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しあわせふうふだらけの世の中へ

私が「ふうふ」表記を始めたのは、結構最近のこと。

きっかけは、2020年11月22日。
いわゆる「いい夫婦の日」近辺で見かけた、とあるキャンペーン。

MFAJは、性のあり方にかかわらず、すべての人が、結婚するかしないかを自由に選択できる社会の実現を目指しています。従来より11月22日は「いい夫婦の日」として親しまれてきましたが、婚姻の平等(同性婚)への理解をより広めるべくMFAJでは「夫婦」を「ふうふ」と平仮名にひらいて「いいふうふの日」とし、多くの人に結婚の自由について話し合ってほしいという思いを込めたキャンペーンを実施することとなりました。平仮名の「ふうふ」とすることで、「夫婦」、「夫夫」、「婦婦」など、色々な解釈の余地が生まれ、性別に縛られることない「ふうふ」のあり方を表現できると考えました。(https://prtimes.jp/より引用)

キャンペーンで公開されていた動画自体はフィクションだが、式に集まった友人や親族の反応も気持ちのいいぐらいリアルで、主役のおふたりもしあわせそうで、とてもいい。
親戚らしき子どもの「おめでとう」に、たまらず涙があふれた。
(余談だが、協賛企業の中に、私の結婚式のときにお世話になった企業さんも名を連ねていて、ちょっと誇らしい気分だった)

「ふうふ」表記、シンプルにとっても素敵だなと思い、「しあわせ夫婦デザイナー」と名乗っていたところを「しあわせふうふデザイナー」にこっそり改名。
その他の「夫婦」表記も、差し支えない範囲では「ふうふ」と記載していくことにした。

正直なところ、多様性を語るのはすごくすごく難しいと思っていて、まだ、自分でも納得のいく表現ができないでいる。
「性別なんて関係ないよ」とか「個性を大事に」みたいな安易な一般化をしてしまっていいことではないと思っている。
かといって、腫れ物に触るようなそれもまた違う。
これは、性別のことについてだけ言っているわけではない。

万人を傷つけないことばはきっと、存在しないと思っている。
どんなにたくさんのことを見聞きし学んでも、どんなに想像力を働かせても、全多様性を把握することもできないと思っている。

だけど、いや、だからこそ。
ことばには気を付けるし、できるだけたくさんのことを見聞きし学ぶし、可能な限りの想像力を働かせるようにしている。
それでも、不用意に誰かを傷つけることもあるだろう。
それはもう、謝って、改めていくしかない。

みんながみんな、みんなをみんな理解しようとする必要はないとも思う。
「ふうふ」が「夫婦」「夫夫」「婦婦」の解釈の余地を許すように、「しあわせ」のかたちもまたひとりひとりに違う。
自分の「しあわせ」の中に、登場する人としない人がいる。そのキャスティングもそれぞれ異なるはずだ。

ただ私は、世の中が、しあわせふうふだらけになったらいいなと思っている。
途方もない。果てしないことだ。到底ひとりでできることではない。
というか、当事者がしあわせになろうとしない限りは、私がお手伝いすることすらできない。

捉えどころのないこの記事をここまで読んでくださった方はきっと、このモヤがかかった何かを掴もうとしてくださっている方に違いない…(感謝!)
どうか、傷ついても傷つけても、あきらめずにご自分なりの「しあわせ」を追求していただけたらと願っている。


蛇足だが、「ふうふになる=しあわせになる」とは断じて思っていない。
自分(I)をしあわせにできるのは自分だけだし、自分たちふうふ(WE)をしあわせにできるのは自分たちだけ。
そして、みんな結婚すればいいとも思っていないので、念のため。


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