タチバナさん

タチバナさんの髪はヒステリックブルーのベリーショートだった。初めて彼女に会った日、青山通りはすっかり黄色一色で、濃厚な秋が夏を追いやってしまったおかげで私はあーしくじったワ、と呟いてお気に入りのスヌードを首に3重にも巻きつけて、秋に合わせて新しいアイシャドウを購入しようと歩いていた。トレンドはイェロゥ。なんでも、レモンのイェロゥではなくヤマブキのイェロゥらしかった。気の毒にきっと秋にしてはあまりに鋭く閑としすぎて、日差しとは裏腹な肌を突く外気にレモンの黄色は眩しすぎるのだ。仕方なしに私鉄を乗り継いできらびやかな街に出てきてまった。どちらかというと内向的な私には閉塞感や手持ち無沙汰な気持ちになってしまってどうもショッピング街は苦手なのだ。
MACは新しいリップを秋用に更新した。だけれど私にはMJの衣装のスパンコールがライブ中に何枚落ちたかと言う話題と同じくらい無関係だったし、興味もなかった。幸の薄そうな私の根っからのアジアンフェイスには似合わないだろうとタカをくくっていた方が支出が少なく済むと思ったから。
結局その秋私が選んだのはシュウウエムラの補色を合わせた4色のパレットだった。どの色が男性にうけますかね、と半分冗談で聞く私に、男の子のためにメイクをするなんてバカをお言い、誰かの為にするメイクなんて今すぐ落としてしまいなさい、とショップスタッフだったタチバナさんがピシャリと言った。彼女の首筋はとても白くて私はそそくさと購入するパレットを決めて短くない列に並んで自分が履く白のテニスシューズのつま先をじっと見つめていた。タチバナさんのジミーチュウが目の端で泳いでいた。

「大人達は休日なにしてると思う?」と私は横に寝転がるタチバナさんに聞いた。知らない、と彼女が答え「パチンコかセックス」と私は答えた。もう6月で、私達は同棲していて、休日の昼間は度々2人で映画を見た。ジーンケリーとフレッドアステアが定番で、同棲していた3年間私達は「雨に唄えば」を11回「有頂天時代」は9回見ることになった。
「子供のころはイオンかセガでプリクラかメダルゲーム、高校になるとバイトとメダルゲーム、だいたいは高校を卒業して土木と事務に就職してハタチ前後にでき婚。休日の楽しみはパチンコ。」と私は続けた。
「水が飲みたい」とタチバナさんが言ったので私はキッチンから話し続ける。
「飲料水切れてる」
「水道ので」
「こんな不味いのよく飲めるよねぇ」とセリアのプラスチックのクリアグラスに水道水を汲んでスリッパを引きずった。

冷蔵庫の食糧が底をついたので2人で歩いて買いに行った。私は飲料水を1箱、大きめのトマトを5つ、ペンネを300g、セージ、粉チーズ、ニンニクとタマネギを2玉、やすいワインとカマンベールチーズを買い、タチバナさんは生理用品と毛抜きを買った。帰り道beach boysが聞きたいとタチバナさんが言って、端末で聞いたら?と言う私の言い分に、わかってないねと首をすくめて1人でCD屋に入って行ってしまった。彼女っていう人間はいつもそうなのだ。すてきじゃないか、と呟いて私も後を追った。

CD屋を出ると外は小振りの雨だった。雨樋の下から手を伸ばすとさらさらと濡れてあっという間に指の付け根から水が溢れる。ぽった、ぽった、ぽた、ぽたぽた。
「雨降っちゃったねぇ」
「傘持ってないよ、」
「エブリシングイズゴナビーオーライ」
「Be alright」
様子をみようかと言っているうちに雨はどんどん強くなっていったので、私達はスキップをしながらサンダルで水溜りをわざわざ通って跳ねる水を掛け合って帰った。

家に着くと48度のシャワーを浴びて、私は長い髪をてっぺんで結わえて、タチバナさんは少し伸びてきたベリーショートをバンダナでまとめ、それからトマトソースを作ってペンネを茹で、ワインとチーズを添え付けて夕食を済ませた。
「雨に唄えばを見よう」とタチバナさんが言った。
「シンギングインザレイン!」
「レッツムービータイム」

多くのハリウッド映画やミュージカル映画は恋で始まって恋敵とハプニングがあってやっとお互い結ばれる!というシーンで男優と女優が長いキスをしてそれから見つめあうシーンで終わる。日本のドラマにしろアニメにしろたかが一時の恋を一大事のように、ひたすら走ったり泣いたり、最後は結ばれてハッピーエンドで、バカらしい。私だったら彼女のためにコンテストをすっぽ抜かして走ったり、出国をキャンセルしてまで走ったりはしない。さようなら、だ。バイバイ。最後キスシーンで終わる映画の大抵は嫌いだ。けれど「雨に唄えば」は好きだった。ジーンケリーがセクシーなアルトで、デビーレイルズはとてもキュートだったからかもしれない。

「ヨーロピアンな街灯」とタチバナさんがいう。彼女と私は度々連想ゲームをした。それはいつも唐突に始まって、映画や小説の場面だけから連想するのが決まりだった。
「壁に描かれた蔦の葉」
「マッチ」
「懐中時計」
「わかったぞ、オーヘンリーだね」とタチバナさんが笑った。
「好きな絵本は怪獣たちのいるところ」
「私は絵本は読まない」
そしてキスをした。

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