人とのつながりが生み出す、一度きりの花火みたいな演奏に焦がれて【夏祭りの話】

大学の頃の夏休みは、毎日がさながらお祭りのようだった。

当時の私は、学生の本分である勉強もそこそこにイタリア生まれの弦楽器「マンドリン」にはまっていた。
いや、正確には、マンドリンを皆で演奏するという活動にはまっていたのだ。

私の所属していた大学のマンドリンクラブは、春と冬に定期演奏会を行っていた。
夏の期間はというと、近隣の学生団体や社会人団体と合同で開催する「福岡マンドリンフェスティバル」(通称「福岡マンフェス」)や、九州・山口の学生団体で構成された「西日本マンドリン連盟」の演奏会(※1年毎交互に演奏会と懇親会を実施)、おまけに大学のOB団体の演奏会の賛助出演など、それはそれは多くの演奏会に参加。
おまけに、その合間には、夏合宿、更に秋合宿という、山にこもって朝から晩までひたすらマンドリンを弾くという、三途の川が視界にちらつく楽しいイベントも待っていた。
(合宿中にマンフェスの練習をすると先輩に怒られるとか…あったよなあ…)

とにかく!山の上でも!サークル棟のピロティでも!
朝でも!夜でも!平日でも!土日でも!
さながらお祭りのかようにマンドリンを弾き続ける夏休みを過ごした。

謙遜でもなんでもなく、私はマンドリンが決して上手ではない。
そして、上手ではないことを根気強く続けるだけの強靭なメンタルなど、持ち合わせてはいない。

そんな私が、この苦行…いやお祭りの日々に耐え抜いて大学4年間マンドリンを手放さず、社会人になってまで続けられたのは、そこで得られる人のつながりと、毎回が一生に一度きりという合奏とに、魅了されていたからだと思う。

陰キャなりに、普段交流のない他団体のメンバーと関係を築き、一緒に演奏会を成功させるというようなことは、なぜか嫌いではなかった。
(当時は恋愛関係になかったとはいえ、実を言うと夫も、他大学のマンドリンクラブの先輩だったりする。)

そして、日々の練習や定期演奏会も含めて、同じメンバーで同じ演奏ができるのは、毎回一度きりのこと。
たとえ数年後に同じ曲を合奏する機会に恵まれたとしても、指揮者が、コンマスが、奏者が変わると、味わえる感触は全く異なるものになる。
その、まるで再現性のない炎色反応の引き起こす、打ち上げ花火みたいな演奏の機会を、この上なく愛おしく思っていた。

…今思うと、「人とのつながりと、そこに発生する一度きりの成果」みたいなものへの愛情は、今、憧れ、目指している働き方に大きく影響を及ぼしている気がする。

あの頃マンドリンの弾きすぎでタコのできていた指先で、今はキーボードを打つ日々。
かれこれ20年(!?)近く前の自分自身に、「あなたがやっていることは、全然無駄なんかじゃないよ」と、メッセージを送ってあげたい気分だ。



「書くンジャーズ」今週のテーマは、【夏祭りの話】
「今年はどこも夏祭りないのかなあ?行きたいよぉ~」と小2の娘にせがまれている火曜担当のみねは、大学時代のマンドリン三昧の日々に思いをはせました。

メンバーの皆さんからは、どんな【夏祭りの話】が聞けるのかな?
日刊「書くンジャーズ」マガジン、引き続きチェックをお願いしますね♪


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