前に野性的な仕草で碧(みどり)の手から杯を取ると
「焦ることは無いぜ、独楽(こま)。そう、遠い話じゃない。俺とヤツの取引が終われば、この世界は俺のもので、華奈はお前の物だ」
その自信と過信はどこから生まれるのか。独楽(こま)は戸惑ったまま同じように杯を取るが
「あれ? 三つ?」
「三つだな」
「碧(みどり)さんの?」
「違うな」
しれっとしたスグリムは
「碧(みどり)には判るらしいぜ」
気にするな、と言わんばかりに杯を取らせ、まさに杯を合わせようとするその時、騒がしい足音と共にもう一人が飛び込んできた。
「スグリ!」
「おう、来たか」
「や、やぁ……六郎」
「君もいたか、独楽(こま)」
自然な二人に拍子抜けしたのか、六郎佐はゆっくり息を入れると直ぐに扉を閉めた。
「ならちょうどいいね。いろいろと、やっかいな事が。お前の例の力の行方について、三権者が気づいてる」
「そうだろうね……」
「独楽(こま)、君も聞いてるのか?……でも、それよりも、もっと大変な情報が」
「情報?」
「……アーシェントが……生きてた」
一滴の波紋。
「な……?」
「まじかよ、六郎!」
碧(みどり)がさりげなく杯を渡し、その彼女と初対面であるはずの六郎佐は自然と礼をしてさらりと受け取る。機微な彼は何もいわずとも、彼女とスグリの関係をすぐに察したのだろう、そのまま喉を潤すと続けた。
「一郎佐……ロード・奥羽の密偵が、アーシェントが生きていたことを突き止めたんだ」
「で、そいつらは今どこに?」
「……わからない。里ごと《暴君》(レックス)にやられたらしい」
それなら何の問題が? と言いたげな二人に、六郎佐は波に押されるように流れ続けた。
「でも、もし、もしもだ、生き残りがいて……そしてこのエルデスに入っていれば……」
あ、と小さくつぶやき、
「三権者が潰しあいしてる場合じゃなくなるな」
独楽(こま)がその続きを言う。
「ふん……だとしたら、そのアーシェントは一人残らず殺す」
変わるスグリムの鋭い眼。
「取引が中止になっちまうのは、ごめんだぜ。……六郎、その話、詳しく聞かせろ」
夕方にはまだ早く、下がらぬ気温。が、部屋に漂う緊張はそれ以上に思えていた。

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