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夫がくも膜下出血で倒れて1年経った話

夫がくも膜下出血で倒れて、1年が経過した。
あまりに元気に過ごしているので、事情を知らない人は全く気づかないんじゃなかろうかというぐらいだ。
白状すると、普段は私も夫が病気をしたことなど忘れて過ごしてしまっている。

とはいえ、5月3~4日をまたぐ夜は、怖くてなかなか眠れなかった…トラウマというやつだ。
本当はどの夜にだって、そんな可能性はあるのにね。

…とまあ、私の懺悔は今は置いておいて。

なかなか多くを語らない夫が、病後1年経過を機に、noteを書いた。

このnoteから思うことを。

その“1/3”は、くじ引きみたいなもの

くも膜下出血は、1/3が死亡、1/3が重度の後遺症が残ると言われる恐ろしい病です。それを考えれば、今の体の状態はなんてことないです。生きているどころか、以前と変わらず生活もできています。仕事にも復帰しています。奇跡です。

たまたま夫は、残りの“1/3”である「病前とほぼ変わらない生活に戻る」ことになった。
※「~戻る」ことができたと表現するかどうか悩んで、私はしないことにした。

一旦いろいろ置いといて、まず本音を言うと…
夫が元気に帰ってきてくれて、何より。本当に嬉しい。
重度の後遺症が残らなくて、ほっとしている。
ましてや、死ななくてよかった。本当によかった。
「病前とほぼ変わらない生活に戻る」という“1/3”になって、心からしあわせだ。

今回、命が助かったのも、まだまだ何も成し遂げていない、お役立ちもまったく不十分だと、神様があの世の手前でこの世に帰してくれたのだと勝手に思ってます。

夫はこう書いている。
そうかもしれない。実際死の淵に立って帰ってきた本人が言うのだから、きっとそうなんだろう。

けれど、この“1/3”はくじ引きみたいなものだったんじゃないかと私は思っている。

別の“1/3”を引き当てていたら。

例えば、夫が生活全般に介助が必要な状態になっていたら?
その状態も含めて、私は夫を愛せていたか。

例えば、夫があのとき亡くなっていたら?
亡き彼の分も合わせて、私は自分や子どもたちを愛せていたか。

これは全部仮定の話で、なってみないとわからないことばかり。

でも、どの“1/3”になっても、私は夫を、子どもを、私自身を愛したと思う。
どの“1/3”も、ただの「不幸」にはしない、してたまるものか。

「病前とほぼ変わらない生活に戻る」という“1/3”を引き当てたから言えることだろうというお声は真摯に受け止める。
きっと夫本人もそう言うだろう。

でも、そのぐらい、人生はいつどうなるかわからないのだ。
私自身も全然わかっていなかったけれど、1年前の夫の病気という現実は、それをかなりの破壊力でたたきつけてきた。

人間は忘れる生き物

たたきつけられたくせに、私はそれを忘れてのうのうと暮らしている。
寝っ転がったまんま、「パパ~リモコン取って」なんて言っちゃう日常だ。
大いに反省したい。

反省したいけれど、きっとこれは私だけではない。
人間は忘れる生き物なのだ。どうしても。

じゃあどうするかって、思い出すしかない。
気合に頼らず、しくみをつくる。
例えば「夫の倒れた日にちなんで4のつく日」のカレンダーにしるしをつけて、ちゃんと思い出す。

思い出したら思ってるだけじゃなく、ちゃんと相手に伝わるように表現する。
それは言葉かもしれないし、何かをしてあげることかもしれない。
あるいはプレゼントすることかもしれないし、一緒に過ごす時間だったり、物理的なふれあいかもしれない。
(ラブランゲージというのがひとつ参考になると思うが、この話はおいおい)

もう耳にタコができるぐらい聞いたし、きっと皆さんもそうだと思うけれど、「当たり前」の反対は「ありがとう」なんだ。
タコのできた耳に、もう一度言い聞かせておこう。

私はひっそりと死にたい人だけれど

僕は以前から、死ぬときはたくさんの人に惜しまれながら死にたいと思っています。

これは確かに、聞いたことがあった。

私は、死ぬときはひっそりと死にたい。
家族やごく一部の友人に泣いてもらえたら十分で、不義理かもしれないけれど、立派なお葬式もいらない。
申し訳ないが誰かに必要な手続きだけ済ませてもらって、のこったお金やお金になりそうなものがもしあれば、生きている人のためになるように遣ってほしい。

そこに優劣も善悪もなくて、夫も私もただ、「あなたはそうなんだね」という話。

夫のそれは私とは違ったけれど、でも「理由」の部分って、なんかいいなあと思う。
彼らしいというか。そうかじゃあ、応援したいなってますます思えた。

それは、たくさんの人の役に立ち、信頼され当てにされる、必要とされる人間になれたという証しだと思っているからです。生きた意味を残したい。

私たちには、対話する時間が必要だ

「死ぬときは」のことに限らず、私たちには、もっともっと話しておくべきことがたくさんある。

だって、人間は忘れる生き物。
うっかり「ありがとう」を伝えそびれたその日に
できれば引き当てたくない“1/3”が訪れるかもしれない。

そのとき、「あの人って、本当はどうしたかったんだろう」って思いたくない。

一見「当たり前」かのような毎日のあるうちに、かけがえのない人と対話を重ねておきたい。
死の淵から夫が帰ってきて1年、改めてそう思っている。


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