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成人式で振袖を着るより大切だったマンドリンの話

今日は振袖姿をよく見かける。
(新成人の皆さん、おめでとうございます!)

もう17年も前なのか。
私が20歳になった年の成人式の当日は、熱を出して実家で寝込んでいた。

せっかくの振袖が…と言われそうだが、安心してほしい。
もともと振袖の用意はしていなかったから。

20歳の私には、一日だけ艶やかな自分に変身するよりも、毎日お気に入りの楽器を弾くことが大切だった
大学に入って始めた、マンドリン…イタリア生まれのかわいい弦楽器。
私は振袖レンタルのために親の用意してくれたお金を、マイマンドリン購入費用の一部に充てたのだった。

大学の4年間はみっちり、社会人になってからも濃淡はあれど、私はこのマンドリンを続けてきている。
よほど好きだったり、得意だったりすると思われるかもしれないが、実はそうは言いきれない。

ラジオでも話したのだが、「趣味」と言ってしまうほど割り切れたものではない(会話の流れ上「趣味」と言って流すことはままある)。

私はマンドリンを弾くのは上手ではない。
学生時代、私の周りには私より上手な人しかいなかった。
かといってそこに追いつけるだけの努力量・質の練習も満たせたかというと、そうではないと思っている。

それでも、私はこのマンドリンという楽器を通じて、何らかの自己実現をしたかったんだと振り返る。
ひとりの奏者としてというものあるし、演奏形式がオーケストラだったので、演奏の一部としてというものもある。

少し個別的な話をする。

マンドリンオーケストラでは、一般的に主旋律を担当するファーストマンドリン、副旋律を担当するセカンドマンドリンというのがあり、私は、セカンドマンドリンをこよなく愛していた。
「ファーストが難しいから」というネガティブな理由でセカンドを選ぶ人も少なからずいるが、私には、このセカンドの渋いポジションが何ともたまらなかったのだ。
一番目立つわけではないけれど、ないと全体がものすごく空虚になる。
時々存在感を醸しつつも、裏でそっといい仕事をする、みたいなのが、とてもかっこいい。

そして、セカンドの「中の人」になったとき、(あくまで主観なのだが)ファーストにいる時より、セカンドにいる時の方が、一音一音の意味を考え、大切に弾く感じがする。
ただ「伸ばす音」の間も、他のパートの動きに耳を澄まし、「なぜ今セカンドが伸ばしているか」を考える。
この知的な時間が、私にはとても重要だった。

テクニックとか、知識とか、センスとか、それでは測れない何かを私はこの活動に見出していて、自己満足と言われればそれまでかもしれないけれど、とても大切に思っていた。

(こうして振り返ると、私の今の仕事観にすごく通ずるものを感じる…)

まあそんな感じで、とてもひとことでは表せないマンドリン。
オーケストラの一部として演奏することはしばらく難しいかもしれないが、それでも、細く長く続けようと思っている。
私にとって崇高な活動であると同時に、マンドリンは、夫との共通点の一部でもあるからなのだ。

夫と私は、大学時代にこのマンドリンを契機に知り合った仲で、社会人になってからも、それぞれ別団体で演奏を続けてきている。
今はふたりとも楽器を弾く機会も減ってしまっているが、お互い、楽器を弾きたいねという気持ちをずっと持っている。

おじいちゃんおばあちゃんになってもふたりでマンドリンを弾くことが出来れば、振袖を着ることなく熱を出して寝込んできた20歳の私も、きっと喜ぶに違いない。

いただいたサポートは、夫のしあわせのためにありがたく使わせていただきます!